「自信が持てなかったあの日の私へ」 監督が過去の自分を重ねて贈る『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』
「これは、もしかすると監督自身の物語ではないだろうか」。そう直感したのは、『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』のクレジットにイ・オニ監督の名前を見つけたときだった。
自由奔放でエネルギッシュなジェヒ(キム・ゴウン)と、ゲイであることを周囲に隠しながら孤独と向き合う日々を送るフンス(ノ・サンヒョン)。学校や社会に「普通になじめない」ふたりが、自分らしさを励まし合い、信じた道を進もうとする姿を活写する。
そんな登場人物の姿が、イ・オニ監督と重なった。監督に初めてインタビューしたのは20年前。27歳で監督デビューを果たした『アメノナカノ青空』(2003)が日本公開された、2005年のことだった(「イ・オニ監督に直撃インタビュー! 映画『アメノナカノ青空』」All About 2005年9月24日)。当時としては、いや、いまも数少ない、商業映画を撮り続ける女性監督として、韓国映画界で確かな地位を築いてきた。
勇気のある人。そんなふうに思った。
イ・オニ監督に20年ぶりにインタビューする機会を得た。監督に、「普通になじめない」人々を描く理由、そして韓国映画界で女性監督として生きることについて話を聞いた。
大学で出会ったジェヒとフンス。正反対のふたりは、とある事件をきっかけに親しくなる――お久しぶりです。こうして映画のお話を伺うのは、『アメノナカノ青空』以来ですね。
懐かしいですね(笑)。日本でインタビューを受けたのは初めてだったので、とても楽しい経験でした。
――『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』は、勇気が必要な作品だと感じました。そして、とても大事な話をしている映画だと思います。ベストセラー小説『大都会の愛し方』を映画化したものです。おそらく、この物語を映画化しようと決心された強い動機があったのではないかと思います。どのようなきっかけで映像化を決められたのでしょうか。
実は、最初から強い動機を持って「これを絶対にやりたい」と思ったわけではありません。趣味で読書をしていたときにパク・サンヨン作家の短編集を読み、ジェヒの物語に触れて「これを映画にしたら面白いかも」と興味を持ったのがきっかけでした。
商業映画にできるという確信もまったくなく、自分に監督が務まるかどうかも分かりませんでした。そんななか、映画関係者の仲間たちに話してみたところ、実現に至ったのです。とても幸運でした。おっしゃる通り、かなりの勇気がいるプロジェクトでしたが、私は最初から勇気を持って臨んだわけではなく、「面白そうだからやってみようか」という軽い気持ちで始めました。それでも映画を完成させることができたのは、その過程で、勇敢な仲間たちと出会うことができたからです。
――原作小説よりも、ジェヒをより細やかに描いているのが印象的です。
原作では、フンスのキャラクターは詳細に描写されていますが、ジェヒについてはフンスの視点から断片的にしか描かれていません。そのため、映画化にあたってはジェヒの人物像を補う必要があると考えました。私自身が女性であるため、自然とジェヒに関心が向いたのだと思います。脚本を書きながらも、ジェヒについてたくさん話し合いました。
ジェヒを演じたキム・ゴウン。代表作にドラマ『トッケビ~君がくれた愛しい日々~』(2016)、映画『破墓/パミョ』など。2024年「今年の女性映画人賞」をイ・オニ監督と共に受賞――この作品を完成させるまでに、5年近くかかったそうですが、なぜでしょうか。
脚本の作業だけで約2年。その後、撮影から公開までの流れも含めると、映画一本を完成させるのには常にそれぐらいの時間はかかります。ただ、今回はキャスティングが難航しました。必要な時間だったと思っています。ジェヒ役のキム・ゴウンさんは快諾してくれました。一番時間を要したのは、男性俳優のキャスティングです。
――韓国でのインタビューによると、フンスを演じたノ・サンヒョンさんをキャスティングしたときには、監督がトイレの前まで追いかけてお願いしたそうですね。
俳優の側からこの作品を「選んでもらう」必要がありました。選択肢の多い俳優にとって、この映画を選ぶのは簡単ではなかったと思います。だからこそ時間がかかったのです。
そんななかでノ・サンヒョンさんに出会いました。ドラマ『Pachinko パチンコ』(2022~)で知っていましたが、実際に会うまでは不安もありました。でも会ってみたら、ものすごく良くて。本当に「この人しかいない」と、私にとってはもう「最後の砦」でした。ノ・サンヒョンさんが引き受けてくれなければ、この映画は作れなかったかもしれない。その日、「この映画を始めて以来、今日が一番幸せな日です」とご本人に伝えました。
