「トランプ関税」が習近平には完全に裏目に出た…アメリカが見誤った中国の「恐るべき経済兵器」 孫子の兵法で読み解く「米中貿易戦争」の行方

米国と中国の覇権争いはどこに向かうのか。日本工業大学大学院技術経営研究科の田中道昭教授は「米国メディアが『自国の敗北』を語り始めた。トランプ政権には戦略の転換が求められている」という――。

写真=AFP/時事通信フォト

2025年10月30日、トランプ大統領と習近平国家主席

2025年10月末、アメリカの二大紙――ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)とニューヨーク・タイムズ(NYT)――が、奇しくも同じ結論を示した。

「トランプは中国との貿易戦争に敗れた」(NYT、2025年10月29日) 「アメリカは貿易戦争で中国経済を変えようとしたが、結局変えることはできなかった」(WSJ、2025年10月31日)

アメリカ自身が、“自国の敗北”を語り始めた。

▼WSJ:米中貿易戦争は中国を変えられなかった

WSJの記事タイトルは、象徴的にこう記されている。

「The Trade War Couldn’t Change China’s Economy」 (貿易戦争は中国経済を変えることができなかった)

記事はこう指摘する。

「トランプ大統領の関税戦争は、中国の構造を動かすことができなかった。

中国政府はレアアース支配を武器に、米国企業の重要素材供給を締め付け、米国産大豆の購入を停止することで、農業部門を直撃した」

「剛」を誇る者が「柔」に制された

トランプ政権は、中国を“輸出依存の重商主義国家”から国内消費主導型に変えるという壮大な目標を掲げた。アメリカの関税政策が中国の輸出を圧迫すれば、中国は内需を拡大し、アメリカからの輸入が増える――そんなシナリオを信じたワシントンの戦略家たちは、結果的に読み誤った。関税や大豆、レアアースをめぐる駆け引きに双方が行き詰まるなか、本来の目標であった構造的課題は棚上げされてしまっている。中国との貿易協議の目的は“新たな進展を切り開くこと”ではなく、“緊張緩和そのもの”になってしまった。

WSJは冷徹に書く。

「中国は、米国主導の西側に依存していると見なした自らのボトルネックを特定し、そうした米国主導の影響力ポイントをひとつずつ無力化した。貿易戦争は中国に教えた。アメリカを揺さぶるには、関税ではなく“サプライチェーン”を使え、と」中国は製造業のモデルを「完成品」中心から「部品・中間財」重視へと転換。その結果、中国は、世界のサプライチェーンの中に以前よりもはるかに深く組み込まれた。

関税で中国を封じ込めようとしたアメリカ。

サプライチェーンでアメリカを取り込んだ中国。

結果は、「剛を誇る者が柔に制された」構図だった。


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2010年、中国は尖閣諸島沖の漁船衝突事件を契機に、日本向けのレアアース輸出を事実上停止した。その瞬間、東京市場は混乱し、世界の製造業が震え上がった。この事件が示したのは、レアアースが“静かな核兵器”であるという事実だ。

2025年、習近平がレアアース輸出制限を「1年間停止」すると発表した背景には、まさにこの戦略がある。解除ではなく、「停止」という表現がミソだ。いつでも再び締め付けられる――つまり、レアアースは常に発動可能な抑止兵器なのだ。「沈黙の核抑止力」でもある。

アメリカは、関税や制裁を繰り出しても、中国のレアアース依存から逃れられない。制裁を強めれば強めるほど、そのサプライチェーンが締め付けられていく。それはもはや“戦争”ではなく、“依存の人質構造”である。

中国が実現した「戦わずして勝つ」

WSJが指摘するように、「中国は、米国主導の影響力ポイントをひとつずつ無力化した」

レアアースはその最も象徴的な「無力化」の武器の一つである。

経済戦争を仕掛けたアメリカが、最終的に供給戦争で追い詰められた。

そしてこの構造は、今後のAI・量子・再生可能エネルギーの時代にもそのまま延命する。なぜなら、これらの産業すべてがレアアースを基盤にしているからだ。

「百戦百勝は善の善に非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なり」(孫子)

中国は、まさにこの“戦わずして勝つ”を実現している。ミサイルを撃たず、兵を動かさず、鉱物と構造で相手を縛る。それが現代の覇権であり、レアアースこそ21世紀の「核抑止力」である。アメリカが覇権を失ったのは関税でなく、“化学精製技術”を軽視した瞬間だった。

