九死に一生の職人夫婦ーー佳子さま着用で注文殺到、輪島塗の新たな形 #災害に備える #知り続ける能登

堅牢(けんろう)さと優美さを兼ね備え、「一生ものの器」と言われる日本の代表的な漆器、輪島塗。その産地、石川県輪島市は2024年、大地震と豪雨の2つの災害に見舞われた。元日に発生した能登半島地震では激しい揺れが火災を起こし、多くの住宅が被害にあった。自宅に工房を構えていた輪島塗職人の多くが、先行きの見えない状況に追い込まれた。升井克宗さん(67)もその一人。部屋の柱一本だけが折れずに残り、妻・佳美さん(65)ともども命こそ助かったものの、自宅兼工房は全壊。長年使い続けてきた漆器や道具を失った。この地で仕事を続けることに不安はあった。それでも「残ることが復興」と輪島にとどまる道を選び、震災前から取り組んでいた「漆のアクセサリー」で再出発を決意する。震災からまもなく2年。故郷の再生を信じて手を動かし続ける夫婦のいまを取材した。

<ようこそ輪島へ、ありがとうまた来てね>

升井克宗さんと妻・佳美さん 自宅の跡地にて

家々が立ち並ぶ一角に、背丈ほどのススキや雑草が生い茂る更地がある。2年前の能登半島地震で全壊した、升井克宗さんと妻・佳美さんの自宅の跡地だ。かつての住まいと工房には砂利が敷かれ中古車が並び、その隣にあった車庫は雑草に覆われている。

「ここが玄関...?」

「なんで?ここが手を洗うとこやったやろ?」

「もう忘れてしもた……」佳美さんが小さく笑う。

数年前に家の前に道路が新設され、そこをまっすぐ進めば朝市に着く。観光客も多く通るはずだった。自宅にギャラリーを作れば、立ち寄ってくれるのではないかと思い、道路沿いの壁面に「ようこそ輪島へ」。帰るときは、「ありがとう、また来てね」と掲げる予定だった。そんな思いも、叶えられなくなってしまった。

<制作再開、輪島塗の仮設工房>

輪島塗の事業者の支援のため設置された仮設工房

「輪島の冬は、だいたいこんな雲やね」

地震から1年半以上が過ぎた2025年秋。どんよりとした北陸特有の空の下、升井さん夫妻は輪島市内を通る国道249号のバイパス沿いに並ぶコンテナ状の建物に向かっていた。被災した職人たちのために設けられた仮設工房。夫婦のいまの仕事場だ。

災害によって輪島塗が受けた打撃は大きかった。輪島漆器商工業協同組合(加盟103事業所)によると、17の事業所が輪島朝市通りの大規模火災で焼失したほか、60を超える工房が半壊以上の被害にあったという。

輪島塗事業者の声を受け、石川県は仮設工房の設置支援を政府に要望。現在は市内10カ所に計85室の仮設工房がある。升井さん夫妻がいる杉平町地区には30の事業者が入居。各工房の前には作家や職人、作品を紹介するタペストリーが掲げられ、25〜30平方メートルの板張りの空間には洗い場やトイレ、シャワーも備えられている。升井さんは2024年9月に機械や備品などの支援を受け、活動を再開した。ただ、慣れない環境に戸惑う職人も少なくない。「大雨で全部縮んだんや。全部塗り直しや」そう語るのは、創業100年を超える鮓井(すしい)漆器店の3代目、鮓井辰也さん(73)。朝市通りで40年以上、箸を中心に輪島塗の製造販売を続けてきたが、地震で店舗は倒壊。豪雨では道具や漆が流され、泥にまみれた。避難所では仕事のことを考える余裕すらなく、一時は廃業も頭をよぎった。仮設工房でなんとか再開にこぎつけたが、湿度や温度がかつての工房とは異なり、繊細な漆の扱いには苦労が絶えないという。

<九死に一生、全壊からの再出発>

升井さん夫妻の2階建ての自宅兼工房。1階部分が押しつぶされ倒壊した

升井さん夫妻が暮らしているのは、輪島港に近い埋立地、マリンタウンにあるみなし仮設住宅のアパートだ。震災前、正月には息子や娘夫婦、孫たちが帰省してくるのが常だった。地震があったあの年は、工房の改装のため夫婦2人で迎えた正月だった。

