井上尚弥は何歳まで現役?「最近変わってきて」大橋会長と異色の初対談実現 創刊80周年企画
日刊スポーツは6日に創刊80周年を迎える。80周年の特別企画として、ボクシング4団体統一スーパーバンタム級王者井上尚弥(32=大橋)が、30年以上も日刊スポーツ評論家を務める所属ジムの大橋秀行会長(60)と異色の師弟初対談に臨んだ。2人にとってのメディア、うわさされるビッグマッチ、テレビ、配信と移り変わる中継、そして近未来について語り合った。ボクシング界をけん引する世界王者とプロモーターが本音トークをぶつけ合った。【取材、構成=藤中栄二、首藤正徳、田口潤】
◆スポーツ紙とは
井上 今、1番触れる時は試合後ですよ。試合翌日に新聞を持って写真を撮ってもらう時かなと。これは世代の違いですか?
大橋会長 自分の時代は電車でみんな新聞を縦長に折って読んでいたから。
井上 その風景、分かります。実家で日刊スポーツを宅配していたので子供の頃は家にありました。
大橋会長 そうなんだ。試合前の相手のことは当時は情報はスポーツ紙で入手するしかなかった。あといかに大きく取り上げてもらうかを考えていたよね。
井上 今は(スマホで記事が)流れてきますから。試合後、自分の記事も読みますし今は(批判的内容も)取り上げられてナンボだと思っています。後々自分が会長の後を継ぐとなれば、選手育成も考えると(メディアとの関係は)大事になってきますしね。
◆うわさのビッグマッチ
井上 2年前は東京ドームでやれるという気持ちはなかった。実際に1回やってみたら、すごく特別な瞬間で「またやりたい」と会長にも話しました。
大橋会長 そうそう、もう1回ってね。うわさされる試合をやるなら…と。
井上 自分1人の力ではダメで、相手あってのことだと思う。よくライバルがいないと言われますが、ドームクラスのカードを組めるというのは時代を味方にできていると感じますね。
大橋会長 自分の時は日本人王者同士が戦うなんて無理で。中継するテレビ局が違うし戦えないと。今は関係なくなったからね。
◆中継は配信時代
21年12月、井上が日本人王者としてPPV配信を初実施。
大橋会長 あの時が一番大変で「何で配信なの」と批判的な声もあった。今では当たり前に。あの時の演出もファンに白の衣装で来場してと、ドレスコードを設けたり。すごかったね。
井上 話し合っていろいろ試そうと考えました。業界的な流れが変わっていくと想像していました。
大橋会長 配信だと一気に世界へ拡散される。(24年6月に)一緒にニューヨークに行った時は出待ちがすごく多かったよね?
井上 確かに海外の反応は全然違います。ボクシングと関係ない場所、街で声をかけられる。それが本当にビックリします。自分が辞めてからも配信を継続していかなくてはいけない責任感もあります。
大橋会長 これが続かないと意味がないからね。
井上 今から意識して会長(の興行運営ぶりを)見ているのですが、あんまり見せてくれないんですよ。
大橋会長 手取り足取り説明しているよ(笑い)。尚弥の世界的知名度は強み、すごい武器だからね。
井上 あとは自分の英語力です(苦笑)。自分がプロモーターになっても会長と一緒にやっていきます。
◆現役は何歳まで?
井上 ここ最近、変わってきて、年齢ではないと。練習への姿勢、取り組みが変わってきたら辞め時かなと思います。パフォーマンスではなくて気持ち。今は強くなりたい思いがあるので。サウジアラビアの時もトップの練習量まで上げることができたので全然、いける。でもこれでいいやとか100%の練習を70%に落として挑んだら少し考え方も変わると思います。
大橋会長 いかに気持ちを入れて練習するかが大事。見ていると、これから全盛期という反応が見える。
井上 年齢とともに落ちる部分はありますが、そこを理解し、受け入れ、どう向き合うかなんです。
大橋会長 衰えを認めないでいたらダメになるよ。ただ違う技術を使って戦うことはいくらでもできる。衰えを認めるのは嫌なものだからね。
井上 はい。認めるのは嫌です。でも、それは当たり前のこと。どう理解して戦うかなんです。
◆井上尚弥(いのうえ・なおや)1993年(平5)4月10日、神奈川・座間市生まれ。父真吾氏の影響で小学1年から競技開始。高校時代にアマ7冠。12年7月にプロ転向。14年4月、6戦目でWBC世界ライトフライ級王座を奪取。14年12月、8戦目でWBO世界スーパーフライ級王座を獲得し2階級制覇。18年5月、WBA世界バンタム級王座を獲得し3階級制覇。19年5月にIBF同級王座、同年11月、WBSS同級制覇。22年12月、史上9人目の4団体統一王者に。23年7月にWBC、WBO世界スーパーバンタム級王座を獲得して4階級制覇。同12月に史上2人目となる2階級での4団体統一に成功。身長164・5センチの右ボクサーファイター。
◆大橋秀行(おおはし・ひでゆき)1965年(昭40)3月8日、横浜生まれ。横浜高2年時にインターハイ(モスキート級)優勝。専大中退後にヨネクラジム入りし、85年デビュー。軽量級とは思えない強打が武器で「150年に1人の天才」の異名を持つ。86年の7戦目での世界初挑戦はKO負けも、90年に3度目の挑戦でWBC世界ミニマム級王座を獲得。1度は陥落も、92年WBA世界同級王座獲得。94年に現役引退。通算戦績は19勝(12KO)5敗。同年に大橋ジムを開設し、5人の世界王者を育てる。
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日刊スポーツは6日に創刊80周年を迎える。80周年の特別企画として、ボクシング4団体統一スーパーバンタム級王者井上尚弥(32=大橋)が、30年以上も日刊スポーツ評論家を務める所属ジムの大橋秀行会長(60)と異色の師弟初対談に臨んだ。2人にとってのメディア、うわさされるビッグマッチ、テレビ、配信と移り変わる中継、そして近未来について語り合った。ボクシング界をけん引する世界王者とプロモーターが本音トークをぶつけ合った。【取材、構成=藤中栄二、首藤正徳、田口潤】
◆スポーツ紙とは
井上 今、1番触れる時は試合後ですよ。試合翌日に新聞を持って写真を撮ってもらう時かなと。これは世代の違いですか?
