ナチスと有機農業、藤原辰史さんに聞く 歴史が投げかける教訓とは

聞き手 編集委員・山下知子

藤原辰史・京都大学教授

 農業史や環境史が専門の藤原辰史・京大教授は長年、ナチスと農業政策、特に有機農業について研究してきました。リベラルなイメージのある有機農業と、グロテスクな歴史を持つナチスはなかなかイメージが結びつきません。どう関わっているのか。現代への教訓とは。戦後80年の節目に聞きました。

 ――主著「ナチス・ドイツの有機農業」を読んだ時、有機農業とナチスに接点があったこと自体に驚きました。

 ナチスの農業政策そのものに有機農業的なものは導入されていません。ただ、ナチスの幹部の幾人かが強い関心を持っていました。

 私の研究に、有機農業をおとしめる意図はありません。逆に、大きな可能性を持っていると考えています。

 近代農業は、化石燃料に由来する農薬や化学肥料を農地に大量投入します。そして、プランテーションでは、一つの作物を栽培します。単一栽培の結果、土壌は痩せていきます。その回復のためにも、有機農業は依然として大きな意義を失っていません。

 自然に負荷をかけない農業はいかにして可能か。どうしたら多くの人とその成果を共有できるのか。地球規模の難しいテーマです。だからこそ、近代農業にあらがい、土壌中の微生物の力を最大限発揮させる有機農業が持つ「あやうさ」も同時に考える必要があるのです。

「ドイツ人は優秀な民族だ」

 ――有機農業とナチスはどう関わり始めるのでしょうか。

 1929年秋に始まる世界恐慌以降、ナチスは選挙で勝ち始めます。支持したのは、恐慌で職を失った失業者や農民層でした。

 農民層の支持は、北ドイツの大規模酪農地帯が目立ちます。ここでは牛や家を担保に大型の酪農機械が多く導入されていました。恐慌の影響を受け、農民たちが負っていた多額の借金が焦げ付き始めます。

 北ドイツはデンマークと国境を接していて、元来、ナショナリズムが強い傾向がありました。恐慌期には「ラントフォルク運動」という農民たちの反政府運動も起こります。この運動をナチスは暴力事件が起こるまで支持していました。

 選挙中、失業者や農民、その家族らを前にナチスはこう宣伝するのです。

 「ドイツ人は優秀な民族だ」

 職を失い、借金を背負い、自信を失いかけていた人たちに「君たちはドイツ人だ、存在するだけで十分に価値がある」というメッセージが響いたのではないか。そう私は推測しています。

 そして、この「ドイツ人は優秀だ」の根拠にナチスが持ち出したのが、「ドイツの美しき自然」というイメージです。ドイツの大地は祝福されており、畑を耕し、子どもを生み育ててきた我々ドイツ人は立派だ、というように。ナチスのスローガン「血と土(Blut und Boden)」には、このような意味が含まれています。

 背景には、急速な都市化と、それに伴う都市と農村の格差拡大がありました。農民層の反発心をすくい取り、都市のような「退廃文化」が蔓延(まんえん)し、空気が悪いところではなく、自然に恵まれた農村でこそ、健全な精神と頑丈な身体を持った人間が育っていくのだ、と訴えました。日本の農本主義とも似ています。

藤原辰史著「ナチス・ドイツの有機農業」(新装版、柏書房)

 ――重要な役割を果たしたのは、どんな人物でしょうか。

 ナチス政権で食糧・農業大臣をつとめたリヒャルト・W・ダレ(1895~1953)です。イエナ大学でブタの育種について研究し、1930年に国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党。農政分野のリーダーとして選挙戦略を担います。

 彼が編み出したスローガンが、「血と土」に他なりません。

 ダレの主著「血と土からの新貴族」(30年)によれば、血とはドイツ人を指す「アーリア人種」、土とは「ドイツの自然」を意味します。そして農民は「貴族」のように尊い存在になると訴えました。

 戦略は、かなりの成功をおさめます。ダレは選挙時の農村をナチ化した最大の貢献者と言っていいでしょう。

 ――恐慌の影響のほか、農業にとって30年代はどのような時代だったのでしょうか。

 化学肥料や大型農業機械の導入で、生産力が飛躍的に上昇する一方、土地が痩せていくことが認識され始めた時期です。特にアメリカは、痩せた土壌が砂状になって空中に舞う「ダストボウル」が起こり、昼間なのに夜のように暗くなる。世界に衝撃を与えました。

