【大河ドラマ べらぼう】第8回「逆襲の『金々先生』」回想 瀬川と蔦重の絆の一冊は切ない夢物語 鱗形屋起の勝負本は「大人向け漫画」の先駆け

“文芸大河”の薫るストーリー、3つの書籍に注目

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」。ラストに荒々しくもドラマチックなシーンが入った第8回は、同時に「光る君へ」を思わせる“文芸大河”の回でもありました。ドラマに登場した物語や書物はそれぞれストーリーとも深く繋がっていて、味わい深さを増しています。この「回想」では3つの書籍に注目していきます。

蔦重、「お前は豆腐の角に頭ぶつけて…」

「豆腐の角に頭ぶつけて…」。九郎助稲荷(綾瀬はるかさん)でなくても、そう言いたくなる蔦屋重三郎(蔦重、横浜流星さん)の唐変木ぶりでした。ここでは一冊の本が香ばしい(?)スパイスになりました。

「ば~か。べらぼうめ」。九郎助稲荷も蔦重の察しの悪さにあきれ顔(?)

蔦重のピンチを心配する瀬川、ところが…

海賊本制作で摘発され、失墜したと思われた鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助さん)が『金々先生栄花夢』というベストセラーの大ヒットを飛ばしました。頭の回転のいい瀬川(小芝風花さん)は、鱗形屋にとって代わる形で、蔦重が江戸市中の出版業者である「地本問屋」の仲間入りをするというプランが危うくなってきたことを察知。その心配を蔦重に伝えると、吉原の経営陣である忘八たちの間で蔦重を支えようという機運が高まり、蔦重が色々と相談に乗ってもらっていることを知りました。

瀬川にとっても嬉しいニュースではあります。が、これまで蔭になり日向になり、ひそかに思いを寄せる蔦重を支えてきた瀬川にしてみれば、複雑な気持ちにもなるのも無理はありません。「吉原をなんとかしたいのは、もうわっちら二人きりじゃなくなったということだね」。瀬川の言葉の裏側が読めない蔦重。気がきかない蔦重が瀬川に渡した本は、よりによって「女重寶記おんなちょうほうき」でした。

「女重寶記」は花嫁修業の必携

「女重寶記」は、女性向けに家事や婚姻、妊娠、出産、様々な習い事などに関する知識や情報をまとめた百科事典風の書物。男性向けの「男重寶記」もありました。江戸時代には庶民も含めて広く読まれました。かつては多くの家でよく見かけた「家庭百科事典」の前身のような存在でしょう。

『女重寶記』(国文学研究資料館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/200015493町人、武家、公家、お百姓、女郎など様々な層の女性を対象にしていたことが分かります 配膳の様式 熨斗(のし)の様々な形式を紹介

家事一般にとどまらず、身に付けるべき教養として古事記や勅撰和歌集、「源氏物語」なども挙げられていて、当時の女性の教育水準が伺われます。

北斎の娘、応為が挿絵の版も

ちなみにここで例示した「女重寶記」の版(弘化4年=1847年=)は葛飾北斎の娘で、名手として知られた応為(おうい)が挿絵を描いています。さすがに見事です。版元には「べらぼう」にも登場している書物問屋、須原屋の名前があります。本格的な教養本の扱いだったわけです。

瀬川が「救いたい女郎のひとり」に過ぎないの?

「瀬川には名のある武家や商家の旦那に身請けされて、幸せになってほしい」という蔦重の思いにウソはないでしょう。そのために恥ずかしくない知識や教養を身に付けてほしい、というつもりで渡した「女重寶記」でしたが、瀬川にしてみればやりきれない一冊でした。「わっちは蔦重にとって、吉原に山といる救ってやりたい女郎のひとりなんだね」。ここまで言われて分からない蔦重のべらぼうぶり!やっぱり豆腐の角に頭をぶつけてもらわないと、の一幕でした。蔦重が瀬川の真意に気付くのはいつでしょう。

瀬川と蔦重の絆の原点「塩売文太物語」

2人の幼少期のエピソードも印象的でした。ここにも一冊の本がありました。2冊目を紹介しましょう。

大切にしていた根付を井戸に落としてしまい、諦めがつかないあざみ(前田花さん、瀬川の幼少期)に、柯理からまる(高木波瑠さん、蔦重の幼少期)が「おいらの宝物やるから、これで手打ちにしない?」と差し出したのが「塩売文太物語」でした。

