コラム:ドル/円相場の羅針盤、実質長期金利差を読み解く=内田稔氏
[東京 25日] - 2025年が間もなく折り返しを迎える。そこで上半期の為替相場を振り返り、年後半を展望する際の羅針盤を探っておこう。
<ドル円下落は「円高」にあらず>
25年のドル/円は年初の158円台を高値に、じりじりと値を下げた。特にトランプ政権による相互関税の発表を受けて市場が混乱した4月には一時139円台まで下落するなど、年初来の下げ幅は最大で約19円に達した。一時は米国が株、国債、ドルがそろって下落するトリプル安に見舞われたほか、格付け会社ムーディーズによる格下げも相まって、総じてドルに対する弱気な見方が根強い。
このため今年の為替相場に関しても円高が進行しているとの印象を受けるが、クロス円に目をやると状況は大きく異なる。主要通貨(本稿ではドル指数の対象6通貨にドルを合わせた7通貨を指す)の対円相場をみると、年初来約7.8%も下落したドル/円に加え、カナダドル/円も3.4%下落したが、そのほかは上昇している。例えばスウェーデンクローナ/円は約7.1%、スイスフラン/円とユーロ/円もそれぞれ3.9%、3.4%上昇しており、英ポンド/円もわずかに年初の水準を超えてきた(すべて昨年末と6月24日終値との比較)。ドル/円の大幅な下落は主にドル安であって円高ではない。無論、日本経済や企業業績にとっての影響力に照らせば、ドル/円が重要ではあるが、為替市場を分析する観点であえて言うならば、25年も総じて円は弱いままだ。
<為替相場の羅針盤>
為替市場では、金融政策の方向性や金利差が常に重視される。このため昨年以降多くの中央銀行が利下げに踏み切る中で日銀が利上げを模索していることから、総じて円高が見込まれている。ドル/円についても米連邦準備理事会(FRB)が年後半に利下げを再開するとの見方からドル安・円高予想が根強い。過去最大に膨れ上がっている投機筋の円買いポジションもそうした見方を示している。ただ先述した通り、内外の金融政策の方向が逆であるにもかかわらず、多くのクロス円が上昇している。ドル/円についても昨年を振り返ればFRBが利下げ、日銀が利上げを行ったにもかかわらず、年初よりも年末の方が約16円も高かった。
これらを踏まえると、金融政策の方向の違いをもってドル安・円高を予想するのは必ずしも妥当ではない。ほかに為替相場の動きに影響する重要な羅針盤があるはずで、具体的にはかねて指摘している実質金利の変化が重要と考えられる。特に、長期金利からインフレ率を差し引いた実質長期金利の動きが多くの通貨ペアの動きと整合的である。
<史上最高値に迫るスイスフラン/円>
そのことを確認する為に、年初来のスイスフラン/円や金融政策を振り返っておこう。今年のスイスフラン/円はおおむね173円で始まった後、一旦166円付近まで下落した。しかしその後は騰勢を取り戻し、今月に入って一時181円台に迫るなど、史上最高値を更新した。
金融政策についてみると、スイス国立銀行(中央銀行、SNB)は、今年50ベーシスポイント(bp)の利下げを実施しており、25bpの利上げを行った日本との政策金利差はスイスフラン安・円高を示唆する方向に計75bp変化した。名目長期金利差(スイス-日本)も年初のマイナス78bpからマイナス102bpへとやはりスイスフラン安・円高を促す方向に変化している。すなわち、名目の金利差はスイスフラン/円上昇の動きとは全く不整合だ。
そこで、両国のインフレ率に着目するとスイスでは昨年12月のプラス0.6%(前年比、総合)から今年5月のマイナス0.1%まで0.7%ポイントも低下したのに対し、日本ではプラス3.7%からプラス3.6%までわずかに低下したに過ぎず、依然として高インフレが続いている。これを踏まえた実質長期金利差を比較すると年初よりも36bpだけスイスフラン高・円安を促す方向に変化した計算となり、実際の為替相場の動きと整合的となる。他の通貨ペアもおおむね同様で、年初来の動きは金融政策の方向性や名目の金利差の変化ではなく、実質長期金利差が重要な羅針盤となっている(なお、実質政策金利差の変化は必ずしも為替相場の動きと整合的ではない)。以上を踏まえると、年末に向けての為替相場を見通す上では、金融政策の格差を念頭に置きつつも、実際には長期金利からインフレ率を差し引いた実質長期金利やその差の変化が重要と考えられる。