午後4時6分。

「夜はすき焼きにでもしようか」と2人でスーパーに買い物に出る支度をしていたそのとき、グラッと揺れた。テレビを見ると震度5強の表示。

「いつものやつやね」と再び出かけようとしたとき、先ほどとは比べものにならない強い揺れに襲われた。1階の居間にいた2人は、とっさに目の前のこたつの下に潜り込んだ。揺れがおさまり、おそるおそる顔をあげると、天井がすぐ頭のそばまで落ちてきていた。がれきをかき分けながら40分近くはいずり回り、ようやく2階の屋根から外へ出た。靴もなく、瓦やガラスの破片が散らばるなかを、無我夢中で避難所へ向かった。

途中、地上7階建ての輪島塗の老舗「五島屋」のビルが横倒しになっているのが目に入った。自分たちがとんでもない地震にあったのだと実感した。

<輪島塗の低迷がきっかけ、漆のアクセサリー>

[漆のアクセサリー]輪島地の粉を使ってくすみカラーを表現した

升井さんのかつての自宅は、朝市で知られる輪島市河井町にあり、祖父から三代続く職人の家だった。家業を継ぐことに迷いはなく、東京の大学を卒業後、石川県立輪島漆芸技術研修所で基礎を学び、輪島塗特有の職人「呂色師(ろいろし)」になった。

呂色は、蒔絵(まきえ)や沈金(ちんきん)と並ぶ加飾の一つで、漆の塗膜を炭や砥石(といし)で磨き上げ、鏡のような深いつやを生み出す。輪島塗は室町時代に伝わったのが始まりとされ、江戸時代中期には北前船を通じて全国に流通するようになった。木材の加工から装飾まで100以上の工程と、職人による高度な分業制が特徴で、1975年には国の伝統工芸品に、1977年には重要無形文化財に指定された。使用素材や手法にも厳密な基準があり、大切に使えば100年持つといわれ、多くの人に愛されてきた。

父に弟子入りした1980年代、輪島塗は婚礼家具や贈答品として需要が高く、工房にはお盆やテーブルなどが山積みされ、廊下にまであふれることも珍しくなかったという。呂色師は仕上げを担当するため、升井家では百貨店の正月商戦に向け、9月の祭りが終わると夜間の残業が始まるのが常だった。クリスマスを家族で過ごした記憶はない。

しかし、升井さんの代になって10年ほどたった頃から、かげりが見え始めた。季節の行事離れや合成樹脂塗料の安価な食器が普及するにつれ、輪島塗の需要はみるみる減っていった。12月30日まで働くのが当たり前だったのが、25日、20日、15日と短くなり、やがて夜なべをする必要もなくなった。弟子からは「今日は何をしますか?」と尋ねられる日も出てきた。升井さん自身は、その腕を買われ、世界的ブランドの製品を任されるなど仕事を続けてこられた。それでも年齢による体力の衰えや、将来への不安が募っていった。

「子どもの学費もかかるし、自分たちも食べていかないといけない。この先、どうやって生きていくのか」

そう悩んだ末、夫婦2人でできるものをと考えたのが「漆のアクセサリー」だった。佳美さんが仕事の合間に手作りしていたアクセサリーを商品にしてみようと決めたのだ。分業に頼らず、夫婦2人で作ることで価格を抑え、若い人の生活にも寄り添う漆を届けたい。こうして2人は、新しい道へと歩み始めた。

<[ニセ輪島塗?]心の中に生まれた迷い>

自宅の一室でアクセサリーの珠に漆を塗る

2人が手がけるアクセサリーは、克宗さんが漆を塗った珠(たま)に、佳美さんが金具を取り付けて一つの形になる。真塗り(しんぬり)と呼ばれる無垢(むく)の漆の珠を中心に、金沢箔を施したもの、呂色師ならではの変塗りの技法を用いた脂肪漆、銀次塗りなどの珠、真珠核に色漆と輪島地の粉(じのこ)を混ぜ合わせた、珍しいくすみカラーの珠もある。漆がもつ深みのある色は、狙って出せるものではなく、その時々の漆の状態に左右されるという。

「漆は生き物。全く同じ色は二度とできない」

価格を抑えるため、下地工程を省き、中塗りから制作を始める。その分、珠の素材選びには時間をかける。密度が高く、漆が定着しやすい黒檀(こくたん)、軽量で大径の珠に向くブナ、丸い形を生かすため、漆との相性が悪いとされる養殖真珠用の核にも挑戦した。素材の表面に油や薬品が残っていると、漆がうまく乗らないため、珠は一つ一つ研磨し、水洗いして乾燥させてから中塗りに入る。塗る際に珠の穴に差す楊枝(ようじ)には、ほこりが付きにくい竹製を使う。

