小学生の「わり算はなぜ0で割ってはいけないの?」にどう答えるか…わが子の数学力を伸ばせる親の"神回答" まずはスマホの電卓に「3÷0」と入力してほしい
子どもに「わり算はなぜ0で割ってはいけないの?」と聞かれたら、何と答えればいいのか。サイエンスナビゲーターの桜井進さんは「この質問をされたら『いい質問だ!』と褒めてあげてほしい。『定義される・されない計算』を考えるきっかけになるからだ」という――。
※本稿は、桜井進『人生は数学でできている 恋愛、戦争、うわさ……すべてが解ける!』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
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電卓で「3÷0」を計算すると……
小学生に「なぜ0で割ってはいけないの?」「なぜ0で割れないの?」と質問されたらどう答えるでしょうか。まちがっても「そう決まっているの!」などと乱暴なレスポンスをしてはいけません。丁寧に答えてあげたいものです。
そもそもこの疑問自体が小学生にとって自然・当然なものです。「そうだよね!」「いい質問だ!」「面白い質問だ!」と疑問を持ったことを褒めてあげます。そして、どこがいい質問で、何が面白いのかを解説してあげましょう。
数学の問題としての説明はもちろんのことですが、ここで筆者が問題にしたいのは「いけない」という言葉使いです。
電卓で「3÷0」「0÷0」の計算をしてみた結果は、「エラー」(iOSのアプリ)「ゼロでは除算できません」(アンドロイドOSのアプリ)「数学的誤りか計算範囲超えです」(CASIO fx-JP900)という3通りの表現でした。みなさんの電卓でも「3÷0」「0÷0」を計算してどんな表示がされるかを確かめてみましょう。
例えば、60(km/時)とは60/1(km/時)のことで、1時間で60km進むという速さのことです。すると、60/0(km/時)とは、0時間で60km進むことを意味しますが、0時間で60km進むことはできません。60/0(km/時)という速さは存在しません。
60÷0を電卓で計算した結果の「エラー」とは、0で割る計算には「答えが存在しない」ことを表しているようです。error(エラー)とは、誤り、間違い、誤解、過ちのことです。数学では、計算の誤差という意味で用いられる場合もあります。では60÷0=(エラー)は、どの意味に当たるのでしょうか。
かけ算で考えてみる
まずわり算とは何かをもう一度考えてみるところから始めてみます。
かけ算 ⇔ わり算 2×3=6 ⇔ 6÷2=3
このようにわり算に対応するかけ算を考えることができます。0で割るわり算「3÷0」に対応するかけ算を考えてみます。
かけ算 → わり算 ? → 3÷0=?
すると次のようにかけ算の式を考えることができます。
かけ算 ← わり算 0×?=3 または ?×0=3 ← 3÷0=?
わり算の式の?を考える代わりに、かけ算の式の?を考えてみるということです。0×?=3とは、0に何をかけたら3になるか?ということです。
……そんな数はない!
そうです、3÷0の答え?は「ない」です。しかし、0のわり算はこれで終わりません。0で割るわり算のちょっと面倒なのは次の点です。
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ですから大人に「0で割ってはいけない」と言われてしまうと子供はそれを大人が(主観的に)決めたことなのだと勘違いする恐れがあります。数学は善悪(主観的)ではないので「いけない」という表現が不自然なのです。
したがって、わり算a÷0は定義されない。
このように答えを返してくる電卓があってもいいと思います。60÷0には「存在しません」、0÷0には「すべての数」と返してくる電卓アプリです。
ちなみに、Linux系OSであるUbuntuのアプリ「電卓」では「ゼロ除算は未定義です」と表示されます。これまでに見た電卓の中で最も正確な表現です。
「定義される・されない計算」を考えるきっかけになる
ところで分数の四則のルールはほかの計算とくらべて独特です。たし算とひき算は通分して分子同士のたし算・ひき算をするのに対して、かけ算・わり算は分子同士に加えて分母同士のかけ算をします。なぜそのように決まっているのでしょうか。それは定義される計算としてデザインされているからです。
桜井進『人生は数学でできている 恋愛、戦争、うわさ……すべてが解ける!』(中公新書ラクレ)
「計算が定義されない」なんて教科書にはでてきません。それはそうです、小学校から高校までに習う計算のすべては「定義される計算」だけなのですから。わざわざ答えが1つに定まらない「定義されない計算」など学校では扱いません。結果として「定義できる計算」だけが教えられているということです。
だから安心して分数の計算ができます。本当はいちいち説明できるのですが、残念ながら学校でそこまでふみこむことは容易ではありません。高校数学でもそのことには触れられません。
ということで、0で割るわり算の問題は「定義される・されない計算」を考えるきっかけになるという意味で「いい質問だ!」といえるわけです。小学校で習う算数に「なぜ」「どうして」という疑問の眼差しを向けることで教科書には書かれていない風景に出会うことができます。