コラム:高市政権の円防衛策、日銀の利上げ「黙認」の次の一手は=高島修氏
[東京 18日] - 高市早苗政権の経済政策(サナエノミクス)は10年前のアベノミクスと40年前のレーガノミクス/サッチャーリズムの中間的なところに立ち位置を修正していくと我々は考えている。
海外でもインフレ圧力がくすぶる中、日本は円安に伴う輸入インフレが社会問題となっている。こうした中で円安対策が必要となってきており、高市政権も次第に日銀の金融正常化の黙認にかじを切ってきている。
今週18日、19日の金融政策決定会合でも日銀は0.5%から0.75%への追加利上げに動く可能性が高く、そのことは既に日本政府が必要なら円買い介入に動く意思を固めたことを暗示していると筆者のチームはにらんでいる。
円買い介入に依拠した相場シナリオを立てている訳ではないが、米日金利差も有意な縮小となってきている中、一時的にせよ、昨夏のように日米株が反落するようなリスク回避的な市場環境の変化が生じた際には円高になりやすいと思われる。
高市政権の誕生以来、我々にとっては予想外の円安進行となっているが、長期的には155円前後はドル/円の天井圏で、向こう半年ほどでは145円を割り込んでいく展開を見込んでいる。
<アベノミクスとは異なるサナエノミクス>
前回10月に寄稿した際、サナエノミクスはアベノミクスと一線を画すことになるだろうとの考えを示した。実際、この間、高市政権は円防衛にかじを切ってきており、日銀の緩やかな金融正常化も黙認する姿勢に転じてきたようだ。
10年前のアベノミクスはデフレと通貨高への処方箋だったが、近年では日本のみならず、世界的にインフレが問題となっている。これは2020年の新型コロナ危機を転機に世界の財政政策が拡張に転じたことの影響が大きそうだ。
こうした中で、21兆円の補正予算に象徴的なように、高市政権はより強い財政政策を講じようとしているのだから、金融政策が緩和度合いを削減し、通貨安阻止に動くのは当然の話だ。
この10年で世界的にも経済学や経済政策の思想は、従来のニューケインジアン的アプローチから現代サプライサイド経済学(MSSE)のように財政政策により重きを置くアプローチへと変わった。それと呼応するように日本でも、日銀の金融緩和に依存したアベノミクスに比べると、財政政策への依存度、信頼度がはるかに高いサナエノミクスが出てくることになった。
安倍晋三首相(当時)は13年、元々は財務官だった黒田東彦氏を日銀総裁に指名し、その黒田総裁の下で日銀は果敢な金融緩和に転じた。当時、日本は既にゼロ金利制約に直面しており、それは事実上、量的緩和による円安政策だった。つまりアベノミクスのマクロ政策で最上位にあったのは金融政策ではなく、通貨政策だった。
これは実質金利の引き下げが困難な国が実質為替レートを下落させることで、マネタリー・コンディション、ひいてはフィナンシャル・コンディションを緩和させ、景気と物価の浮揚を試みようとしたということであり、ある意味、正攻法のマクロ経済政策だった。
<高市政権の円防衛策>
ただ、高市首相は、アベノミクスによる日本経済再建は未完に終わったとの認識を示しており、アベノミクスでは「民間投資を引き出す成長戦略」だった第3の矢を、「大胆な危機管理投資・成長投資」へ変更してきた。つまり、サナエノミクスでは第2の矢のみならず、第3の矢も財政政策になったのだ。
そのリフレ政策に対する不安で円安圧力が高まる中で、それを阻止するために日銀の金融緩和の度合いを削減していくという構図になってきている。逆に日銀にとってみれば、拡張的な財政政策によって景気とインフレが下支えられることは金融正常化の遂行に当り、追加的な安心材料となってくるはずだ。
こうして、日銀の金融正常化は高市政権の円防衛策の一つの柱になってくるが、それはベセント米財務長官ら米当局も求めてきたことでもある。このことを念頭に、今月会合で日銀が追加利上げに動く可能性が高まってきたことを考えると、日本政府がそれでも必要なら円買い介入に動く意思を既に固め、米国もそれを黙認することを意味しているのではなかろうか。
その場合には、22年、24年と同じく、10兆円ほどの円買い介入となる可能性があるだろう。米日金利差も有意な縮小となってきている中、そうした日本政府の為替介入は円安トレンドの是正に相応に有効であろうと我々は考えている。
さらに潜在的な可能性としては、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)による側面支援なども考えられるかもしれない。GPIFは282兆円(約1.9兆ドル)に上る運用資産の半分ほどを海外資産に投資しているが、基本ポートフォリオに対して外国株式はプラスマイナス6%、外国債券はプラスマイナス5%のアロワンスが認められている。合計すると、7.6兆円ほど(約500億ドル)海外資産を売却する余地はある。
もちろんGPIFが通貨政策上の必要性から、恣意(しい)的に投資方針や為替ヘッジの指針を変えるとは考えにくい。ただ、円安や円金利上昇などに伴うリバランス、つまり海外資産から円資産への投資資金のシフトは現段階でも一定程度、自然体での円需給の改善に貢献していることだろう。
円防衛策でより本質的に問われるのは1)日銀の金融正常化、2)財務省の円買い介入、3)GPIFによる側面支援など以上に4)高市政権の財政政策の有効性かもしれない。
それが従来型のばらまき志向の強いものに留まる場合には市場の信認はえがたいだろう。一方で政権が掲げるように、成長志向が強く、構造改革を促すようなものになるならば、円安や円債下落(長期金利上昇)には歯止めがかかり、多少の円高となっても株式市場もそれを好感するはずだ(トリプル高の可能性)。
ただ、そのためには中央銀行(日銀)の金融政策の自由度を確保することも必須の要件となる。
<松下幸之助氏の教え>
長期的な観点では、我々は過去10年ほどの円安は日本経済をデフレから脱却させるポジティブな要素として目してきた。だが、12年には80円を割り込んでいたドル/円は今や160円近くまで円安ドル高が進み、実質実効円相場は1970年代以来の安値圏に値を崩している。
日本は今、拡張財政と中央銀行への政治圧力という問題に直面している。良い円高(緩やかな円回復)に転じるか、悪い円安(無秩序な日本売り)に転ぶかの正念場だ。
過去の論説では、高市氏は自らが学んだ松下政経塾の創始者である松下幸之助氏の教えの一つとして「君子豹変(ひょうへん)す」を挙げていた。興味深いことに、その上で高市氏は「国民国家の運命を左右する国家経営のリーダーにこそ、時には『君子は豹変す』と言い放てる勇気が求められる」と語り、また「誤りであると分かった方針をいつまでも続ける」ことの危険性も説いている。
10年前のアベノミクスがデフレと円高に対処した反面、今、サナエノミクスが対峙する必要がある経済問題はインフレと円安に変わっている。しかも、それが自民党の支持率低下やポピュリスト政党の躍進を招いている。
こうしたことを考えると、サナエノミクスは次第にその立ち位置を修正し、積極財政(第2、第3の矢)で経済を下支えしながら、緩やかながらも日銀の金融正常化を促し(第1の矢の軌道修正を図り)、円安抑止に動いていくことは自然な流れではないかと思われる。
振り返れば80年代に米国でレーガノミクスが行われた時にも、ラッファー曲線などの観点が減税政策の根拠として用いられ、「ブードゥー・エコノミクス(呪術的経済学)」と揶揄(やゆ)されたこともあった。それでも、「強いアメリカ」、「強いドル」を掲げるレーガン政権はポール・ボルカ―議長率いる連邦準備理事会(FRB)の超引き締め策を受け入れ、その結果生じた超ドル高でカーター政権が苦しんだインフレを克服していった。
レーガン政権はその時に米国が実際に直面している問題に対処するため、低金利政策という政治的な欲求を押さえ、現実的に必要な経済政策を講じていったのである。結果的にそれが70年代のスタグフレーションを克服することに繋がり、90年代の米経済復活の伏線となっていった。
これまで高市政権の経済政策の理念的な(つまりリフレ的な)側面ばかりが注目されてきたが、今求められるのは、40年前のレーガノミクスがそうであったように、過去10年ほどの国内外の金融経済環境の変化に柔軟に適応し、理念的でなく、現実的な解を模索していくことだろう。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*高島修氏は、シティグループ証券の通貨ストラテジスト。1992年に三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、2004年以降はチーフアナリストを務め、2010年3月にシティバンク銀行へ移籍。2013年5月以降はシティグループ証券に在籍。
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