【追悼】ジェーン・グドール博士が91歳で死去、類人猿研究に革命 稀有な生涯と多大な功績

 グドール氏がナショナル ジオグラフィック協会の目にとまったのは1961年のことだった。彼女の指導者で、協会の支援を受けていた古人類学者のルイス・リーキーが、ケニア、ナイロビのコリンドン博物館の助手をゴンベに派遣してチンパンジーの観察をさせているので支援してほしいと協会に持ちかけたのだ。  科学者や探検家への助成を決定する協会の研究探検委員会は、グドール氏の研究費として1400ドル(当時の為替レートで約50万円)を承認したが、リーキーは彼女が研究結果をまとめる間の生活費としてさらに400ポンド(当時の為替レートで約40万円)を要求し、委員会はこれに難色を示した。  委員たちは警戒したのだ。グドール氏は痩せていて、いかにもか弱そうだった。科学教育は受けておらず、学位も持っていない。そんな女性が、東アフリカの未開の地で、激しい天候や、捕食動物や、毒ヘビや、マラリア蚊に1人で耐えてチンパンジーの行動を研究することなどできるのだろうか?  そこでリーキーは切り札を出した。グドール氏は、チンパンジーが草の葉や小枝を使って道具を作り、蟻塚に突っ込んでシロアリを「釣る」行動を記録したと打ち明けたのだ。当時は、道具を作って使うのは人間だけだと考えられていた。  グドール氏の研究に興味を持った委員会は追加資金を承認し、彼女の研究を後押しした。これはおそらく協会が行った支援の中で最高のものだった。「ナショナル ジオグラフィック」誌やテレビでの報道は、ジェーン・グドール氏を世界で最も有名な女性科学者にした。  とはいえ報道では、「美女はサルの観察に夢中」「フェイ・レイ(訳注:映画『キング・コング』の主演女優)、私がうらやましい?」といった、グドール氏を侮辱するような見出しが躍っていた。協会会長のメルビル・ベル・グロブナーでさえ、彼女を「サルの研究をしている金髪の英国娘」と呼んでいた。  しかし彼女は、人からどう見られようと一向に気にしなかった。研究に有利になるなら、それで良いと思っていた。人々は女性が脅威になるとは感じず、手を貸してくれることが多かったからだ。「私は(ナショナル)ジオグラフィックのカバーガールでした」と彼女は皮肉混じりに言っている。  後年、インタビューで「あなたはどちらかと言えば科学者ですか、それとも神秘家ですか?」と尋ねられたグドール氏は、自分は神秘家だと答えている。「科学者になりたかったわけではないのです」  グドール氏は1966年に英ケンブリッジ大学で動物行動学の博士号を取得しているが、それは彼女の初期の研究が「きちんとした科学になっていない」と批判されたことを気にしたルイス・リーキーが勧めたからにすぎなかった。

ナショナル ジオグラフィック日本版

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