悲嘆に暮れる地域社会へやってくる3メートルの十字架、背負って歩く男性に話を聞く 米国
高さ3メートルの車輪付き十字架を担いで、米国各地の被災地を訪れるダン・ビーズリー氏/Kayla Bartkowski/Getty Images via CNN Newsource
(CNN) 自然災害や大事故、あるいは恐ろしい暴力行為など、地域社会を悲劇が襲うと、法執行機関や捜査官、救助作業員、報道関係者など、あらゆる人々が対応に動き出す。
最近では、もう1人別の人物がそこに加わることも多い。米ミシガン州に住むこの男性は、高さ3メートルの十字架と共に全米各地をピックアップトラックで移動する。暗く沈んだ被災地の共同体に、慰めを届けるのが目的だ。
「人々の心が深く傷ついているところであれば、どこへでも行く」。ダン・ビーズリー氏は9月下旬、ミシガン州グランドブランの周辺で、下部に車輪の付いた十字架を転がしながらCNNに語った。現地ではこれより前、末日聖徒イエス・キリスト教会の会衆を狙った襲撃事件が発生していた。
「十字架は希望のメッセージであり、人々の心に癒やしをもたらすメッセージだ」と、ビーズリー氏は出会う人々について語った。「人々がそれを見ると、暗い状況全体に光が差し込む。彼らの心は明るくなり、それが傷を癒やす助けになる」
不動産ブローカーを本業とするビーズリー氏は、今年だけでも以下の場所を訪れたという。
●1月1日早朝に街路でのテロ攻撃が発生したニューオーリンズ
●同月に旅客機と軍用ヘリコプターによる衝突事故が起きた首都ワシントン
●4月の銃乱射事件後のフロリダ州立大学
●7月の鉄砲水によってサマーキャンプ場が壊滅的な被害を受けたテキサス州カー郡
●同月に高層ビル内の米プロフットボールNFL本部で銃乱射事件が発生したニューヨーク・ミッドタウン
●8月に学校での銃撃事件が発生したミネアポリス
●9月に暗殺された保守派政治活動家チャーリー・カーク氏の追悼式が開かれたアリゾナ州
●今月のブラウン大学銃乱射事件後のロードアイランド州プロビデンス
リストはこれだけで終わらない。2021年に牧師としての活動を開始して以来、ビーズリー氏は33州にまたがる73カ所を訪れた。ミシガン州の自宅から30分ほどのデトロイトのような近場から、ハワイのマウイ島のような遠隔地まで、十字架を運んできたという。
いつ、どこへ行くかは自分の感覚で決める。事件や事故、災害に触れたときに味わうその感覚は全身を伝わり、涙がこみ上げそうになるという。
「そのような状態になると、行かなくてはいけないのだと悟る」「行かずにはいられなくなる。それを阻むものなど何もない」
「神よ、あなたは何を望むのか」
本人の言によれば、ビーズリー氏は常に信仰心が強かったわけではない。かつてカトリック教徒だった同氏は、キリスト教徒に対して「頭がおかしい」と思うこともよくあったという。
しかし7年ほど前に事態が変わり始めた。妻に引きずられるようにして教会を訪れたのがきっかけだ。その教会はミシガン州ノースビルの自宅近くにあり、特定の宗派に属さない施設だった。
復活祭前の聖金曜日に教会にいたビーズリー氏は、そこで「神の存在に深く心を打たれた」と振り返る。聖金曜日はイエス・キリストの磔刑(たっけい)を記念する重要な日に当たる。
聖書を読み始めたビーズリー氏は、神が自分に何かを求めていると直感。ただそれが何なのかは分からなかった。
「神よ、あなたは何を望むのか?」。そう尋ねたのを覚えている。
神に与えられた使命がようやく明らかになったのは、新型コロナのパンデミック(世界的流行)が猛威を振るった20年11月のある土曜日の午後だった。その時見ていたフェイスブックのライブ配信には、ジョージア州の男性が十字架を担いで自分の地元の地域を歩き回る様子が映っていた。
「これこそ神が私に求めていることだと、即座に分かった気がした」(ビーズリー氏)
ビーズリー氏はその男性に連絡を取り、十字架の設計図をもらったという。それから時間をかけて、十字架作りに取りかかった。
自らを「燭台」に
6カ月以上を費やして、ついに十字架は完成した。高さ3メートル、重さ約30キロの杉材の十字架は底部に車輪が付いており、十字架を傷つけることなく移動させることができる。他の木材ではなく杉材を選んだのは、強度と重量のバランスが優れているからだという。
その時点では、十字架を使って何をするのか、どこへそれを持って行くのか、明確な構想は描いていなかった。当面の間デトロイトで十字架を掲げてみたところ、道行く人々は十字架を見て立ち止まり、会話が生まれた。その場で祈り始める人も現れたと、ビーズリー氏は振り返る。
この活動は21年11月、劇的な変化を遂げる。デトロイトの北約64キロにあるミシガン州オックスフォードの高校で、10代の少年による銃乱射事件が起きたのだ。この事件では生徒4人が死亡、教師1人を含む7人が負傷した。
ビーズリー氏は犠牲者のための祈りの集会があることを知ると、十字架を手に取ってオックスフォードの街中を転がして歩き、集会が始まる少し前に会場近くで立ち止まったという。
翌朝になると、ビーズリー氏の下に電話やメッセージが届き始める。それらを送ったのは、ニュースサイトや新聞でビーズリー氏と同氏の十字架の写真を見た人々だった。
ここに至ってビーズリー氏は、十字架の真の目的と自分の使命を理解したという。
「神は私に燭台(しょくだい)となるよう求めている」とビーズリー氏。「十字架は灯火で、私が燭台だ。暗闇でただそれを掲げることを神は求めている」
「最小限のことしかしていない」
それ以来ビーズリー氏は、ミシガン州のみならず、自然災害や暴力行為によって壊滅的な被害を受けた米国のあらゆる地域へ足を運んできた。
活動は一筋縄ではいかない。旅費は大部分が自己負担。どんなに長距離でも車で十字架を運ぶ。ホテルが取れなかったり目的地から遠すぎたりするため、たいていは車中泊になるという。
移動はほぼ毎回車だが、23年に山火事が発生したハワイ・マウイ島のラハイナを訪れた時だけは飛行機を使った。飛行機移動を増やしたい気持ちはあるものの、車を運転することも大切だとビーズリー氏は語る。移動中、ピックアップトラックの荷台に縛り付けられた十字架が、それを目にする人々に一定の影響を与えるからだ。
目的地に着いてからも、過酷な環境や長時間の作業に直面することがある。それでもビーズリー氏は神を思って力を振り絞ると話す。
十字架にかけられて亡くなったイエスの苦しみに比べれば、自分が今行っているのは最小限のことでしかないと、ビーズリー氏は説明する。
愛の源泉に焦点を当てる
ビーズリー氏が訪れる地域社会は、悲劇の直後ということで「非常に混乱している」。
地域によっては悲劇の余波の中で非難の声や内輪もめが噴出し、癒やしの機会が損なわれる場合もある。ビーズリー氏の経験では、こうしたリスクを克服できる地域社会とは、「愛の源泉に焦点を当て、これ以上そうした事態が起こらないように自らを立て直せる」地域社会だ。
それは、「汝(なんじ)自身を愛するがごとく隣人を愛せ」ということに他ならない。
「悲劇をなかったことにはできない」とビーズリー氏。「しかし地域社会は間違いなくその傷を癒やし、成長することができる。十字架の存在は、そうした多くの事柄のきっかけになるものだと私は信じている」と語った。