『ザ・ゴールデン・カップス』ギタリスト&ボーカリストのエディ藩さん死去 盟友・ミッキー吉野も悲痛「言葉になりません」

22年9月の夕刊フジ・ロック「THE GOLDEN CUPS AT LAST」で笑顔を見せたエディ藩さん(左)とミッキー吉野

ザ・ゴールデン・カップスのギタリスト&ボーカリストで、名曲「横浜ホンキートンク・ブルース」を作曲したエディ藩さん(本名・潘廣源=ばん・こうげん)が10日午前9時37分、感染性心内膜炎のため、横浜市内の病院で亡くなった。77歳だった。

1947年6月22日、横浜・中華街生まれ。67年6月にザ・ゴールデン・カップスとして「いとしのジザベル」でデビューし、68年4月に「長い髪の少女」が大ヒット。GSの代表バンドとして日劇ウエスタンカーニバルなどで人気を博した。

71年の解散後は家業の中華料理店・鴻昌を継ぐ傍ら、82年にソロで出した「横浜ホンキートンク・ブルース」(作詞・藤竜也)がヒット。原田芳雄さん、松田優作さんをはじめ、今も多くの俳優や歌手に歌い継がれ、エディさんは「この曲への感覚は世代を超えて不死身ですね。僕が歌っていても古いとは思わない」と話していた。

68年秋頃のザ・ゴールデン・カップス。左からマモルさん、エディさん、加部さん、平尾さん、ミッキー

04年の映画「ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム」公開を機にカップスが再始動。22年9月の「THE GOLDEN CUPS AT LAST」ライブではキーボードのミッキー吉野(73)と熱く演奏した。最後のステージは24年12月21日の横浜クルージングクラブ。今年6月14日にミッキーと横浜ライブを行う予定だった。

16歳の68年春にカップスに加入したミッキーは「言葉になりません。入院したエディのことが毎日気になり、何度もお見舞いに行かせてもらい、お別れの時間をくれたことにありがとうと言いたい。エディがカップスに誘ってくれなかったら今の僕はいない。バンド仲間というより恩人、感謝の気持ちが強いです。本当に残念」と惜しんだ。

カップスのオリジナルメンバーはほか、ボーカルのデイヴ平尾さんが08年、ギターのケネス伊東さんが97年、ベースのルイズルイス加部さんとドラムのマモル・マヌーさんが20年死去。伝説となった。

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