フンス役のノ・サンヒョンはモデル出身。ドラマ『Pachinko パチンコ』で国際的な地名を高める。本作で「青龍映画賞」「韓国映画製作家協会賞」新人俳優賞を受賞――韓国でのインタビューでは、「自分が正しいことをしているのか、信じるのが難しかった」とも語っています。
それは、この作品そのものというよりも、映画製作全般について思ったことです。映画は本当に「好み」の領域で、関わる人が多ければ多いほど、それぞれの求めるものが違ってきますし、語るべきことも異なってきます。
以前の作品、たとえば『女は冷たい嘘をつく』(2016)を撮っていた頃は、他の人の意見を聞くたびに、「もしかしたら自分が間違っているのかもしれない」と迷いを感じていました。でも今は、経験も積んできたこともあり、最終的に映画の方向性を決めるのは監督である私なのだから、「自分をもっと信じるべきだ」と思うようになったんです。
もっとも、それはキャラクターによっても異なります。たとえばジェヒについては、私と同じ性別で、私自身が語ることのできる面がありました。一方で、フンスは自分にとってよく知らない領域にいる人物だったので、多くの助けが必要だと感じました。
――フンスのキャラクターを描くにあたって、どのようなリサーチや準備をされたのでしょうか。
この映画を作る勇気を得たいくつかの理由のひとつに、身近にフンスのような友人たちがいたことがあります。その方たちと親しく過ごすなかで、自然と私自身との共通点を見つけるようになったんです。
特に、女性として抱える「マイノリティであること」と、友人たちが性的アイデンティティによって抱える「マイノリティであること」には、共通する部分があると感じました。だからこそ、自然にこの映画を作ることができたのだと思います。
たくさんのアドバイスも受けました。「この映画を私が作っていいのか」という問いを、友人たちに何度も投げかけましたし、映画が完成したときに当事者たちを失望させないためにはどうすればいいかについても、繰り返し話し合いました。
悩んだのは「どのレベルで描写するか」という点です。当事者の方々からすれば、この映画の表現がある程度「妥協されたもの」と受け取られる可能性があることも、十分に理解しています。韓国で商業作品として成立させるには、私一人の勇気では到底足りない。多くの人の勇気が必要だったのです。
最も難しかったのは、観客にどの程度まで表現を届けるか、そのバランスを取ることでした。実際に観た方々の声に真摯に耳を傾けながら、バランスを見つけようと模索し続けました。自分が本当にうまくできたのか、今も答えは出ていません。
「最高の相棒」になったジェヒとフンスは同居生活を始めるが……――監督自身も、女性として「マイノリティであること」を感じるとおっしゃいましたが、具体的にどういった点が共通していると思うのでしょうか。
エピソードでお話ししましょうか。ちょっと分かりやすくするために。以前、ドラマのロケハンで、ある撮影候補地を訪問した際、その場所の担当者に「監督です」と自己紹介したところ、こう言われたんです。
「女性監督は作業の進行が遅いし、ちょっと面倒なんですよね」と。
撮影でよく使われる建物だったのですが、その言葉を聞いて、「またか……」と思いました。こういった経験は本当にたくさんしてきました。夫も映画監督なのですが、こういう話をしても「気にしすぎだ」とか「そういう人もいるよ」と、軽く流されてしまうことが多いのです。でも、先ほどお話しした友人たちにこのことを語ると、私の気持ちをとてもよく理解してくれるんですよね。
「マイノリティである」というのは、常に「代表性」を背負わされるということでもあると思います。たとえば、「男ってこうだよね」というより、「女ってこうだよね」という表現のほうが、世の中にはずっと多いと感じます。本来、私たちはそれぞれが個人であるはずなのに、性別やアイデンティティのせいで、ある集団の「象徴」のように扱われる。そういう扱いをされるたびに、心の痛みを共有できる相手がいることに救われてきました。
――2024年の韓国映画振興委員会のジェンダー統計によると、韓国映画界における女性監督の割合はおよそ24%にとどまっています。その多くはインディペンデント映画を手がけており、商業映画を監督する女性はごく少数です。監督はその数少ないひとりですが、近年、業界の変化を感じることはありますか。
20年前にインタビューでお会いしたとき、私はまだ20代でした。その年齢でデビューできたのは、本当に幸運だったと思っています。今だったら、同じ条件でも男性でさえデビューするのが難しいのではないでしょうか。
あの頃は世の中が経済的に余裕のある時代で、新しい挑戦に対して社会全体が寛容でした。だからこそ、私もその流れに乗って、運よくデビューできたのだと思います。今はむしろ状況が厳しくなってきていて、真っ先に脱落させられるのがマイノリティではないかと感じています。社会が寛容でなくなっている分、評価基準が厳しくなっているのです。
ジェンダー統計の「24%」という数字ですが、これはおっしゃるとおり、インディペンデント映画まで含めた場合の話です。実際、インディペンデント映画の世界では、女性監督が半数以上を占めていて、評価も高く、人気もあります。
