「山本太郎」とは、なんだったのか 鮫島浩氏「理想の政治家を7年間演じ続けた」 雨宮処凛氏「空気を読まないバカ」

「れいわ新選組」を設立した山本太郎氏は2019年の参院選で2議席獲得。自らは落選する。写真は選挙戦最終日の街頭演説の様子(Natsuki Sakai/アフロ) この記事の写真をすべて見る

 一人の異端児が政界を去った。

【写真】「山本太郎」は「空気を読まないバカ」と語ったのはこの人

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 れいわ新選組(現・いのちの党)代表、山本太郎。本人が引退理由に挙げたのは、大幅な速度超過による道路交通法違反と、健康上の問題。その二つだった。だが、それだけで語り尽くせる政治家ではない。なぜあれほどまでに人々の心をつかんだのか。いったい、山本太郎とは、なんだったのか――。

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「理想の政治家を7年間演じ続けた俳優」

 政治ジャーナリストの鮫島浩さん(54)は、「理想の政治家を7年間演じ続けた俳優だった」と評する。

「彼は、本当は俳優の世界に戻りたかったはずです。しかし戻れない。だから、れいわ新選組を立ち上げて以降は、自分が思い描く理想の政治家像を徹底して演じ切ろうとしたのだと思います」

 山本氏はよく知られたように、元俳優だ。高校生のときから約20年、芸能界で生きてきた。それが、2011年の東日本大震災に伴う原発事故を機に反原発運動へ身を投じると、芸能界での活動が困難になった。12年衆院選に初出馬し落選。13年、38歳のときに参院選で初当選し、政治の世界に足を踏み入れた。

左右でもなく、「左下」に立った男

 鮫島さんは、政党の立ち位置を「左右」と「上下」の四象限マトリックスで捉える。「左」はリベラル、「右」が保守。そして、「上」は権力や既得権を持つ層、「下」はそこから取り残された大衆だ。

「右上」は経済界と結びつきが強い自民党、「左上」は財務省寄りの旧民主党系。「右下」は既存政治への不満を取り込んだ右派大衆の参政党、そして「左下」が、社会的弱者や生活者の側に立つ左派大衆のれいわ新選組だという。

「世界的な潮流として、従来の二大政党は右も左も“上級国民”の代弁者となり、庶民の怒りを買ってボロボロになっていました。日本ではかつて『左下』に共産党がいましたが、党中央のエリート化によって実質的に『左上』へと吸い寄せられていきます」(鮫島さん)

 そのぽっかり空いた「左下」のポジションに、山本氏は近づいていったという。

 19年4月にれいわ新選組を立ち上げると、同年7月の参院選では自身は約99万票を集めながら落選する。一方で、重度障害者の木村英子氏と舩後靖彦氏を国会に送り込んだ。鮫島さんは、この結果こそ「政治はドラマ」を象徴する出来事であり、「上」に不満を抱く人々の支持を引き寄せることに成功したと分析する。

「政治家にとって一番大事なのは、選挙で勝って議席を増やし、最後は権力を取って政策を実現すること。山本太郎は、そのことをよく分かっていました」(同)


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政治ジャーナリストの鮫島浩さん(本人提供)

 山本氏は反原発では支持が広がらないと判断すると、労働問題や消費税廃止へと政策の軸足を移していった。同時に、炊き出しや能登半島地震の被災地支援など、弱い立場の人に寄り添った。

 その原点には、母親の存在があったと鮫島さんは見る。母親はフィリピンの貧しい子どもたちを支援するボランティア活動に携わり、山本氏は子どものころから何度も母親と一緒にフィリピンを訪れ活動を手伝った。また、山本氏は母子家庭で女性に囲まれて育った。そのせいか、永田町の威圧的な年上男性や同世代の男性ライバルには極度の警戒感を持ち、心を開かず、絶対に本音を言わなかったという。

「彼は、政治の世界でもどこか居心地の悪さを感じていたのではないでしょうか。ただ、俳優だったからこそ、自分が思い描く理想の政治家像を貫くことができたのかもしれません」(同)

大石晃子氏の加入が転換点に

 しかし、その理想像を支えていた組織は軋(きし)み始める。

 鮫島さんは、大石晃子氏(7月末に離党)の加入を「れいわの転換点」と位置づける。21年の衆院選で初当選した大石氏は労働運動の出身で、選挙で議席を積み上げて政権を目指す政治よりも、理念や社会運動を重視する政治スタイルだった。れいわは大衆の支持を広げる現実路線から、理念や運動性を前面に押し出す路線へと傾斜した。その結果、選挙での敗北を招き、内部の不協和音を生む負のスパイラルに陥ったという。

「選挙に負けると、議席が減り政党交付金などの資金も減ります。そうすると職員を減らしたり、組織を縮小したりしなければならなくなります。当然、不満がたまり、スキャンダルが表面化するのは、負けた組織で起きる典型的な現象です」(同)

 今年3月、れいわの元国会議員の告発をきっかけに公設秘書の給与搾取疑惑が浮上した(党は違法性を否定)。さらに、山本氏の元秘書の証言で、高級レンタカーでのスピード違反や秘書にきつく当たっていた実態など、それまで知られていなかった山本氏の“素顔”が次々と報じられた。

ブランドが剥がれたとき、「ドラマ」は終わった

 だが、鮫島さんによれば、山本氏にとって決定的だったのは秘書給与問題ではなく、それまで築き上げてきた政治家像と異なる一面が表に出たことだった。高級車をレンタルしていたことや身近な人間への接し方が公になったことで、「弱者に寄り添う政治家」というブランドイメージが一瞬にして崩れた、という。

「普通の政治家なら、スキャンダルがあっても復活できます。しかし、山本太郎は違いました。彼は理想の政治家像を7年間かけてつくり上げ、演じ続けてきました。そのつくり上げたイメージが剥がれてしまえば、同じ役を演じ続けることはできません。本人の中では、『山本太郎というドラマ』は完結しました。自ら劇場の幕を下ろした以上、政界には戻らないと思います」

2022年の参院選で街頭演説する山本太郎代表と大石晃子衆院議員(いずれも当時)。大石氏は 同年12月の代表選後に共同代表に指名された(つのだよしお/アフロ)

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作家で反貧困ネットワーク世話人の雨宮処凛さん(本人提供)

 一方、山本太郎を近くで見てきた人は、また違う彼の姿を語る。

「世の中のために『空気を読まないバカ』であることを、13年間徹底してくれた人です」

 山本氏についてそう評するのは、作家で反貧困ネットワーク世話人の雨宮処凛さん(51)。雨宮さんの言う「バカ」とは、褒め言葉。ほとんどの人が国なんか変えられないと思っているなか、山本氏はこの国を変えようと、自分の人生を横に置いて活動してきた、ある意味、「バカ」なのだという。

 2人の出会いは12年、東京都杉並区で開かれた脱原発のイベントだった。芸能界での仕事を失うリスクを顧みず「原発を何とかしたい」と熱弁を振るう山本氏の姿に、雨宮さんは「計算をしない、今どき珍しいほどまっすぐな人」と強い印象を受けた。

 翌13年7月の参院選に山本氏は無所属で立候補し、初当選する。以来、13年間、弱い立場の人々の側に立つ政治を掲げ活動してきた。

 当初「原発ワンイシュー」だった山本氏だが、雨宮さんや支援者から貧困やロスジェネ世代の困窮について学び、当事者の声を聞くなかで、視野を広げていったという。

池袋の炊き出しで受けたショック

 15年の大みそかには、雨宮さんに案内され東京・池袋の年越し炊き出しにも参加した。自分と同世代の人たちが「1週間前から野宿です」と言って列をつくる姿を目の当たりにし、衝撃を受け、貧困問題への取り組みを深めていったという。

「とくに現場で当事者の話を聞くたびに、『こんなに苦しんでいる人がいるんだ』と本気でショックを受けていました。常に『教えてください』というスタンスの人でした」(雨宮さん)

 国会議員としては、舩後靖彦氏や木村英子氏ら重度障害のある当事者を国会に送り出し、生活保護制度の運用改善や、被災地での災害支援制度の見直しなどに取り組んだ。雨宮さんは言う。

「政治から見放されたと思っていた人たちが、初めて『自分たちの側に立ってくれる政治家がいる』と感じられたんだと思います。特にロスジェネ世代にとって、その意味は本当に大きかったです」

 さらに国会では、批判を覚悟で牛歩戦術に踏み切るなど、自らの立場を不利にするような行動も辞さなかったという。周囲から浮くことや、政界での居場所を失うリスクを背負いながらも、自分が信じることを訴え続けた。幾度も円形脱毛症になりながら、政治活動に打ち込んだ、と。

「5年後、10年後、政治家としての先々のキャリアや自分の身の安泰を考えれば、あのようなやり方はできません」(同)


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 実際、山本氏は「あと5年」といった言葉を折に触れて口にしていたという。その山本氏の言葉には、力があったと雨宮さんは振り返る。

「捨て身だったからこそ、人の心を打ったのだと思います。自分を守ることよりも、目の前で困っている人の声を届けることを優先してきた。現場で人々の声を聞き続けたその積み重ねがあったからこそ、湧き上がってきた本物の言葉だったのだと思います」

 山本氏が日本の政治に残した最大の功績は、「政治で世の中を変えられるかもしれないという希望を多くの人に与えたこと」だと雨宮さん。

「政治に冷笑的で、何をしても無駄だと感じていたロスジェネ世代に対して、声を上げれば世の中は変わるんだということ、苦しいのは自己責任ではなく政治が見捨ててきたからだと気づかせてくれました。太郎さんのおかげで、生きる動機や救いを得られた人がたくさんいました」

再び出番が来るかもしれない、という期待

 山本氏が去った後の左派リベラルの行方について、雨宮さんはどう見るのか。

 自民党は権力の座に居続けることを第一目的として団結しているが、左派リベラルは個別に譲れない一線がそれぞれにある。そこに「左派リベラルの限界も感じる」と語る。だが、世の中がよくなる要素は見えない以上、「既存の政治に緊張感を生み出すような存在は必要」と話す。

「でも、太郎さんのようにあそこまでの闘い方ができる人はなかなかいません。再び太郎さんの出番が来るときがあるかもしれないと思っています」

 理想を演じ切った俳優か、空気を読まぬ「バカ」であり続けた闘士か――。その評価は分かれる。だがしかし、日本の政治に強烈な足跡を残したことだけは、間違いない。

(AERA編集部・野村昌二)

「平和憲法を語るバー」の店長として市民と語り合う社民党の福島瑞穂党首(中央右)と、飛び入り参加した山本太郎参院議員(当時、中央左)。雨宮さんもいた=2013年08月15日 

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