 ダレは、優秀なアーリア人種が耕し、子孫を増やしていく土地が痩せていては意味がない、と考えます。そこから、化学肥料を拒否した「バイオダイナミック農法」と呼ばれる、一種の有機農業に近づいていきました。

 それ以外にも、親衛隊長のヒムラー、総統代理のルドルフ・ヘスが深い関心を有機農業に示しました。

ナチス親衛隊のパレードを見る隊長のハインリヒ・ヒムラー(中央)と総統のアドルフ・ヒトラー(C)United States Holocaust Memorial Museum

 そして、ドイツ人が生まれ育つ場を「劣等人種」を「混植」させない「育成農場」だと位置づけます。劣等人種とはユダヤ人であり、ロシア人やポーランド人であり、ドイツ人であっても障害や精神疾患がある人らは排除の対象となりました。ナチズムは、健康主義的要素が強いのです。

 優生思想と有機農業、自然保護、エコロジーがこうして、ナチスの重要な幹部たちの中に共存した意味は、現在の環境問題を考える上で忘れてはならない過去でしょう。

 ――ヒトラーのスタンスは?

 ヒトラーは基本的に中立的でした。選挙で勝っていく初期の頃も、33年に政権を取ってからも農業が大事だと考えていましたが、戦争遂行には食糧増産が必須。生産性が高くない有機農業をロマンティックに唱えるダレを遠ざけていた様子もうかがえます。

人種問題へのすり替え

 ――苦境にある農民や失業者に目を向けた点など、ナチスの出発点は間違っていないと感じます。

 ナチスが人間の生命を害虫のそれのようにないがしろにした、おぞましい組織であったことは揺るぎません。

 その上で、ナチスが向き合った問題は決して外れてはいなかった、と言えます。恐慌後、苦境にあえぐ失業者や農民に焦点を当てた点は的確と言うべきでしょう。ただ、問題の立て方と解き方が、完全に間違っていました。要するに、人種問題にすり替えたのです。

 ナチスは失業者や農民に対し、いわば「君は君のままでいいんだ」と言うんですね。これ自体、否定できません。ただ、その根拠が生物決定論、遺伝決定論であったことが決定的に間違っていたのです。

徹底的に対決する

 ――今の時代に、有機農業とナチスについて考える意義はどこにあるのでしょうか。

 日本やアメリカなどの政治状況をみると、ナチスが選挙で勝ち始める100年前ととても似ていると言わざるをえません。特に「アメリカ・ファースト」を掲げて選挙を制し、グリーンランドをもらうと豪語し、強さを痛いほどアピールするアメリカの虚勢は、100年前のドイツの虚勢に近いものがあります。

 日本でも、経済力の低下を背景に、ヘイトスピーチが問題化して以来、排外主義的なフレーズが収束する気配はありません。「○○人はこうだ」との言葉に疑義を申し立てていく、つまり遺伝決定論と徹底的に対決することから、私たちは逃げることはできません。

 人は、様々な関係性の中で育っていく、実に多様な存在です。遺伝だけで、その人の存在意義は決まりません。歴史研究をしてきて思うのは、人間の過ちの犯し方は、あまり変わらないということ。そうである限り、地球上から歴史学が消えることはありません。

アウシュビッツ強制収容所が解放されてから80年を迎え、収容所長だったルドルフ・ヘスが住んでいた家が一般公開された=2025年1月27日、ポーランド南部オシフィエンチム

 ふじはら・たつし 1976年、北海道生まれ、島根県育ち。京都大人文科学研究所助手、東京大農学生命科学研究科講師を経て、京都大人文科学研究所教授。20世紀の食と農の歴史や思想を研究。著書に「ナチスのキッチン」「ナチス・ドイツの有機農業」「食権力の現代史」「生類の思想」など。

この記事を書いた人

山下知子
編集委員|週刊アップデート編集長
専門・関心分野
教育、ジェンダー、セクシュアリティ、歴史

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