大橋会長 自分の時代は電車でみんな新聞を縦長に折って読んでいたから。
井上 その風景、分かります。実家で日刊スポーツを宅配していたので子供の頃は家にありました。
大橋会長 そうなんだ。試合前の相手のことは当時は情報はスポーツ紙で入手するしかなかった。あといかに大きく取り上げてもらうかを考えていたよね。
井上 今は(スマホで記事が)流れてきますから。試合後、自分の記事も読みますし今は(批判的内容も)取り上げられてナンボだと思っています。後々自分が会長の後を継ぐとなれば、選手育成も考えると(メディアとの関係は)大事になってきますしね。
◆うわさのビッグマッチ
井上 2年前は東京ドームでやれるという気持ちはなかった。実際に1回やってみたら、すごく特別な瞬間で「またやりたい」と会長にも話しました。
大橋会長 そうそう、もう1回ってね。うわさされる試合をやるなら…と。
井上 自分1人の力ではダメで、相手あってのことだと思う。よくライバルがいないと言われますが、ドームクラスのカードを組めるというのは時代を味方にできていると感じますね。
大橋会長 自分の時は日本人王者同士が戦うなんて無理で。中継するテレビ局が違うし戦えないと。今は関係なくなったからね。
◆中継は配信時代
21年12月、井上が日本人王者としてPPV配信を初実施。
大橋会長 あの時が一番大変で「何で配信なの」と批判的な声もあった。今では当たり前に。あの時の演出もファンに白の衣装で来場してと、ドレスコードを設けたり。すごかったね。
井上 話し合っていろいろ試そうと考えました。業界的な流れが変わっていくと想像していました。
大橋会長 配信だと一気に世界へ拡散される。(24年6月に)一緒にニューヨークに行った時は出待ちがすごく多かったよね?
井上 確かに海外の反応は全然違います。ボクシングと関係ない場所、街で声をかけられる。それが本当にビックリします。自分が辞めてからも配信を継続していかなくてはいけない責任感もあります。
大橋会長 これが続かないと意味がないからね。
井上 今から意識して会長(の興行運営ぶりを)見ているのですが、あんまり見せてくれないんですよ。
大橋会長 手取り足取り説明しているよ(笑い)。尚弥の世界的知名度は強み、すごい武器だからね。
井上 あとは自分の英語力です(苦笑)。自分がプロモーターになっても会長と一緒にやっていきます。
◆現役は何歳まで?
井上 ここ最近、変わってきて、年齢ではないと。練習への姿勢、取り組みが変わってきたら辞め時かなと思います。パフォーマンスではなくて気持ち。今は強くなりたい思いがあるので。サウジアラビアの時もトップの練習量まで上げることができたので全然、いける。でもこれでいいやとか100%の練習を70%に落として挑んだら少し考え方も変わると思います。
大橋会長 いかに気持ちを入れて練習するかが大事。見ていると、これから全盛期という反応が見える。
井上 年齢とともに落ちる部分はありますが、そこを理解し、受け入れ、どう向き合うかなんです。
大橋会長 衰えを認めないでいたらダメになるよ。ただ違う技術を使って戦うことはいくらでもできる。衰えを認めるのは嫌なものだからね。
井上 はい。認めるのは嫌です。でも、それは当たり前のこと。どう理解して戦うかなんです。
◆井上尚弥(いのうえ・なおや)1993年(平5)4月10日、神奈川・座間市生まれ。父真吾氏の影響で小学1年から競技開始。高校時代にアマ7冠。12年7月にプロ転向。14年4月、6戦目でWBC世界ライトフライ級王座を奪取。14年12月、8戦目でWBO世界スーパーフライ級王座を獲得し2階級制覇。18年5月、WBA世界バンタム級王座を獲得し3階級制覇。19年5月にIBF同級王座、同年11月、WBSS同級制覇。22年12月、史上9人目の4団体統一王者に。23年7月にWBC、WBO世界スーパーバンタム級王座を獲得して4階級制覇。同12月に史上2人目となる2階級での4団体統一に成功。身長164・5センチの右ボクサーファイター。
◆大橋秀行(おおはし・ひでゆき)1965年(昭40)3月8日、横浜生まれ。横浜高2年時にインターハイ(モスキート級)優勝。専大中退後にヨネクラジム入りし、85年デビュー。軽量級とは思えない強打が武器で「150年に1人の天才」の異名を持つ。86年の7戦目での世界初挑戦はKO負けも、90年に3度目の挑戦でWBC世界ミニマム級王座を獲得。1度は陥落も、92年WBA世界同級王座獲得。94年に現役引退。通算戦績は19勝(12KO)5敗。同年に大橋ジムを開設し、5人の世界王者を育てる。