「大蔵省のパワハラ番付では上位」「舛添要一氏との結婚生活はDVで破綻」 片山さつき財務大臣の波乱万丈の人生
前編では、学生時代の同窓生や大蔵省の同期が語る、片山氏の「異次元の天才エピソード」について報じた。 財務省には旧大蔵省時代から続く「恐竜番付」というものがある。早い話、いまでいうパワハラ上司のランキングだが、何事もトップできた片山大臣はここでも上位に位置していた。 大蔵省の同期が言う。 「恐竜番付ね、覚えていますよ。私もちらっと見ましたが、片山さんもしっかり載っていたし、後輩に相当厳しいという話も聞いていました。ただ、女性の官僚はほとんど載っていたし、もっと怖い女性もいましたからね」 一説によれば、前頭筆頭に位置していたという。 「大蔵省は、癒着を避けるためにポストをどんどん変えるのですよ」 と、1982年入省の同期、田中修・拓殖大学大学院客員教授が言う。 「金融の後に財政をやっていたら、来月から銀行行政をやれとかね。来たばかりで分かりません、とは言えないから猛勉強する。1週間家に帰れずにいるのを自慢する同僚が大勢いる中で、男性以上に働かなければ認めてもらえない環境だったから大変だったはずです。片山さんは人一倍がんばっていたから、部下で頼りないのがいると怒っちゃうっていうのはあったでしょうね」
大蔵省の1期上に、後に副財務官に就任する石井菜穂子氏がいた。彼女は1988年に女性官僚で初の税務署長に就任した。 「石井さん、非常にうまく署長を勤め上げましてね。それで女性でも全く問題はないとなって、片山さんは石井さんに次ぐ2人目の女性署長として広島に赴任したのです」(田中教授) そんなわけで、齢(よわい)30で税務署長に就任するが、広島に行く前は相当緊張していたようだ。 「税務署の現場からしたら、いきなり女性が、それも自分の娘くらいの子がトップで来るわけですからね。私はすでに署長を経験していたので、どうすればうまくいくかといった心構えを彼女に伝えました」(同) 片山大臣、同期には恵まれていたようだが、「呪われた82年組」なる不名誉な呼び名もある。 財務省の事務方トップである事務次官に上り詰めた福田淳一氏は、その後、本誌(「週刊新潮」)のセクハラ報道で辞任(「胸、触っていい?」「予算通ったら浮気するか」)。国税庁長官だった佐川宣寿氏も、森友学園を巡る公文書改ざん事件でそのキャリアに終止符を打った。 詰まるところ、財務大臣として省の頂点を極めた片山氏こそ、この代のトップであるといえよう。
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最初の結婚は1986年。お相手はご存じ、前東京都知事の舛添要一氏である。衆院議員の近藤鉄雄氏(故人)の紹介による見合い結婚だったが、わずか3年で離婚に至る。 「結婚する前、お祝いを兼ねて舛添さんを同期会にお招きしたことがあるんですよ。だから離婚したと聞いて、『えーっ』となりました。それからは誰も舛添さんのことに触れなくなりましたね」(前出の同期) 大蔵省の激務によるすれ違いもあったようだが、原因は「夫からの家庭内暴力」とウィキペディアにまではっきりと書かれている。 1990年に再婚した現在の夫は、ゴルフクラブやライターなどで知られる「マルマン」社長を務めた片山龍太郎氏である。さつき氏は40歳を過ぎるまで不妊治療をしたようだが、子宝には恵まれなかった。 「再婚して間もない頃、片山さんが夜中に省内の自販機でパンを2個買っていたというんです。聞くと、『これ、旦那の朝ごはん』と言っていたそうです。それくらい一生懸命に働いていたわけです」(同)
どこまでも王道を行く彼女は「女性初の主計官」という肩書を得た1年後の2005年、23年間勤めた財務省を辞め、国政に進出する。 「自民党を、ぶっ壊す」 時の総理・小泉純一郎氏はそうぶち上げ、郵政民営化に反対する議員を「守旧派」と決め付け、全国に“刺客候補”を送り込んだ。 この時、大量の「小泉チルドレン」が誕生したが、片山大臣もその一人として縁もゆかりもない静岡7区から出馬。自民党の公認が得られなかった城内実氏を破り、遂に国会議事堂のレッドカーペットを踏む。 「大蔵省を『政治家への登竜門』と考えている人は同期では少なかったけれど、省全体として見ると、やっぱり多いですよね。ただ、彼女は落下傘候補でしたし、本人も厳しい選挙戦になることは分かっていたはず。ですから二つ返事で受けたのではなく、小泉総理から懇願され、迷いに迷った末に出馬したと聞いています」(前出の同期) 厳しいどころか、わずか748票差での当選である。さっそく経産省の政務官に就くが、これまでの輝かし過ぎるキャリアからすれば大したポストではない。そんなことより、浜松市を中心とする静岡7区の票が喉から手が出るほど欲しかったのである。