写真=iStock.com/wildpixel

※写真はイメージです

アメリカが真に対抗するには、軍備でも関税でもなく、構造を奪い返す戦略(精製・技術・同盟・規範)が必要だ。それが次ページで論じる「攻勢から防勢への転換点」の核心となる。


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NYTは、トランプ外交の誤算をさらに厳しく描く。

「トランプは米中貿易戦争を始めたが、アメリカは負けており、今停戦合意に至るとするなら、中国がアメリカに対して権力を握り、我が国の影響力を弱めたままになるだろう」

記事は続く。

「中国は“レアアースのOPEC”のような存在になっており、アメリカは他に代替供給源がない状況に置かれている。習近平は、戦わずして米国を制する術を身につけた」

NYTは、「孫子の兵法」に言及しながら、習近平の思考をその構図になぞらえた。

「戦わずして敵を制圧すること、これが技の極みである。

ミサイルを1発も撃たずして、中国は西太平洋に影響力を拡大している」

アメリカはミサイルを並べ、中国は鉱物とサプライチェーンを並べた。戦場は経済であり、武器はサプライチェーンだった。

二大紙の論調が交差するのは一点だ。

「アメリカは覇権の領域を誤った」

トランプ政権は、経済・貿易で覇権を維持できると信じ、その戦場で敗北した。

そして中国は、資源・製造・サプライチェーンという“静的覇権”を築き上げた。

この瞬間から、世界は再び構造を変えた。アメリカは“技術と軍事”に収斂し、中国は“資源と製造”に集中する。

世界は今、「ハードパワーvs.サプライチェーン・パワー」の時代へと移行しようとしている。

「経済兵器」としてのレアアース

2025年の米中会談を読み解く上で、最も重要なポイントがある。それは、「中国が世界のレアアース供給を事実上支配している」という現実だ。この一点だけで、中国は軍事的には一発も撃たずに、経済と安全保障の“喉元”を握っている。

レアアース(希土類)とは、スマートフォン、電気自動車、風力発電、ミサイル誘導装置――あらゆるハイテク産業と軍需装備に不可欠な17種類の金属群である。つまり、現代の産業と安全保障の「血液」である。

1隻の潜水艦にはおよそ4トンのレアアースが使われ、1機の戦闘機には数百キロの磁性材料が必要とされる。この供給が止まれば、アメリカの軍需産業もシリコンバレーも、即座に麻痺する。

中国の強さは、単に鉱山を多く持っているからではない。真に恐るべきは、採掘から精製・加工・輸出までを垂直統合した構造支配にある。

この構造により、中国は「鉱石」ではなく「産業」の生命線を握った。他国が鉱山を掘っても、最終的に精製を中国に頼らざるを得ない。アメリカのネバダ州マウンテンパス鉱山も、精製は結局中国で行われている。

まさに「資源覇権ではなく、構造覇権」である。


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冷戦後のアメリカは、“攻める帝国”だった。市場を開き、ルールをつくり、技術を輸出することで世界を動かした。覇権とは、軍事力よりも「規範を創造する力」だった。

だが、トランプ以降のアメリカはその構造を維持できなくなった。自由貿易という理念を掲げながら、関税と制裁を乱発し、結果として「自由を守る帝国」から「自国を守る帝国」へと転じた。

その変化を最も端的に示したのが、貿易戦争の終結である。トランプが仕掛けた関税攻勢は、中国を屈服させるどころか、中国の「サプライチェーン覇権」を強化する結果に終わった。

ワシントンの戦略家たちはいま、自嘲気味にこう語っているはずだ。

「アメリカはもはや世界を変える国ではなく、世界の変化を“管理”する国だ」

「強さの演出」が「脆さの証明」に変わった

トランプ政権の外交は一見、強硬だった。核実験再開の示唆、韓国原潜の承認、台湾問題での圧力――表面的には「強さの再現」を狙ったように見える。

しかし、その実態は“力でしか示せなくなった焦燥”である。経済で説得できず、理念で導けず、残されたのは軍事と制裁的経済政策という「ハードパワーの演出」だった。

かつてのアメリカは、他国の構造を変えることで覇権を維持した。だがいまは、自国の構造を守るために防御する覇権国家になっている。

トランプ外交の最大の特徴は「ディール(取引)」である。彼は外交をビジネス交渉として捉え、政治を利害の交換として設計した。だが、その「取引主義」は次第に“被害を抑える外交”へと変質していった。

本来、ディールとは“変化を創るための交渉”である。ところが、トランプ政権後半の外交は“損失を最小化するための取引”に転じた。アメリカが「攻めるための交渉」から「守るための交渉」に後退した瞬間である。

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