<米国の実質長期金利は横ばいから小幅上昇>
では、年後半のドル/円相場をこうした見方に沿って展望しておく。米国では労働市場の需給が徐々に緩みつつあり、いずれ利下げが再開されよう。連邦公開市場委員会(FOMC)での記者会見や24日の下院金融サービス委員会での証言を見る限り、7月利下げの可能性は低いようだ。それでも8月までには米中間の関税交渉の着地も見え始める。現時点では、9月の利下げ再開が有力ではないか。
一方、トランプ減税の延長を含む財政法案が可決されれば、インフレ期待の上昇が長期金利を押し上げる可能性が高い。それが「悪い金利上昇」とみなされればドル安に波及する可能性もあるが、米株式相場は既に年初来の水準を回復している。今月の30年国債入札でも堅調な需要が確認されており、トリプル安の動きは既に沈静化しつつある。その上、6月5日に米財務省が公表した外国為替政策報告書を見る限り、米国がドル安を企図しているとも考えにくく、為替市場でもドルが長期金利との順相関の関係性を取り戻す可能性が高い。関税やトランプ減税の影響によってインフレ率が上昇すれば、その分だけ実質長期金利の上昇が打ち消されるが、その場合はそもそもFRBが利下げ停止を迫られ、インフレ期待の上昇が長期金利を押し上げる公算が大きい。総じてみれば、米国の実質長期金利は年末に向けておおむね横ばいか小幅に上昇すると考えられる。
<日本の実質長期金利はマイナス圏で横ばい>
日銀は6月の金融政策決定会合で26年度の国債買い入れ減額について、これまでの4000億円(四半期毎)から2000億円へと縮小する方針を決めた。これにより、日銀が大量に国債を保有することによる長期金利の押し下げ効果が一定程度持続することになる。財務省が23日に今年度の超長期債の発行減額を決めたことも相まって、長期金利の上昇も抑制されそうだ。仮に、参院選を控えた財政拡張論が長期金利を押し上げる場合も、それはいわゆる「悪い金利上昇」であって、円高を招くものではないだろう。年初来のドル安円高や原油価格の下落に鑑みれば、輸入インフレはいくらか低下すると考えられる。しかし現在の政策金利は中立金利の下限とされる1%を依然として下回っており、インフレ圧力はしつこく残りそうだ。日銀が正常化スタンスを維持しても、名目長期金利がおおむね横ばい圏で推移し、インフレ率の高止まりが続く可能性が高く、日本の実質長期金利はおおむね横ばい圏で推移し、水準的にもマイナス圏にとどまりそうだ。
<ドル円は底堅さを維持>
以上を踏まえると、日米の金融政策の方向が真逆でも、日米の実質長期金利差に着目する限り、少なくともドル/円が下落トレンドをたどる可能性は低いと考えられる。基本的に140-150円のレンジが続く可能性が高い。その上で、ここから出てくる経済指標や7月に迎える関税交渉の期限、日本の参議院選挙、8月ごろと警戒される米国の債務上限問題、諸々の地政学リスクなどをにらみながら、シナリオを修正していくイメージではないか。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*内田稔氏は高千穂大学商学部教授、株式会社FDAlco外国為替アナリスト、公益財団法人国際通貨研究所客員研究員、証券アナリストジャーナル編集委員会委員、NewsPicks公式コメンテーター(プロピッカー)。慶應義塾大学卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、マーケット業務を歴任。2012年からチーフアナリストを務め、22年4月から高千穂大学商学部准教授、24年4月から現職。J-money誌東京外国為替市場調査では2013年より9年連続個人ランキング1位。国際公認投資アナリスト、日本証券アナリスト協会認定アナリスト、日本テクニカルアナリスト協会認定テクニカルアナリスト、経済学修士(京都産業大学)。YouTubeチャンネル「内田稔教授のマーケットトーク」では解説動画を公開している。
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