沖縄知事選で大敗の玉城氏、2期8年の失政 さらば「オール沖縄」県政 日曜に書く 論説委員・川瀬弘至

落選確実の報を受けて険しい表情を浮かべる現職の玉城デニー氏=9月13日午後、那覇市(星直人撮影)

「人柄は良いのだけれど…」

産経新聞那覇支局長だった頃(令和2~5年)、しばしば耳にした玉城デニー沖縄県知事への評価だ。

確かに「人柄」は良かった。記者会見で批判的な質問を投げかけても、丁寧に答えてくれた(少なくとも言葉遣いは)。

だが、県政トップとしての政治手腕や判断力などについて、「良い」という声はほとんど聞かれなかった。

新型コロナ禍で人気急落

平成30年8月に急逝した翁長雄志元知事の後任として、同年9月の知事選に出馬し、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する「オール沖縄」の全面支援を受けて当選した。

以来2期8年、知事としての功績と失策を天秤(てんびん)にかければ、明らかに後者に傾くだろう。

滑り出しは順調だった。当時のオール沖縄には、共産党を含むほぼ全ての革新派と、自民党を除く保守派が加わり、「オール」と呼ぶにふさわしい勢力だったからだ。その後押しで玉城氏は31年2月、辺野古移設の賛否を問う県民投票を実施。移設反対票が72%を占めるという、圧倒的「民意」を得た。

安全保障政策は国の専管事項であり、県民投票に法的拘束力はない。それでも「国は民意に従え」の大合唱が県内に響き渡り、玉城氏の人気はますます高まった。

だが、メッキがはがれるのも早かった。

転機となったのは、その年の秋に中国の武漢で検出され、全世界に感染が拡大した新型コロナウイルス禍である。日本でも令和2年になると感染者が激増し、4月には緊急事態宣言が全国に発令された。

中でも深刻だったのが沖縄だ。同年の夏以降、人口10万人当たりの感染者数が全国最悪の状態が続き、病床が足りず医療崩壊の危機に直面した。このとき玉城氏は、県の対策本部長を務めながら、まともに対処できなかった。

3年春の大型連休中には県民に会食自粛を呼びかけながら、自身は親族らとバーベキューする様子をSNSに投稿し、猛批判を浴びたこともある。ワクチン接種も始まったが、沖縄の接種率は全国最下位だった。

非常時にもろい左派行政

筆者が那覇支局で勤務していたのは、このコロナ禍だ。それまで玉城氏に期待していた人々が、失望して次々に離れていくのを間近で取材した。

3年秋には保守派の重鎮として玉城氏を支えていた県議会議長がオール沖縄を脱退した。有力支援者だった企業グループ会長もオール沖縄から離脱し、自民党支持に鞍(くら)替えした。

オール沖縄が、「オール」でなくなってしまったのだ。

イデオロギー先行の左派行政は災害と経済にもろい。玉城県政はその典型で、2期目に入っても失政を重ねた。6年11月に発生した豪雨被害では初動が遅れ、国の災害救助法が適用困難になるという、他県ではありえないミスも犯した。

経済もほぼ無策。沖縄の1人当たり県民所得は全国最低水準で、初当選時の平成30年度には全国平均の73・1%だったのが、令和5年度は65・7%とさらに格差が広がった。

辺野古移設を巡る国との訴訟で最高裁判決にも従わないなど、遵法(じゅんぽう)意識に欠けたのも玉城県政の特色である。左派団体による危険で不法な抗議活動も事実上黙認した。今春には辺野古沖で「抗議船」が転覆し、研修旅行中の女子高生らが亡くなる痛ましい事故も起きた。

最大の問題は、沖縄に近い海域で軍事圧力を強める中国の脅威から、目をそらし続けたことだ。それに付け入るように中国では最近、沖縄を日本から切り離そうとする言論が盛んになっている。極めて危険だ。

NOを突きつけたのは…

そして迎えた13日の知事選。3選を目指した玉城氏は大敗し、オール沖縄主導の県政運営が終焉(しゅうえん)することになった。当然だろう。

残念なのは、左派やメディアなどが、この「民意」を素直に受け入れないことだ。

知事選を受け、毎日新聞は社説で「複雑な民意」、朝日新聞は「苦渋の民意」と論じた。玉城氏の失政には触れず、政府の「締め付け」が原因であるかのような書きぶりである。

県民が支持しなかったのは玉城氏だけではない。玉城氏を持ち上げ、国との対立を煽(あお)ってきた左派やメディアにも「NO」を突きつけたのだと、認識すべきである。(かわせ ひろゆき)

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