2人の思い出の本となりました。この本は鱗形屋が版元です。2人が小さいころから鱗形屋とは因縁があった、とも読み取れそうな逸話です。「赤本」と呼ばれる子ども向けの分かりやすいお話です。

あの朝顔姐さん(愛希れいかさん)から、優しく読み聞かせしてもらったものでしょうか。だから柯理にとって「おいらの宝物」だったのかもしれません。

教養あるやさしい娘のシンデレラストーリー

「塩売文太物語」は室町時代に成立した御伽草子「文正草子」から様々に派生した物語のひとつです。塩売文太物語では、常陸国(現在の茨城県)で塩を作っていた文太夫婦とその娘、小しほ、が主人公。

『塩売文太物語 2巻』,鱗形屋,寛延2刊. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2533276

小しほは歌を学んで教養深く、地元の大宮司に見初められますが、彼女は、都から来た商人でやはり学のある助八と深いに仲になります。頑として大宮司への嫁入りを拒否し、結局、助八と駆け落ちします。

駆け落ちする小しほ、無事を手紙で知り安堵する文太夫婦

怒った大宮司は文太夫婦を海に沈めようとしますが、小しほが助けた鴛鴦(おしどり)の夫婦が人間の役人に変身して2人を助けてくれます。

妻に会いたかろう、と鴛鴦を逃がしてやる小しほ 腹いせに文太夫婦を海に沈めようとする大宮司 恩返しを果たし、鴛鴦の姿に戻って飛び去る

小しほが駆け落ちした商人の助八は、実は「有栖の中将」という高位の貴族だったのでした。中将と小しほの夫婦は仲睦まじく暮らしました。めでたしめでたし。

有栖の中将と仲睦まじく暮らす小しほ

子供向けの他愛無いお話といってしまえばそれまでですが、優しい娘のシンデレラストーリーをベースに、権力者による弱い者いじめ、動物の恩返し、貴種流離譚(高貴な身分の人物が試練を乗り越えて成長する物語の類型)など、様々な要素を巧みに盛り込んでいます。広く読まれたのも納得です。

愛読した瀬川の心象風景は…

とりわけ、幼くして借金のカタに吉原に売り飛ばされた少女にとって、このお話の内容はとても心に響くものだったでしょう。大きくなっても、本がボロボロになるまで読んでいた瀬川の想いとは……。文字通りの「シンデレラストーリー」が間近に迫っている彼女ですが、本当に迎えに来てほしかった人は誰だったのでしょうか。

「大人向け漫画」の偉大な先駆者『金々先生栄花夢』

読んだ誰もが「これは面白い」と口をそろえる『金々先生栄花夢』がいよいよ登場しました。

ふだんは本を読まない次郎兵衛(中村蒼さん)もにやにや 鳥山検校に読み聞かせた瀬川も思わず身を乗り出す面白さ

海賊本が公儀にバレて摘発という痛手を食らいましたが、本作りに傾ける情熱に嘘はない鱗形屋。起死回生の一作でした。

「赤本」「青本」「黒本」など「草双紙」と呼ばれる絵本小説の発展形として制作されたものです。前述の「塩売文太物語」のように、草双紙は絵の余白に文章を書きこんだ娯楽性の高い読み物ですが、「金々先生」はそれまでの子どもや青少年向けの内容からぐっと大人向けにシフトしました。「黄表紙」という草双紙の新しいジャンルを作った一冊で「黄表紙の祖」とも言われます。現代の大人向け漫画の源流と言ってもよいでしょう。冒頭から雰囲気が違います。名高い序文です。