仕上げの上塗りでは、職人以外は部屋に誰も入らない。床から作業台まで徹底的に掃除し、冬場を除いて裸になって塗る。衣服から出るわずかなほこりを避けるためだ。漆は湿度によって硬化し、乾燥にも時間がかかる。上塗り後、色味を引き出すために紫外線を当てる工程も含め、一つの珠が完成するまでに約3か月かかる。

金具選びも容易ではない。輪島にはアクセサリーパーツを扱う店がなく、佳美さんがネットで取り寄せては珠と合わせ、使えるかどうかを確かめる。箔(はく)の貼り方は動画を見ながら独学で覚えた。SNSでの発信も、慣れないながら続けてきた。こうした丁寧な作りと、伝統に縛られない素材や色味が評判を呼び、BEAMSなどの有名店でも扱われるようになった。

一方で、迷いも生まれていた。

「ニセものの輪島塗を作っているんじゃないか。そんなふうに思うこともありました」

ここは漆器の聖地、輪島。伝統を裏切っていないかと、佳美さんは立ち止まって考え込む時もあった。新型コロナウイルスの流行など向かい風もあったが、地道に続けるうちに、若い世代や漆になじみのなかった人たちにも少しずつ届き始めていた。そんな時に襲ってきたのが、あの地震だった。

升井さん夫妻は、避難所から壊れた自宅に通い、漆や道具、散乱した珠を一つずつ拾い集めた。「バールで壁に穴を開けて、ノコギリで切って。ほふく前進みたいな感じ」。泥や砂にまみれた珠を水で洗い、心配して連絡をくれた取引先に商品を出荷した。「何かやらなきゃって感じで、やっていなかったら不安だった」。避難所生活の間も、升井さん夫婦の手が止まることはなかった

<輪島塗の未来、ふるさとの復興>

升井さん夫妻の新しい仕事場[仮設工房]

それは2025年4月のことだった。日本工芸会の総裁に就任した秋篠宮家の次女・佳子さまが輪島を訪問した。その姿を見て、升井さん夫妻は驚いた。

「似ているとは思ったけど、まさか自分たちのだとは思わなかった」

佳子さまが、2人がつくった漆のイヤリングを身につけていたのだ。

その後も佳子さまは、ブラジル訪問時や大阪・関西万博を訪れた際にも、升井さん夫妻のイヤリングを着けていた。反響は瞬く間に広がり、数千個という注文が舞い込んだ。制作が追いつかなくなったほどだ。「地震が来て『どうしようか?』となっていたんですけど、もう少し続けて良いのかなと」これが2人を勇気づけた。

心強い味方も現れた。「かわいい!扱わせてください!」漆では珍しいカラフルな色を見て、升井さんのアクセサリーに惚れ込んだ浦出真由さん。蒔絵職人の父のもとで育った浦出さんは東京で就職したが「輪島のために何かしたい」とUターン。会社を立ち上げ、升井さん夫妻のアクセサリーを中心に扱っている。浦出さん自身も被災し自宅を失ったが、いまは金沢と輪島を行き来し、ときに仮設工房に寝泊まりしながら、漆の魅力を届けるため販路拡大に努めている。「あと何年できるかわからないけど、輪島に残ることが復興やと思う」輪島塗の未来は、決して明るいとは言い切れない。町の道路には今も地割れが残り、更地になった住宅の跡地や仮設住宅が点在する。升井さん夫妻は、復興への道のりは想像以上に遠いと感じている。それでも故郷の再生を信じ、アクセサリーをつくり続ける。

取材・撮影・編集:小林瞬、中村朱里

プロデューサー :金川雄策、長澤優花

記事監修    :国分高史、飯田和樹

「#災害に備える」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。地震や台風、火山の噴火などの自然災害は、「いつ」「どこで」発生するかわかりません。Yahoo!ニュースでは、オリジナルコンテンツを通して災害への理解を深め、安全確保のための知識や、備えておくための情報をお届けします。

【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は、ドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】

映像ディレクター

監督/撮影/編集を共同で制作しています。 熊本・産山村であか牛を育てる井信行さんのドキュメンタリー映画「村で生きる」が第40回農業ジャーナリスト賞を受賞、TDFF2025長編部門 準グランプリ。

*******
****************************************************************************
*******
****************************************************************************

関連記事: