『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:30年後の景色(神村学園高・有村圭一郎監督、栢野裕一コーチ)

30年ぶりに国立ファイナルへ帰ってきた神村学園高の有村圭一郎監督(左)と栢野裕一コーチ

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」  冷たい雨の降る国立競技場の芝生の上で、日本一の歓喜を味わってからちょうど30年後。まさか今度は指導者になって、一緒にこの晴れ舞台に戻ってくるなんて想像もしていなかったけれど、最高の選手たちと、最高のスタッフと、再び目にした一番高いところからの景色は、やっぱり最高だった。 「感動しました。実際に指導者になって、選手権に帰ってきて、シチュエーションも含めて、いろいろな人たちが積み上げてきたものがこの舞台で完結したなということを感じて、もう最高でした。喜びにも30年分の深みが出た感じがしましたね」(神村学園高・栢野裕一コーチ)

 74回大会ではお互いに選手として、104回大会では監督とコーチとして、2度の選手権制覇を味わった高校時代の同級生。神村学園高の有村圭一郎監督と栢野裕一コーチは、“30年周期”でやってきた不思議な巡り合わせに、恩師が見せてくれた背中を思い出していた。

「なかなかこういう経験もできないと思うので、正直なところ感慨深いというか、嬉しいだけではなくて、いろいろな感情が押し寄せてきますね。あれから30年経ったんだなって感じます」。  翌日にファイナルを控えた前日練習後。栢野コーチはここまで勝ち上がってきた感慨を問われ、笑顔でそう語ってくれたが、口を衝いた『あれから30年』というフレーズには、少し説明が必要だろう。  1996年1月8日。国立競技場。有村監督は背番号2の右ウイングバックとして、栢野コーチは背番号3のセンターバックとして、鹿児島実高の赤いユニフォームを纏い、静岡学園高と対峙する選手権決勝のピッチに立っていた。  試合は静岡学園が2点を先行したものの、栢野コーチのヘディングで鹿児島実が1点を返すと、終了間際の77分(当時は決勝も40分ハーフ)に再び栢野コーチがゴールを叩き出し、スコアは振り出しに。延長でも決着はつかず、両校優勝という形ではあったが、鹿児島に初めて選手権のタイトルがもたらされる。 「国立というところは凄いところで、良いところだと高校サッカーで知れたことは大きいですよね。だから、いまだに『国立はいいぞ』と言えていることで、子どもたちもそこに向けて叶えようとする意識がありますし、誰でも行ける場所ではないので、僕にとってサッカー人生の大きな土台になるような出来事だったのかなと思います」(有村監督)  高校卒業後の有村監督は福岡教育大に進学し、高校時代に師事した松澤隆司先生の勧めもあって、2002年から神村学園中のサッカー部監督を務め、2014年に高等部のサッカー部監督へ就任。一方、関西大に進んだ栢野コーチは教員として鹿児島の鳳凰高へ赴任し、女子サッカー部の指導に携わることになる。  そんな2人の人生が、再び交差したのは8年前のことだ。 「有村がなかなか選手権で勝てなかったころに、『一緒にどうか』と声を掛けてもらったんです。ただ、僕自身も前任の鳳凰高校で一生懸命女子の指導をやっていたので、『じゃあ選手権で勝ったら来てくれ』と。それで高橋大悟(北九州)が3年生の時に、やっと選手権を勝ったんですよね。