紛争の中で迎える総選挙 イスラエル各地で探った市民の本音
10月27日のイスラエルの総選挙まで1カ月を切った。パレスチナ自治区ガザ地区を皮切りにイランとの「戦争」にまで突き進んだこの国で、有権者はいま、何を思うのか。イスラエル各地で探った。
主な内容 ・妻と息子は目の前で息絶えた ・戦火にさらされた北部では… ・右派の牙城に異変も ・ネタニヤフ首相と対抗馬、その違いとは
・カギを握る連立協議
中部テルアビブから近郊のラマトガンに車で向かうと、車体に選挙ポスターがラッピングされたバスが過ぎていった。「まっすぐ正直に!」「分断の時代は終わった」――。各党の選挙戦が熱を帯びている。
ラマトガンにある国内最大のテル・ハショメール病院に着くと、リハビリに励むアビダ・バハルさん(53)が待っていた。立ち上がって握手を交わす。半ズボンの下には、右脚がなかった。
妻と息子は目の前で息絶えた
「私の人生はあの日、すべてが壊れてしまった」
2023年10月7日。ガザから約5キロ離れたベエリに住んでいたバハルさんは午前6時半ごろ、ロケット弾が次々と飛んでいく音で目を覚まし、家族と自宅内のシェルターに逃げ込んだ。間もなくハマスの戦闘員が侵入し、シェルターのドア越しに発砲してきた。ドアの取っ手を押さえていたバハルさんは脚や腕に被弾。息子のカルメルさん(当時15歳)も両腕を撃たれた。戦闘員はドアに火を放ち、窓から手投げ弾も投げこんだ。
妻ダナさん(当時48歳)は脇腹を負傷し、その場で息を引き取った。カルメルさんも出血が止まらず、「僕を埋葬する時はサーフボードを一緒に入れて」と言い残して動かなくなった。バハルさんは12時間後に救助されたが、右脚の切断を余儀なくされた。
ベエリでは人口約1200人のうち、101人の住民が殺害された。
バハルさんは、パレスチナとの和平を信じていた。ベエリにはガザ市民と交流する住民もおり、「自分たちはパレスチナとの懸け橋になれる」とも思っていた。
だが、あの日を境に考え方は変わった。「パレスチナの人たちにも良い生活を送ってほしいと思う。けれど、隣り合うパレスチナ国家の樹立は脅威だ。もう和平は信じられない」
絶望と不信感の中で迎える総選挙。和平を唱える左派には投票できない。ただ、越境攻撃を防げなかったネタニヤフ政権も支持できない。当日は右派の野党候補に1票を投じるつもりだ。
ハマスの襲撃を機に、イスラエルでは中東和平の機運がしぼんだ。テルアビブ大の世論調査では、パレスチナ独立による「2国家解決」の支持率は23年9月は38%だったが、26年7月には24%に下がった。
与党の右派リクードを率いるネタニヤフ首相は「私が首相である限り、パレスチナ国家が樹立されることはない」と訴える。有力な対抗馬とされ、中道政党「ヤシャル」を率いる元軍トップ、アイゼンコット氏も「2国家解決を考えることは幻想だ」と語る。和平は選挙の対立軸にはなっていない。
ベエリの住民代表を務めるガル・コーヘンさん(61)は「最終的な解決にはパレスチナとの和平合意が必要だとの考えには変わりはない」と語りつつ、こう指摘した。「ハマスの無差別な攻撃を目の当たりにし、人々の和平への信念が揺らいでいる」
戦火にさらされた北部では…
一連の戦闘の影響は、イスラエル北部にも色濃く残っていた。レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラの攻撃にさらされてきた地域だ。
「戦闘が続いたこの3年で感じたのは、ユダヤ人とアラブ人の共存は難しいということだ」…
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