ジャパンモビリティショー2025開幕秒読み!! クルマ好きの祭典「東京モーターショー」の思い出

 2025年10月29日(水)から11月9日(日)まで、東京都江東区の東京国際展示場(東京ビッグサイト)にて、「ジャパンモビリティショー2025(JMS2025)」が開催されます(一般公開は10月31日から)。

 日本自動車工業会(JAMA)主催の見本市である本ショーは、2019年の開催までは「東京モーターショー」という名称で、2009年(第41回)の開催までは、千葉県の幕張メッセが会場。クルマ好きにとっては2年に1度の「お祭り」であり、筆者も学生時代、憧れのクルマをリアルで見るため、ワクワクしながら幕張メッセへと向かったものです。

 クルマ好きの祭典であるジャパンモビリティショー2025の開催を前に、筆者の東京モーターショーに関する思い出を、ちょっとだけ振り返りたいと思います。

文:吉川賢一/写真:NISSAN、SUBARU、MITSUBISHI、ベストカー編集部

【画像ギャラリー】R35 GT-Rはここから始まった!! 起源となった2007年モデルをチェックする!!(21枚)

 筆者がクルマを強く意識し始めたのは高校生のころでした。当時(1980年代後半から1990年代)はF1が全盛期でしたが、筆者はその流行に乗り遅れており、そのなかで偶然、テレビで世界ラリー選手権(WRC)の特集を目にし、釘付けにされてしまいました。

 スバル・インプレッサと三菱・ランサーエボリューションが、ヨーロッパの古い街並みを駆け抜け、派手なテールスライドやスピンターンを繰り広げ、スウェーデンラリー(旧称1000湖ラリー)では雪上を全開で走り、サファリラリーでは大きな起伏でジャンプを決めるなど、その姿はそれまで知っていた「クルマ」のイメージとは全く違うもの。「国産車が世界最前線で戦い、優勝争いに加わっている」状況も、筆者の胸を熱くしました。

 これをきっかけにクルマに本格的に興味を持ち、以降、雑誌やビデオを通して常にWRCマシンを追いかけるようになりました。

ランサーエボリューションIV(1997)。他車が新しいWRカー規定のマシンで参加する中、三菱は改造範囲の狭いグループA規定のマシンで参戦していた

 そうして「クルマ好き」となった筆者が、東京モーターショーに初めて足を運んだのは筆者が高校生だった1997年、第32回の東京モーターショーでした。当時はまだインターネット黎明期で、雑誌を穴があくほど読み込んではいたものの、実際にWRCマシンを目にしたことはなく、憧れのクルマを見たい一心で、ひとりで電車に乗り、幕張メッセへと向かいました。

 舞台上には、憧れだったスバルブルーに蛍光イエローのロゴの入ったインプレッサWRカーや、赤いラインの入ったランサーエボリューション(IVかVだったはず)が並び、その周囲には見たことないほどの人だかり。筆者はそこで何十枚も夢中で写真を撮り続けました。スバルのブースでは、ラリー走行をバーチャル体験できる企画があり、長時間並んで体験したことも印象に残っています。

 当時筆者は、クルマそのもの以上に、壊れたマシンを整備するメカニックに興味と憧れがありました。実際に、撮影していた写真は、足回りの写真ばかり。後に自動車メーカーで開発エンジニアを志すことになったのも、こうした思いからでした。

1996年シーズンを戦うスバル・スバルインプレッサWRC。ドライバーはコリンマクレーで、アクロポリス、サンレモ、カタルニアで優勝、スバルに2年連続チャンピオンをもたらした

次ページは : TMS2007でのGT-R初披露も、忘れられない経験

PR:かんたん5分! 自動車保険を今すぐ見積もり ≫

新車不足で人気沸騰! 欲しい車を中古車でさがす ≫

関連記事: