南極氷床の下から発せられた “謎の電波パルス” 新たな研究でも正体をつかめず
「南極の氷の下から、謎の電波パルスが発せられていた」
この書き出しでは、なんだsoraeはオカルトに走るようになったのかと思われそうですが、端的にはこのような表現が当てはまる謎の電波パルスが今回の記事の主題です。
アルゼンチンにある宇宙線観測所「ピエール・オージェ観測所」の国際研究グループは、かつて別の研究機関が運用していた高エネルギーニュートリノ観測装置「ANITA」の観測データと、南極点に設置された「IceCube」ニュートリノ観測所、およびピエールオージェ観測所自身で記録されたデータを比較するとともに、データに基づくシミュレーションを行うことで、ANITAが観測した謎の電波パルスの正体を解き明かそうとしました。
しかし、現時点ではこの電波パルスの正体をつかむことはできず、正体は謎のままとなりました。少なくとも今回の研究によって、電波パルスの原因の最有力候補であった「ニュートリノ」の可能性はかなり低くなり、事実上否定されています。
電波パルスの原因が「暗黒物質(ダークマター)」である可能性もゼロではないものの、もっと普通の説明として、十分に理解されていない南極氷床の中での電波の挙動に起因する可能性もあります。いずれにしても、近いうちに予定されているANITAの後継機「PUEO」の運用開始まで、この謎は据え置きになりそうです。
南極氷床の下から来た「謎の電波パルス」
「ニュートリノ」は、私たちの宇宙を構成する素粒子の1グループです。ニュートリノは今この瞬間も、私たちの身体を1秒間に数百兆個も通過しており、その中には非常にエネルギーが高いものも混ざっています。このような高エネルギーのニュートリノは超新星爆発、ブラックホールのジェット、宇宙誕生の瞬間など、かなり極端な自然現象で発生すると考えられています。ニュートリノは、極端な自然現象に関する、他の観測手法では入手できない情報を含んでいると期待されているため、各地でニュートリノ観測が試みられています。
ところで、ニュートリノは “幽霊粒子” とたとえられるほど、他の物質と衝突することがほとんどないという性質を持っています。「身体を毎秒数百兆個のニュートリノが貫いている」と言われても自覚がないことからも分かる通り、ほとんどのニュートリノは多くの物質を素通りしてしまいます。このためニュートリノを観測すると言っても、それはニュートリノそのものを捉えるという意味ではなく、ニュートリノと原子核との衝突によって発生する別の信号を捉えるということを意味します。例えば、ニュートリノが高層大気の分子に衝突し、大量の粒子が地表へと降り注ぐ「空気シャワー」や、ニュートリノと水分子との衝突で間接的に発生する「チェレンコフ光」が、ニュートリノを観測する手段として利用されています。
【▲ 図1: クレーンで吊るされたANITAの本体。気球によって高層大気に浮上し、多数の白いホーンで電波を捉えます。(Credit: Stephanie Wissel & Penn State / CC BY-NC-NDの画像を許可を得て使用)】ハワイ大学マノア校が主導した「ANITA(Antarctic Impulsive Transient Antenna)(※1)」実験は、気球で吊るしたアンテナを南極上空(高度約38km)に浮上させ、南極氷床にニュートリノ(タウニュートリノ)が衝突した際に生じるチェレンコフ光を観測します。ただしチェレンコフ光と言っても、ANITAが観測するのは信号強度が強いパルス状の電波です。これは、高エネルギーなニュートリノの衝突によって発生したチェレンコフ光が、「アスカリアン効果」と呼ばれる干渉現象を起こして発生します。これにより、ANITAは高エネルギーのニュートリノに焦点を絞って観測することができます。
※1…直訳では意味が通りにくいため、意訳をすると「南極上空における不測的で突発的な現象を捉えるアンテナ」となります。
ANITAは2004年から2018年にかけて、4つの期間に分けて観測を行いました。捉えた電波のほとんどは氷床から浅い角度で発せられたように見えます。これは、ANITAが捉えようとしているニュートリノのエネルギーが高いことと関連しています。
先述した通り、ニュートリノは人体はおろか地球すらも簡単に貫通すると説明されますが、これは低エネルギーのニュートリノにのみ当てはまる話です。ニュートリノのエネルギーが極端に高くなると、さすがに地球のような分厚い物体を貫通するのが難しくなり、地球内部のどこかで衝突するようになります。もちろんANITAは、地球奥深くの電波パルスを捉えることはできません。このためANITAが捉えられる電波パルスは、地球に対してほぼ水平に入射したニュートリノが、南極氷床の浅い場所で水分子と衝突した時に発生したものに限られることになります。
【▲ 図2: 検出された謎の電波パルスの1つ。赤色であるほど電波強度が強いことを示します。地平線(Horizon)よりはるかに下に発生源があることから、この電波パルスは南極氷床の下で発生したことが分かります。(Credit: ANITA Collaboration)】しかし、数多くのANITAの観測結果の中で、2006年と2014年の2回だけ、説明のつかない謎の電波パルスが捉えられていました。この2つの電波は、地平線より30度も下側から発生したように見えます。もしこの電波パルスがニュートリノによって発せられたのだとすると、地球の反対側から入射したニュートリノが、地中を6000~7000kmも貫通した後、南極氷床の下で水分子に衝突し、電波を発したことになります。しかし、理論的には、高エネルギーのニュートリノはこの1割程度の距離しか進むことができません。つまり、本来は観測できないはずの電波パルスを捉えたことになります。これが謎の電波パルスと言われる理由です。
新たな分析でも謎を解明できず
アルゼンチンにある「ピエール・オージェ観測所」の国際研究グループは、この謎を解くための分析を行いました。空気シャワーの正体を突き止めたことで知られる物理学者ピエール・オージェ(1899-1993)に因んでいることからも分かる通り、この観測所は宇宙線観測所です。しかしニュートリノの衝突によっても空気シャワーは発生するため、観測データを精査すれば、空気シャワーの発生源がニュートリノかそれ以外かを見分けることができます。
先述の通り、高エネルギーのニュートリノは地球を数千kmも貫通できませんが、それは絶対的な制約ではなく、確率的な問題です。高エネルギーのニュートリノの数が予想より多ければ、あるいはニュートリノが地球を貫通できない確率を求める計算が間違っていれば、地球の裏側からでも高エネルギーのニュートリノが届くことになり、ANITAで観測できたことの説明がつきます。もしその場合、ニュートリノを観測できる他の施設でも、同様の謎の電波パルスや、その他の高エネルギーニュートリノに関連する現象を検出できるはずです。
国際研究グループは、ピエール・オージェ観測所に加えて、南極点に設置された「IceCube」ニュートリノ観測所のデータも加え、研究を行いました。ANITAと同じような謎の電波パルスを捉えていないかどうかの比較に加えて、そもそも電波パルスはニュートリノの衝突によって生じたのかどうかという根本的な疑問について、シミュレーションによる検討も実施しました。
ところが分析の結果、ANITAが観測したのと同じような電波パルスは見つかりませんでした。また、高エネルギーのニュートリノが電波パルスの発生源であると仮定した場合、他の数多くの研究結果と矛盾する結果が生じるため、主張に無理があるという結論に達しました。言い換えれば今回の研究は、謎の電波パルスの発生源の正体がニュートリノであることを事実上否定しています。このため研究チームは、この電波パルスの特異さを指して「 “異常な” 電波パルス(“anomalous” radio pulse)」と表現しています。
謎の解決はもう少し先
では結局のところ、ANITAが観測した謎の電波パルスの発生源は何なのでしょうか?これは長年研究者の頭を悩ませているだけでなく、誇張された噂話の原因にもなっています。
例えばANITAについて調べてみると、この電波パルスを発生させた粒子は “時間を逆行している” とか “パラレルワールドから来た” などと説明するものが出てくるかと思いますが、この噂は研究内容に対して曲解を重ねたメディア記事が火種です。どれほどの曲解かと言えば、 “氷の下に埋もれている、宇宙人が作った遺跡から発生した” と主張する方がまだマシと思えるほどです。
真面目な解説に戻りますと、この電波パルスは、観測された当初から、「暗黒物質」を構成する粒子がその源ではないか、とする考えが真剣に検討されてきました。暗黒物質とは、普通の物質よりも宇宙を満たしているものの、重力以外の手段ではほとんど観測不能であると推定されている理論上の物質です。
暗黒物質の性質には様々な説がありますが、一般的に暗黒物質は普通の物質とほとんど衝突しないと考えられています。これはニュートリノとそっくりな性質です。つまり、暗黒物質を構成する粒子が地球を貫通し、南極氷床で水分子と衝突した場合、ニュートリノが発するのと似たような電波パルスが発生してもおかしくはありません。もしも本当に暗黒物質を捉えているならば、これは物理学史上最大の発見の1つになるでしょう。
しかし、提唱された当初はともかく、現在は「謎の電波パルスの発生源が暗黒物質」と単純に主張することには問題があります。ピエール・オージェ観測所やIceCubeの観測により、暗黒物質を構成する粒子の性質はかなり絞り込まれています。現在理解されている暗黒物質の性質からすると、電波パルスの発生源を暗黒物質だと仮定するのは、不可能ではないにしてもやはり無理な部分があります。
また、そもそも暗黒物質が存在するのかどうかすら定かではない中で、「よく分からない電波は、よく分からない物質によって発生した」という結論は、専門家でなくても納得しがたいでしょう。もし仮に、今回観測された電波パルスが暗黒物質に由来するものであると証明する場合、かなり強力な証拠が必要になります。
どちらかと言えば、現時点では証明されていないものの、より普通の物理現象で説明を試みた方が良いかもしれません。例えば、電波パルスは南極氷床を伝わる中で、反射や屈折により進路が曲がります。とはいえ現時点では、今回観測されたほどの極端な曲がり方をするとまでは予測されていません。ただし、今回観測した電波パルスの性質や通過する環境は特殊なため、未知の曲がり方をする可能性は残されています。もしかすると、もっと普通の方法で浅い場所で発生した電波パルスが、未知のプロセスで進路が変更され、南極氷床の奥深くから届いているように見えているのかもしれません。暗黒物質のように、より極端な存在を仮定するのは、南極氷床での電波の進路の理解に欠陥が無いことを証明してからでも遅くはないでしょう。
いずれにしても、現時点では電波パルスの謎を解明することはできず、据え置きとなります。この謎を解き明かすには、もう少し観測データが必要です。例えば、ANITAの後継機として運用が予定されている「PUEO(Payload for Ultrahigh Energy Observations / 超高エネルギー観測ペイロード)」の観測データが揃えば、謎の電波パルスの正体が明らかになるかもしれません。
ひとことコメント
今回の研究だけでは電波パルスの謎を解明することはできなかったけど、近いうちに何かわかるかもしれないよ!(著者)
文/彩恵りり 編集/sorae編集部