憧れ、選んだ歌舞伎の道◇伝統支える一般家庭出身の俳優たち:時事ドットコム
映画「国宝」の記録的なヒットで歌舞伎への関心が高まっている。江戸時代から400年以上にわたって受け継がれてきた日本独特の美しく華やかな舞台。その担い手は歌舞伎の家に生まれた者だけではない。現在、活躍中の歌舞伎俳優の半数以上が一般家庭の出身で、多くが国立劇場の養成所の修了生だ。血筋や家柄が物を言う世界に自ら飛び込んだ彼らが描く夢とは―。(時事通信 中村正子)
歌舞伎俳優の養成所
1964年の東京五輪の選手村だった東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターの一角に、歌舞伎俳優になるための基礎を教える国立劇場養成所がある。9月下旬、29期生の2人が、講師の中村芝翫さん(60)の指導で「三人吉三(さんにんきちさ)」に取り組んでいた。同じ「吉三」の名を持つ3人の盗賊を描いた河竹黙阿弥の名作の発端で、お嬢吉三とお坊吉三が七五調のセリフで互いに素性を明かし、刀を交える。
「彼らは渋谷のセンター街にいそうな、虚勢を張っている子たちなんだよね。同じ魂を持つ者同士が引かれ合っていく因果話の序曲で、オペラのような場面だから、せりふをうたって聞かせるところはゆっくりとうたって」。芝翫さんが発声、セリフの抑揚、息継ぎのタイミングなどを指導していく。
研修生は三重県出身の近藤海音(みおと)さん(21)と栃木県出身の杉江陸玖(りく)さん(20)。近藤さんは幼い頃から祖母に日本舞踊を習い、伝統芸能に関わる仕事を志した。「芝翫先生は役の性根を詳しく教えてくださる。台本を読み込むことの大切さを実感します。三味線や立ち回りも好き。師匠に信頼される役者になりたい」と話す。
杉江さんは中学3年生の時に音楽の授業で「勧進帳」の映像を見て、弁慶のカッコ良さに魅せられた。「セリフに気持ちを込めるのが難しいけれど、人物を調べたりして役がつかめると面白い。褒められるとやりがいを感じます」
2人は2026年3月に研修を終えると幹部俳優に弟子入りし、晴れて歌舞伎俳優として舞台に立つ。
立ち回りでカッコよく
国立劇場養成所の歌舞伎俳優研修は1970年に始まった。2年間で歌舞伎の演技のほか、日本舞踊や立ち回り、歌舞伎音楽(義太夫、長唄、鳴り物)、化粧の仕方などの基礎を学ぶ。現在、26年4月から研修に入る31期生を募集中(同1月30日締め切り)。23歳までの男性が応募でき、受講料は無料。地方出身者のための寮もある。
演技や日本舞踊に次いで時間を割くのが捕物や戦いなどの場面を盛り上げる立ち回りだ。刀や十手などの扱い方から、基本の型、「とんぼ」と呼ばれる宙返りのさまざまな技を身に付ける。講師の坂東玉雪さん(58)と市川新十郎さん(56)も養成所出身。それぞれ坂東玉三郎さん、十二代目市川團十郎さんに入門して研さんし、今では立ち回りの場面を組み立てる「立師(たてし)」を務めている。
「立ち回りは、お芝居に入った時に一番目立てる場所です。ほかの幹部俳優さんに覚えてもらえるチャンスも一番大きいから、ここを頑張りなさいと言っています。僕らが立ち回りを作る時も、とんぼをきれいに返ってくれると、また使いたいと思いますからね」と玉雪さん。
3人に1人は養成所出身
25年4月時点の歌舞伎俳優293人のうち養成所出身者は99人と、3分の1を占め、彼ら無しで舞台は成り立たない。2000年代に襲名の話題などで歌舞伎が注目された時期に20人を超える応募があった年もあるが、ここ数年は一桁台。「たくさん入ってきてもらわないと、10年後、20年後には大きな立ち回りの場面ができなくなるかもしれない」と芝翫さん。「国宝」人気に関係者の期待は高まっている。
養成所出身者や幹部俳優に直接入門した門閥外の俳優は「お弟子さん」と呼ばれ、武士や町人などの脇役や立ち回り、舞台上で小道具の出し入れなどを行う「後見(こうけん)」などで忙しい毎日を送る。