ただ、そこから商業映画に移行するには高いハードルがあります。「そもそも商業映画にする必要があるのか」という問いもありますが、それでもメインストリームの舞台に立つには、その門をくぐる必要があるのです。これが、映画を作る女性たちにとって大きな課題になっています。
音楽は韓国の有名プロデューサーPrimaryが担当。クライマックスに流れるmissAの大ヒット曲「Bad Girl, Good Girl」が観る人の背中を押すエールムービー――イ・オニ監督は、女性の商業映画監督の先駆者として、まだまだ男性社会といえる環境のなかで、しなやかに生き残り、活動を続けてきました。その秘訣があれば教えてください。
すごく我慢強いのだと思います(笑)。結局は「耐えるしかない」という思いでやってきました。ただただ、耐えています。少しでもこの世界が生きやすくなってほしいという願いはずっとありましたし、最近はその思いがいっそう強くなってきました。
今もこうして商業映画を続けていますが、もっと簡単に続けられる世の中になってほしいという願いは強くあります。一方で、テレビの世界は変わってきました。私がキャリアをスタートした頃は、テレビで演出を手がける女性は本当に少なかったのですが、今では韓国のテレビ業界では女性演出家がとても活躍しています。
これは、視聴者の選択があるからだと思います。映画よりもテレビのほうが、女性による演出や女性の物語を受け入れる土壌が整ってきているのです。だから、映画の世界でも、同じように変化が進むことを願っています。他の女性監督たちの奮闘も、心から応援しています。
――お話を聞いて、もしかすると、ジェヒには監督ご自身と少し重なる部分があるのでは……と思いました。監督がかつてできなかったことを、ジェヒというキャラクターが体現しているのではないかと。
原作小説を読んでいたら、ジェヒという人物が映画では大きく変わっていることに気づくはずです。小説のジェヒは「身長は高いけれど、顔はまあまあ」と描写されています。でも私は、そんなジェヒが十分に自信を持った人だと感じ、カッコいい人物として描こうと決めました。
学校で一番カッコよく、遊ぶのが好きで、自己表現を恐れない――それは、私ができなかったこと。まったく違うんです。だから、「そうなれなかった自分の姿を、代わりに生きてほしい」という気持ちが、心のどこかにあったのだと思います。
さらに、映画の内面的な部分に深く入っていくと、最終的には「映画を作る」ということが、自分自身を理解しようとする行為であり、他人にも理解してもらいたいという欲求から来ているのだと気づきました。そういった意味で、ジェヒには私の内面がたくさん投影されています。だからこそ、この作品はとても難しい作業でもありました。
――なるほど。つまり外面的には、かつてできなかったことをジェヒに託しつつ、内面的には自分自身を投影したキャラクターでもある、と。この映画を観ていると、自分に自信が持てずにいる人たちに、何かしらの「勇気」を与えてくれるように感じます。
まさに今おっしゃった通りで、私には「自分を理解してもらいたい」「認めてもらいたい」という欲求がすごく強くあるんです。特に愛情不足で育ったわけではないのに、なぜこんなに人の評価を気にするのか、不思議なほどです。
表面的には大胆に見えるかもしれませんが、実際は人の目をすごく気にして、いつも「果たして正しいことをしているのだろうか?」と自問自答してばかりいるタイプなんです。「あなたがやっていることは、これでいいんだよ」と、自分自身に言ってあげたい。そんな気持ちが、この映画を作る原動力になったのだと思います。
■イ・オニ監督
提供:Plus M Entertainment1976年生まれ。2003年にイム・スジョン、キム・レウォン主演の『アメノナカノ青空』で監督デビューを果たす。その後、子供とともに姿を消したベビーシッターの行方を追うミステリー映画『女は冷たい嘘をつく』(16)が、「第37回韓国映画批評家協会賞」の「映画批評10選」に選出。さらに、クォン・サンウ主演の『探偵なふたり:リターンズ』(18)では、未解決事件の謎に挑む3人の推理をコミカルに描き、「第19回女性映画人賞」の監督賞を受賞した。本作では、「2024年今年の女性映画人賞」で監督賞を受賞。多彩なジャンルで卓越した演出力を発揮する、韓国映画界の注目の監督の一人である。
フィルモグラフィー
『探偵なふたり:リターンズ』(18) 監督、脚色『女は冷たい嘘をつく』(16) 監督、脚本、脚色『肩ごしの恋人』(07) 監督『アメノナカノ青空』(03) 監督
■『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』
6月13日(金)全国ロードショー
画像クレジット:(c) 2024 PLUS M ENTERTAINMENT AND SHOWBOX CORP. ALL RIGHTS RESERVED.