もともと話をもらったのも、ちょうど松澤先生が亡くなられるぐらいのタイミングで、松澤先生の遺志を引き継いでいくという意味も含めて、1つのきっかけじゃないかと」(栢野コーチ)  2018年から栢野コーチは神村学園へと移り、青春時代の3年間をともに過ごした“同級生”と鹿児島のサッカーのさらなる発展を期して、明確に全国制覇を掲げる高校生たちの指導に当たる日々がスタートする。  当初は周囲からも“同級生”という関係を懸念する声もあったそうだが、本人たちにはまったくそんな心配はなかったという。 「結構『同級生で大丈夫なの?』みたいなことを言われますけど、僕らからすれば高校時代からずっとワイワイしながら、真面目な話もしたり、ふざけたりしてやってきたので、その延長みたいな感じですかね。その中で選手を育てながら、サッカーを通じて地元を盛り上げたりとか、サッカーを通じて子どもたちの人間形成をしていきたいというビジョンが一緒なので、同級生だから言えることもいっぱいありますし、友だちといろいろ言い合いながら、楽しんでいる感じです(笑)」(栢野コーチ)  有村監督も栢野コーチを含めたスタッフ陣には全幅の信頼を置いている。「栢野だけではなくて近い年の人たちなので、気を遣わなくていいですし、みんなプロフェッショナルにやってくれるので、そういう良いスタッフに恵まれて、ここまで勝ち上がってきたことに、僕からしたら感謝しかないです。良い想いをさせてもらっています」。  翌日に迫った選手権決勝。今度は指導者として臨む大舞台に、栢野コーチもとにかく楽しみだという気持ちを隠さない。 「不思議な感じですよね。明日のゲームを前にしたら、どういう気持ちになるかはわからないですけど、こうやって1つの目標が叶えられる目前にいるのは、ワクワクしますよ。それこそ高校生の時は感じたり、考えたりできなかったことが、今になって『あの時はこうだったんだな』とわかることもあって、松澤先生や当時のスタッフの方々も我々と同じ想いがあって、決勝に向けて『頑張ってこいよ』とおっしゃっていたところもあったのかなと」。 「そういう意味でも、僕らスタッフが一番楽しくやれているのかもしれないですね。もう50歳を前にしながら、新鮮な気持ちでやっていますし、『昔の僕らはこうだった』と何かを押し付けるつもりはないので、僕らもいろいろと勉強しながら指導している中で、子どもたちに教えてもらっているところもありますし、子どもたちにここまで連れてきてもらったところもあるので、いろいろなことが体験できて、凄く幸せです」。  この日の取材が終わるころに、有村監督がこんなことをそっと教えてくれた。「実は“30年”っていう数字には縁起があって、松澤先生が鹿児島実業の監督になってから、優勝するまでに30年かかっているんです。それが僕らの時で、今度はそんな僕らが指導者になって、今その優勝から30年目で、『何かあるんじゃない?』と言っていて、『本当に決勝まで残ってきたよ。どうする?』って(笑)」 「何か数字の因縁みたいなものもある中で、選手権の決勝を戦えることは本当に光栄でしかないですし、もちろん勝った負けたはあるんでしょうけど、やることを目いっぱいやりたいなと思っています。メッチャ楽しみですね。緊張するとか、何かいいことをしなきゃという想いはもともとないので、楽しみでしかないです。『やったるぜ』という気持ちですよ」。  選手たちがトレーニングに励む傍らで、グラウンドに座りながらリフティングを楽しんでいる有村監督の、チームスタッフと笑顔でボールを蹴り合っている栢野コーチの、実にリラックスした表情が印象的だった。2人にとっては“30年ぶり”の国立ファイナル。“30年ぶり”となる冬の日本一まではあと1勝。