21年に養成所を卒業した24期生の中村蝶也さん(22)は、人間国宝の中村歌六さん(75)に弟子入りして5年。立ち回りが得意で、25年は八代目尾上菊五郎襲名興行などで多くの出番があった。10月に東京・歌舞伎座で通し上演された「義経千本桜」では、朝から晩まで軍兵や捕手で出演しながら師匠や子息の中村米吉さんの後見、楽屋周りの仕事をこなした。
地歌舞伎(地域に根差した素人歌舞伎)の盛んな岐阜県出身。子どもの頃から地元・白川町にある芝居小屋「東座」の舞台に立ち、中学を出てすぐ養成所に入った。「子役の時は、『大きい声を出して』『首をこっちに向けて』と言われる通りにやっていただけでしたが、セリフの間や芝居の運び方の細かい所にまで理由があることを知っていく日々が楽しくて。今は舞台を袖からもっと見て勉強したい」と貪欲だ。
歌六さんは「一生懸命やっている子には先輩方も目を掛けてくださる。みんなにかわいがってもらって楽しく働いてもらえれば」と期待する。
〈中村蝶也さんのインタビューはこちら〉
年に一度の晴れ舞台
お弟子さんたちにも一年に一度、大役を演じる晴れ舞台がある。それが、8月に催される「稚魚の会・歌舞伎会合同公演」。自分たちで出し物や配役を決め、日頃の研さんの成果を披露する。
25年の公演で蝶也さんは「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき) 引窓」で主役の南与兵衛(なん・よへえ)役に挑戦。故中村吉右衛門さんの与兵衛の映像を見て自主稽古し、歌六さんにも直接教わった。「『もっと気持ちで(せりふ)を言ってくれ』と何度も言われました。公演を見たお客さんに『歌六さんに少し似ていた』と言われてうれしかった」と話す。
19期生の市川新次さん(36)は「勢獅子」で立師に挑戦した。「合同公演はとんぼを返れる若手がそろっているから、花道も使って普段の『勢獅子』では見られない手(動きや構成)を考えました。この経験は自分の中で大きなものになっていくと思います」
新次さんは東京都出身。父親に連れられて歌舞伎を見るうちに好きになり、小学校の時の作文に「歌舞伎俳優になる」と書いたほど。高校を卒業後、養成所で学び、10年に十二代目市川團十郎さんに弟子入りした。
「僕たちはスターになりたくて入ったわけではなく、歌舞伎が好きで團十郎さんへの憧れがあったから。團十郎さんの芸と人となりを間近で見て感じて、自分もそういう人間になっていこう、支えていこう、伝えていこうという気持ちが絶対にある」ときっぱり。「一門には立ち回りのスペシャリストや、歌舞伎界でもトップクラスの後見ができるすごい兄弟子がいる。まずはその人たちを追い掛けたい」と目標を掲げる。
〈市川新次さんのインタビューはこちら〉
新しい風
近年、養成所出身のベテラン女形、中村歌女之丞さん(70)と中村梅花さん(75)が相次いで幹部俳優に昇進した。芝翫さんの父で人間国宝だった七代目中村芝翫さんの弟子で9期生の中村芝(し)のぶさん(58)は、23年に上演された新作歌舞伎「ファイナルファンタジーX」などでの演技が評価され、読売演劇大賞の選考委員特別賞を受賞した。門閥外でも芸を磨けば評価されることが後輩たちの励みになっている。
芝のぶさんを抜擢した八代目尾上菊五郎さんは、襲名を前にした25年2月の記者会見で、「代々受け継がれてきたものを継承、発展させるのは門閥の役目だと思っていますが、この世界に憧れを持って入り、研さんを積んでいる方にも開かれた歌舞伎界を目指していきたい」と語った。
芝翫さんも、「歌舞伎は世襲の弾力性がない世界だと思われていた時代もありますが、今の先輩たちは研修出身の人のこともよく見ていますよ。歌舞伎が好きで、ちゃんと芝居をしていれば、引き上げてくれると思います」と実感を込める。
「血筋か、芸か」ではなく「血筋も、芸も」。歌舞伎界に新しい風が吹いている。