競馬記者が見たアニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』(9)「日本ダービー」

アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』第9話。オグリキャップが日本ダービーが行われる東京レース場のウイナーズサークルに登場Ⓒ久住太陽・杉浦理史&Pita・伊藤隼之介/集英社・ウマ娘 シンデレラグレイ製作委員会 Ⓒ Cygames,Inc.

競走馬をモチーフとしたキャラクター、オグリキャップが主人公のTBS系アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』(日曜後4・30)が放送中だ。地方・笠松競馬からはじまったオグリキャップのレースをリアルタイムで見てきた競馬記者が、毎週の放送に合わせて史実のオグリキャップやライバルたちの動向、実在の騎手、調教師、厩務員、調教助手、馬主、生産者らの言動を振り返ってオグリキャップの実像を紹介し、アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』と重ね合わせていく。

※以下、アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』のネタバレが含まれます。

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「序章 カサマツ篇」最終話の第6話に続き、「第一章 中央編入篇」の掉尾(とうび)を飾る第9話も実に濃密な内容だった。なにより構成がドラマチックな展開で素晴らしい。アニメで見せた日本ダービーこそが、史実のオグリキャップを知るわれわれにとって夢に思い描いていたものだから。

第8話で「オグリキャップを日本ダービーに出走させよう」とキャンペーンを張った新聞記者の藤井泉助は、1万人の署名を携えてトレセン学園の生徒会長室を訪れた。「あんたの力が必要なんや」と言われたシンボリルドルフは「夢亡き者に理想無し。私の理想も貴方と同じです」と自らも署名し、オグリキャップを日本ダービーの舞台に立たせるために立ち上がった。

URAの中央諮問委員会に呼び出されたルドルフは、理想の実現のためプライドをかなぐり捨てて委員長に深々と頭を下げた。そのときのせりふが素晴らしい。彼女が現実主義者ではなく、理想主義者であったことがわかる。

「品格とは、何でしょうか。中央の在籍期間? 出身や血筋? レースの実績? 断じて否です。彼女は己の立場を理解した上で、それを覆そうと走り続けた。その姿を見た観衆は皆、示し合わせるでもなく彼女のダービー出走を願った。これこそが、オグリキャップという存在の、唯一無二の品格。それをくだらない規則で潰すのはあまりにも愚蒙(ぐもう)です」

アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』第9話。シンボリルドルフは、URA諮問委員会の会長室で「これこそが、オグリキャップという存在の、唯一無二の品格。それをくだらない規則で潰すのはあまりにも愚蒙(ぐもう)です」と語ったⒸ久住太陽・杉浦理史&Pita・伊藤隼之介/集英社・ウマ娘 シンデレラグレイ製作委員会 Ⓒ Cygames,Inc.

オグリキャップが「あなたの力で私を日本ダービーに出してくれ」と直談判に来た際、一笑に付して却下したシンボリルドルフがここまで考えを改めたのはもちろん、実況の赤坂美聡が「カサマツのシンデレラ」と呼ぶほど中央編入後に重賞で連戦連勝の大活躍を演じたからだろう。だが、もうひとつあると思う。いつもルドルフのそばにいるマルゼンスキーの存在も大きかったのではないか。彼女は3冠ウマ娘に輝いたルドルフと違い、「おカタい規則のおかげでダービーは走れなかった」からだ。マルゼンスキーはこう続ける。「大外枠だってよかったのに。走ったレースに後悔はない。あたしはあたしに出来るだけの事はやった。けど、たまにどうしても想像しちゃうの。あの時、ダービーに出ていればどうなっていたのか。ねえ、ルドルフ。あなたはどうしたいの?」と。

史実のマルゼンスキーも規則の壁に阻まれて日本ダービーに出走できなかった。ニジンスキーを父に持つ同馬は、母シルのおなかに入ったまま米国から輸入され、日本で生まれた。「持ち込み馬」と呼ばれる存在だ。1977年当時、持ち込み馬は外国産馬と同等とみなされて有馬記念を除く八大競走(桜花賞、オークス、皐月賞、日本ダービー、菊花賞、天皇賞=春・秋)への出走権がなかった(1984年から再び国産馬と同じように出走できるようになった)。ダービーまでの戦績は、朝日杯3歳Sを含む5戦5勝。主戦を務めた中野渡清一騎手は、ダービーに出走できない無念を「大外でもいい。ほかの馬の邪魔はしない。賞金もいらない。この馬の能力を確かめるだけでいい」と語ったという(広見直樹、「優駿」2018年9月号)。

