【一問一答】中山・石垣市長「偏向に近い教育を受けてきた」「自決したいから『手榴弾下さい』と言った人もいるだろう」(25年5月16日)

記者の質問に答える中山義隆市長=5月16日、石垣市役所
この記事を書いた人 琉球新報社

 2025年5月16日、石垣市定例記者懇談会での中山義隆市長と琉球新報記者のやりとりは以下の通り。

 ―西田昌司さん(自民党参院議員)と神谷宗幣さん(参政党代表)の発言を政治家としてどう見ているか。

 「これは発言は控えたいと思います。それぞれの考え方があるだろうし、マスコミの報道の仕方も、直接私それぞれに話聞いていないので、コメントは差し控えたいと思います。ただ、沖縄の地上戦においては、日本軍の(聞き取れず)は事実だろうし、自決に関与したのもこれも事実だと思う。この事実に関しては否定はしません。それだけが真実だけではなく、他にもいろんなことがあったと思う。逆に助けられたこともあっただろうし、自決しようとしたのに止められたと証言したという人もいただろうし。必ずしも日本軍が全て虐殺したとか、集団自決を強いたということではないと。僕なんかもいろいろと勉強したりとか聞いていますけど、ただ、ああいう極限の状態になってきたら、人間は必ずしも正しい判断するとは限らないし、例えばあの時点(沖縄戦)だったら、婦女はみんな暴行されるよと、そのあと殴り殺されるよということを教えられたら、そういうことになりたくないから、『手榴弾(しゅりゅうだん)下さい』と言った人もいるだろうし、その人に渡した人もいるだろうし、それをどこまで検証できるか今の時代ではなかなか難しいですけど、そういうことがあったという認識はしています。ただ、それが全てではないということ。要はそういう戦争状態は人間が人間でない状況であるし、そういう冷静な判断もできる状況じゃない状況になっていたあの時の沖縄戦、地上戦のああいう状況だとそういう風になると思うので、そういうことにならないことにするのが今の我々の努めかなと思います」

 ―集団自決強いただけじゃないっていうのは、強いた面もあるということでいいんですよね、ないということではなく

 「それもあったかもしれないし、そうではなくて自分たちの方から進んで死にたいから自決したいから『手榴弾下さい』と言った人もいるだろうし」

 ―日本軍の強制性はなく、住民自らという意味か

 「強制性が全くなかったというわけではないですよ。強制した人もいたかもしれない、頼まれたから(手榴弾を)渡した人もいるかもしれない、そういういろんな局面があるから一つの面だけで、日本軍に虐殺されたというだけの話じゃなくて、実際に殺された人もいるだろうし、そういう話も聞いているし、それはあったという認識はしています。だけどそれだけじゃなくて、他に自分から死にたいから『手榴弾下さい』って言った人もいるだろうし、それもどこまでが人数の割合がどれくらいかいまの時代ではわからない。いろんな局面があったと思いますよ」

 「さっきの西田発言、神谷発言に関しては変な書き方しないでくださいよ」

 ―糸満市長は明確に批判してたが、市長として同じ政治家として、この発言はいかんと明確に言いづらい言えないのはなぜか、この発言はおかしいと

 「神谷さんの発言もマスコミでしか見ていない。直接話も聞いていない。で、西田さんの発言は全然聞いていない。前後の経緯も知らないし何の意図をもってそういう話したかもわからない中で、まあ謝罪はしたとか撤回はしないとか報道では荒れてますけど、ただ実際に僕らは沖縄でそういう教育受けてきたからね。偏向に近い教育を受けてきた」

 ―西田さんはむちゃくちゃな教育と言っていたが、市長がいう偏向な教育とはどういう意味か

 「たとえば歴史の書き換えとか、西田さんのいうめちゃくちゃなという意味ではなくて、『君が代』歌うなとか日の丸に敬意を表するなとか、という教育は受けてきた」

 ―それは小・中・高か

 「小・中・高も。実際に一人だけ中学校のときに音楽の先生が初めて『君が代』を教えてくれた先生がいた。一人だけ。それ以外の先生からは教えられていない。大学の入学式、僕、起立しなかったから」

 ―それはなぜか

 「ウチナーンチュだからと思って。僕『いや、俺、ウチナーンチュだよって。沖縄のアイデンティティだよって言って、立たないよ』って言って、立たなかった訳よ。でも、そういう教育されてたから、あとから考えたらああいう教育されてたんだなって。まわりの人みんな『なんで立たないの』みたいな。ずっと座りっぱなしだったから」

 ―大学入学式で18歳くらいか

 「19」

 ―「ああいう教育受けてたから」というのは何歳ごろからそう思い始めたのか

 「大人になってから。大学卒業して。自分たちそういう教育受けてたんだろうなって。いま特にこういう話なった時にああそういえばそうだったよねって」

 ―西田さんの文脈とは違うけど、自分が受けてきたのは偏った偏向教育だったなと思っているということか

 「あのね、必ずしもそれ(偏向教育)だけではないけども、米軍の被害を教えてくれた先生もいた。それに対しては確かにいろんなコザ暴動とか勉強とかした。あと、新城(あらしろ)先生に教えてもらったから」

 ―新城俊昭さんか(現・沖縄大学客員教授)

 「俊昭先生に教えてもらったから八重高のときに。その先生から教えてもらって、戦争の、実際にじいちゃんばあちゃんから戦時中の話聞いてこいって、自分に関係する人たちの戦争体験を勉強するってやってきたって、それはすごいよかったと思う。その先生の教え方が間違っていたとは思わない。けど、全体的な流れとして、あの時沖縄では入学式、卒業式では国歌斉唱もしないし日の丸も掲げないのが沖教組の中では当たり前だったでしょ」

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