決勝前日練習中。1人でリフティングに興じる有村監督

決勝前日練習中。スタッフとボールを蹴り合う栢野コーチ
「優勝した瞬間は信じられない気持ちの方が大きくて、『信じられなかったら涙は出ないんだな』と思いました」。  優勝監督として臨んだ決勝後の記者会見。有村監督はいつも通りの佇まいで、そこに座っていた。30年ぶりの決勝を戦った感慨を問われ、「国立競技場がまずは新しくなっていました」と報道陣を笑わせながら、「僕らの時は6万人も入っていなかったので、その圧倒的な観衆の前でサッカーができることが幸せですし、やっぱり国立競技場というのは素晴らしいところで、子どもたちに立ってほしいピッチだなということは、今日改めて感じました」とも口にする。  勝因について語った言葉も、何ともこの人らしい。「選手の時も自分がやってやったということはなくて、試合には出ていましたけど、みんなに優勝させてもらったという気持ちの方が強かったと思います。それは監督でもそうで、今日も何か私が特別なことをしたのではなくて、優秀なスタッフがしっかりと子どもたちをコントロールして、勝利に向かってやってくれた結果かなと思います」。  いつだって地元・鹿児島のサッカーに対して、自分に何ができるかを考えてきた。以前伺った話も、強く記憶に残っている。「松澤先生が築き上げてきた鹿実での実績も素晴らしいですけど、さらに僕らみたいな後進の指導者も育てているわけで、『オマエらも頑張ってやってみろ』という道を作ってくださったんですよね。いわば鹿児島でもライバルになり得るかもしれない高校に自分の教え子を送り出して、今となったら実際に鹿実のライバルになっているわけで、そうすることによってずっと“松澤イズム”は残っていきますし、僕らはそれを受け継いでやっていかないといけないと思っています」 「僕は鹿児島のサッカーがもっと発展してほしいんです。そのために環境整備も含めて自分にできることがあればやっていきたいと思います。せっかく僕らも鹿児島で育って、鹿児島で頑張らせてもらってきたので、鹿児島のサッカーに恩返しできることが一番いいですよね」。  今大会は『強い鹿児島を取り戻す』というフレーズを掲げて、決勝まで駆け上がってきた。今回の結果が“地元”の子どもたちに与える影響にも、こう想いを馳せる。 「小学生や中学生のサッカーを志してくれる鹿児島県の子どもたちが、憧れを持って今日の試合を見てくれたり、未来を描いてくれたのだとしたら、我々としてはそれが何より嬉しいことですし、今度は我々が今日の試合を見てくれていた子たちを預かるわけですから、そうやって時代を繋いでいけたらなと思っています」。  やはり有村監督は、日本一になっても有村監督だった。 「あの頃を思い出すというよりは、今まで神村でやってきたことがやっと実になったなという想いもありましたし、僕たちスタッフはファミリー感が強くて、年代が近いのもあって、選手と同じような感覚で喜べたんじゃないかなと思います」。  試合後の栢野コーチは満面の笑みを浮かべていた。タイムアップ直後はなかなか実感が湧かなかったが、観客席を一周して、応援団の前で喜ぶ選手たちの姿を見たころには、ようやく指導者としても冬の全国優勝にたどり着いた感慨が、少しずつこみあげてきたそうだ。  再び追い求めてきた舞台に帰り、追い求めてきた結果を手繰り寄せた今、感じたのはやはり恩師が話していた言葉の意味だったという。 「高校生のころは松澤先生から、日本一に対しても『みなさんのおかげだ』と言われていた部分もあったので、『そうなんだな』と思っていましたけど、指導者になって、あれから30年経ってみると、あの時に言われていたことがどういうことだったのかが整理できたというか、『こういうことなんだな』とわかってきたので、それをちゃんと今の子どもたちに伝えていって、子どもたちがまたそれを次の世代に伝えていってくれればなと思います」。  松澤先生が鹿児島実業の監督として地道に蒔いた種は、30年の時を経て、有村監督や栢野コーチをはじめとした教え子たちによって、日本一という形で1つの結実を見た。そして、それからさらに30年が経った今。その時を知る2人が、今度は指導者として全国の頂点に立ち、次代の鹿児島のサッカー界を担う子どもたちに大きな勇気を与えている。  1度目は選手として、2度目は監督とコーチとして、2度の選手権制覇を味わった高校時代の同級生。神村学園の有村圭一郎監督と栢野裕一コーチが、鹿児島の地で今も丁寧に蒔き続けている希望の種が、これから30年後にどういう形で力強く、美しい花を咲かせることになるのか、今から楽しみでならない。 ■執筆者紹介: 土屋雅史 「群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に『蹴球ヒストリア: 「サッカーに魅入られた同志たち」の幸せな来歴』『高校サッカー 新時代を戦う監督たち』▼関連リンク SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

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