恋川春町 作・画『金々先生栄花夢 : 2巻』,鱗形屋孫兵衛,[安永4(1775)]. 国立国会図書館デジタルコレクション

ある文章に次のように記されている。「この世は夢のようだ。おもしろいと思う時間は短い」と。ほんとうにそうだ。金々先生の華やかな一生も、あの盧生の「邯鄲」の夢も、粟の粥が煮える間ほどの短い間のことではないか。金々先生が誰かはしらない。「古今三鳥」のような正体不明のものではないか。いわば、金のあるものが金々先生となり、金のないものは間抜け男となる。だから金々先生は一人の名でありながらその人一人の名ではなく、すべての人の名でもあるのだ。あの「神銭論」にあるではないか。「金のあるものが人の前に立ち、金を失くすものは人の後ろにつくのだ」と。それはまあ、こういうことなのだ。(『「むだ」と「うがち」の江戸絵本 黄表紙名作選』笠間書院から)

「夢オチ」の古典になぞらえた金々先生の世界

漢文調の何やら哲学めいた序文で、従来の草双紙とは趣きが違います。「邯鄲」は有名な故事を指します。中国唐代の小説「枕中記」にある地方の青年の盧生のエピソードです。盧生は出世しようと都へ旅に出た途中、邯鄲という街で眠っている間に王位を譲られて栄華を極める夢を見たが、目が覚めると黄梁(粟)が煮えるまでの間の事で、人生の儚さを知って故郷に帰ったーーというものです。日本では謡曲「邯鄲」で広く知られ、「邯鄲の夢」などの言い回しがあります。いわゆる「夢オチ」の代表的な古典で、この「金々先生」もこのフォーマットを準用しています。

書き出しの「浮世は夢の如し」は中国詩歌の至高の存在、李白の「春夜桃李に宴するの序」の一節。また最後の「神銭論」は中国・西晋時代の魯褒の著書で、お金が万能である世の中の愚かさを説きました。こうした中国古典の広範な知識を踏まえた点も、「金々先生」の大人向けの雰囲気を強めています。

恋川春町 作・画『金々先生栄花夢 : 2巻』,鱗形屋孫兵衛,[安永4(1775)]. 国立国会図書館デジタルコレクションストーリーはいたって単純です。「邯鄲の夢」同様、世間の楽しみをやり尽くそうと、田舎から江戸に出て来た金村屋金兵衛という男が名所の目黒不動尊に寄り、名物の粟餅を食べようと粟餅屋に寄りました。出来上がりを待っている間に寝込んでしまい、夢を見ます。神のお告げとやらで豪商の跡取りになり、吉原通いの贅沢三昧の暮らしに。ところが店を傾けるほどの遊び過ぎに勘当され、もとの一文なしに。そこで目が覚め、世の儚さを悟った金兵衛は田舎に帰るのでした。

精密な画面構成、リアリティの妙

よくある「夢オチ」のお話なの?と思われるかもしれません。ところがこの作品、そんな単純なものではありません。

恋川春町 作・画『金々先生栄花夢 : 2巻』,鱗形屋孫兵衛,[安永4(1775)]. 国立国会図書館デジタルコレクションお話は分かりやすいものですが、絵やストーリーのモチーフが一気に進化しました。絵画表現では遠近法を巧みに使い、たくさんの人物を書きこんで動きのある劇的な場面を演出。

恋川春町 作・画『金々先生栄花夢 : 2巻』,鱗形屋孫兵衛,[安永4(1775)]. 国立国会図書館デジタルコレクション上の絵でも、カゴに乗っている人は誰だろう、と思わせる巧みな構図が印象的。当時の読み手には、近くの僧侶が品川の盛り場にこっそり女を買いにいくのだろう、と想像させるシーンになっていました。

ストーリー作りでは、遊郭の風俗などを描いて当時流行していた小説、洒落本の発想を取り入れました。当世風の洒落を尽くすという意味の「きんきん」などの流行語を積極的に使い、街の人々の生態を生き生きと描いています。

羽織や下着、頭巾など流行りのいでたち吉原へ足をのばす金兵衛。お気に入りの女郎の気を引こうと金銀を枡に入れてばらまきます。お付きの連中は「やった」とばかりに必死にお金を拾いますが、女郎は「お金ではなびかないよ」とそっぽを向いています。心理描写も細かいのです。