マルゼンスキーの無念を繰り返してはならない。アニメのシンボリルドルフが、そう思ったとしても不思議はないだろう。

シンボリルドルフは一流のウマ娘に必要な資質を3つ挙げる。一つ、人々を引きつけるカリスマ性。二つ、1着を獲り続ける圧倒的な力。三つ、人に夢を見せる力。オグリキャップには全てが備わっているように思う。中でも三つ目は彼女にとって欠かすことができない才能だろう。

日本ダービーの日が訪れた。東京レース場で赤坂が出走ウマ娘たちを紹介していく。

「そして最後に登場するのは単枠指定、堂々の1番人気、ギリギリ滑り込んだカサマツのシンデレラ、オグリキャップ」

そのシーンに正直、「あれ?」と思った。アニメは史実を書き換えるのか!?と。

ゲートが開き、レースが進む。サクラチヨノオーが3番手を進み、その直後にメジロアルダンがいる。ヤエノムテキは後方に待機している。皐月賞を脚部不安で回避したディクタストライカはさらに後方にいる。最後の直線。サクラチヨノオーがメジロアルダンを差し返したときだった。大外からひとりのウマ娘が鋭い末脚で伸びてきた。実況の赤坂が伝える。「灰色の影オグリキャップだ。カサマツの星が中央で光り輝いた」。オグリキャップが一気に抜けた。2着につけた差はなんと7バ身。

アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』第9話。オグリキャップがサクラチヨノオーとメジロアルダンを差し切って先頭に立って突き放すⒸ久住太陽・杉浦理史&Pita・伊藤隼之介/集英社・ウマ娘 シンデレラグレイ製作委員会 Ⓒ Cygames,Inc.

7バ身?

史実のオグリキャップが、1988年6月5日に行われたニュージーランドトロフィーで2着のリンドホシにつけた差が7馬身だった。

日本ダービーでの7バ身差の圧勝は、シンボリルドルフが、目の前で展開されていたニュージーランドトロフィーを、その前に行われた日本ダービーに重ね合わせたもの。彼女の理想を反映させた「幻の日本ダービー」だったのだ。

日本ダービーを制したのはサクラチヨノオー。2着はメジロアルダンで、皐月賞ウマ娘ヤエノムテキは4着だった。マルゼンスキーが涙を流している。第8話で彼女は皐月賞に臨む直前のサクラチヨノオーに声を掛けた。

アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』第9話。サクラチヨノオーがダービーを制して涙するマルゼンスキーⒸ久住太陽・杉浦理史&Pita・伊藤隼之介/集英社・ウマ娘 シンデレラグレイ製作委員会 Ⓒ Cygames,Inc.

われわれの住む現実世界で、1988年5月29日に行われた日本ダービーを制したサクラチヨノオーは、マルゼンスキーの子供。その関係性をアニメはしっかりと反映してくれているのがうれしい。なにより今回、史実を知る多くのオグリキャップのファンが望んでいた「夢」を、アニメはシンボリルドルフが見た幻として具体的に見せてくれたのがうれしい。これこそが、ウマ娘の大きな魅力のひとつなのだから。

URAの中央諮問委員会は、シンボリルドルフにクラシックレースの登録制度の改訂を検討すると伝えていた。ルドルフはニュージーランドトロフィーを圧勝したオグリキャップに心の中で伝える。「誇るがいい。君は宣言通り、常識もルールも覆した」と。

史実で、持ち込み馬は1984年から内国産馬と同じ扱いとなり、200万円を支払えばクラシック未登録馬も出走できる追加登録制度は1992年に導入された。この制度を利用してテイエムオペラオー(99年皐月賞)、アローキャリー(2002年桜花賞)、ヒシミラクル(同年菊花賞)、メイショウマンボ(13年オークス)、トーホウジャッカル(14年菊花賞)、キタサンブラック(15年菊花賞)がクラシックホースに輝いた。ルールの壁に阻まれてクラシックレースに出走できなかったオグリキャップは、まさに「常識もルールも覆した」存在だった。

6月8日放送の第10話は「最強」。編入最初の春シーズンを終えたオグリキャップは、どのように「最強」を目指すのか?

オグリキャップ(河内洋騎手)はニュージーランドトロフィー4歳ステークスで圧勝した=1988年6月5日、東京競馬場)第55回日本ダービー。1着5番サクラチヨノオー(右から2頭目、小島太騎手)=1988年5月29日、東京競馬場

■鈴木学(すずき・まなぶ)サンケイスポーツ記者。シンザンが3冠馬に輝いた1964年に生まれる。慶応大卒業後、89年に産経新聞社入社。産経新聞の福島支局、運動部を経て93年にサンケイスポーツの競馬担当となり、ビワハヤヒデ、ナリタブライアン兄弟などを取材。週刊Gallop編集長などを歴任し現在に至る。サイト「サンスポZBAT!競馬」にて同時進行予想コラム「居酒屋ブルース」を連載中。著書に『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』(ワニブックス)。

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