吉原で一時流行ったという頭巾姿

絵も文も独自の才能、恋川春町

作者の恋川春町は序文で自らを「画工」と名付けており、絵筆の才を自認していたことが伺われます。馬鹿馬鹿しいお話ながら、写実的な絵と文章が相まって、豊かな同時代性を感じさせるのが黄表紙の特徴。瞬く間に人気を集め、このジャンルを確立させる一冊となりました。駿河の小藩、小島藩の武士である倉橋格が恋川春町の正体。蔦重とも強い繋がりを持つことになります。いったいどんな人物として「べらぼう」で描かれるのでしょうか。

ブラック業界、女郎の一日

大名跡を襲名し、吉原で最も注目される存在となった瀬川。花魁道中も十重二十重の人だかりになりました。キャラクターを切り替えて、迫力を増した小芝風花さんの所作に惹きこまれました。

大いに名前を売った結果、分刻みのスケジュールを強いられます。吉原ナンバーワンの女郎とはいえ、扱いの荒い客も引き受けないわけにはいきません。身体が悲鳴を上げるような時もありました。

「なんで売れっ子の瀬川にそんな客を付けるのか」と店側に怒る蔦重でしたが、「どんな客でも誰かが相手せねばならない。わっちなら構わないのか?」と松の井に問い詰められ、蔦重は返す言葉もありませんでした。暇では困りますが、賑わっても大変なのが吉原の女郎の暮らしです。

「吉原噺 蔦屋重三郎が生きた世界」(徳間書店)などによると、女郎の一日は明け六つ(午前6時)に客を起こし、送り出すところから始まります。二度寝して昼四つ(午前10時)ごろにもう一度起床。食事を終えて真昼九つ(正午)からは昼見世という日中の営業が始まります。売れっ子の花魁は特別な予約でもない限り昼見世には出ないということですが、客が来なければ誘いの手紙を書いたり、習い事をしたりとやるべきことは山とあります。

夕七つ(16時頃)に昼見世は終了。いったん食事などをとり、暮れ六つ(18時頃)にいよいよ夜見世がスタート。ここからは食事をとる暇もなく、真夜九つ(午前0時)まで宴席などに明け暮れます。そのあと床入りとなり、寝られるのは夜八つ(午前2時)ぐらいでした。

思わずじっと己の顔を見つめた瀬川。「吉原のため」「蔦重のため」と覚悟を決めて襲名した彼女ですが、彼女の幸せはどういう形で実現するのでしょうか。

検校、なぜこれほどの権勢?

鳥山検校(市原隼人さん)が大いにクローズアップされた回でもありました。吉原で最注目の瀬川を指名し、余裕の遊びっぷりでした。羽振りのいい客を扱い慣れている松葉屋でさえ、下にも置かぬ丁重な扱いです。大物ぶりを伺わせました。

高度な自治を認められた存在、金貸業も公認

当時、目の不自由な人たちは職能団体として「当道座」という集団を作ることを幕府から許されていました。検校とはその組織の最高位の役職です。「当道座」は重罪の裁判権まで持つなど高度な自治を認められ、金貸業を営むこともできました。経済の発展にくらべて、金融のシステムが未発達だった当時、彼らの金融の役割は大きく、鳥山検校のように巨万の富を築く者もいたのです。ただし儲け過ぎには批判も多く、幕府との関係はこれからのストーリーにも関わってきます。また、このように潤っていたのは言うまでもなくごく限られた層で、大半の人は厳しい暮らしを強いられていました。

「吉原は悪所」の本音に、忘八たちの怒り心頭

「吉原者は卑しい外道。同じ座敷にもいたくないという具合で」。吉原細見をこれまでの倍売ったら蔦重の仲間入りを認める、という約束を反古にした江戸市中の地本問屋(出版業者)たち。そのリーダーである鶴屋(風間俊介さん)の言いぐさに、吉原の顔役たちである「忘八」の面々が盛大にキレました。

鶴屋の発言はある意味、市中の人々の本音でもあったでしょう。江戸の街では当時、吉原と芝居町は「悪所」と考えられていました。華やかな文化の発信地である一方、「深入りしてはならない悪い場所」というイメージも強かったのです。

とはいえ、それを面と向かって言われたら許せるわけもありません。プライドとプライドが正面衝突したこのバトル、一体どう決着するのでしょうか。 (美術展ナビ編集班 岡部匡志) <あわせて読みたい>

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