もうお金を払うだけでは「最強のAI」を使えない…アンソロピックが導入した「会員制AI」に日本企業が入る方法(プレジデントオンライン)
最先端のAIは、もう誰でも無料で使えるものではなくなっている。今年6月、AI開発大手アンソロピックが、米政府の指示を受けて最上位モデルの外国への提供を停止したことが話題になった。10月には、高度なサイバー能力を使える利用者を3段階で審査する制度も広げている。日本工業大学大学院技術経営研究科の田中道昭教授は「最先端のAIは、『誰でも使える道具』から、使い手を審査して選ぶ『会員制』の道具へと姿を変えつつある」と指摘する。10月20日刊行の新著『古典で読み解く! 10年後の未来 何が世界を動かしているのか』(朝日新聞出版)より、一部を紹介する――。(第6回)
■自分の会社のAIなのに、自社社員が使えない 2026年6月12日、AI開発企業アンソロピックに、米政府から一つの指示が届いた。同社の最上位モデル「Fable 5」と「Mythos 5」について、外国籍の人による利用を止めよ、というものである。国家安全保障を理由とする、輸出管理の指示だった。 驚くのは、その対象である。指示は、アンソロピックで働く外国籍の社員にも及んだ。自分たちが開発したAIを、開発した本人たちの一部が使えなくなったのである。 同社の公表文によれば、政府が理由に挙げたのは、モデルの安全対策をすり抜ける手法が見つかったことだった。プログラムの欠陥を分析させるという、一見まっとうな依頼を通じて、安全対策を回避できてしまうという。 だが、ここで実務上の大きな壁にぶつかる。画面の向こうの利用者が、どの国の国籍を持っているかを、その場で確かめる方法はない。外国籍の人だけを正確に締め出すことができない以上、同社が選べる道は一つしかなかった。全利用者への提供を、いったん止めることである。 同社は指示に従ったうえで、はっきりと異議も唱えた。限られた条件でしか働かない回避手法が見つかったことは、何億人もが使う商用モデルを回収する理由にはならない。そう主張したのである。 6月26日、政府の承認を得て、一部の米国の組織に対するMythos 5の提供が回復した。6月30日に規制の解除が発表され、7月1日からFable 5の提供も再開された。最強のAIが表舞台から消えていた期間は、19日間に及んだ。 この19日間が教えてくれたことは大きい。最先端のAIは、もはや電気や水道のように、いつでも誰でも使えるものではない。誰が使えるかを、国家や開発企業が選ぶ時代が始まったのである。■「先に考える者」と「後で考える者」 この時代を読み解く鍵が、ギリシャ神話のある兄弟の物語にある。 人間に火を渡した神、プロメテウスの名は「先に考える者」を意味する。彼には弟がいた。名をエピメテウスという。こちらは「後で考える者」である。名前のとおり、この兄弟は正反対の性格をしていた。紀元前700年ごろの詩人ヘシオドスは、『仕事と日』のなかで、この兄弟とゼウスの駆け引きを語っている。プロメテウスに火を盗まれた神々の王ゼウスは、怒りに燃え、人間への「お返し」を用意した。鍛冶の神ヘーパイストスに命じて、土と水から美しい女性の姿をつくらせる。女神アテナが機織りの技と装いを授け、愛の女神アフロディテが魅力を与え、伝令の神ヘルメスが、人をあざむく心を吹き込んだ。神々がこぞって贈り物を与えたことから、彼女はパンドラ、すなわち「すべての贈り物を与えられた者」と名づけられた。
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■兄の警告を、弟は聞かなかった プロメテウスは、かねて弟に警告していた。ゼウスからの贈り物は、決して受け取ってはならない、と。だが、目の前に現れた美しいパンドラを、エピメテウスは迎え入れてしまう。そして災いが現実になってから、ようやく兄の言葉の意味に気づいたのである。 パンドラは、持ってきた甕(一般には「パンドラの箱」として知られる)のふたを開けた。中から、病や労苦が飛び出し、世界中に広がった。ところが、ただ一つ、「希望」だけは甕の縁の下にとどまり、外へ出なかった、とヘシオドスは書いている。希望が甕に残されたことが何を意味するのかは、古代から解釈が分かれてきた。それでも、災いと希望が同じ甕に入っていたという構図には、はっとさせられる。 拙著『古典で読み解く! 10年後の未来 何が世界を動かしているのか』(朝日新聞出版)の第1章では、プロメテウスの火を、現代の人工知能に重ねて考えた。強力な贈り物は、ふたを開ける者を選ぶ。受け取る前に中身を考える者と、受け取ってから考える者とでは、同じ贈り物から得るものがまるで違ってくる。いま、AIの世界で急速に進んでいるのは、この「先に考える」ための仕組みづくりなのである。■AIは「万能の合鍵」になった なぜ、最先端のAIは使い手を選ぶようになったのか。サイバー防御の分野を見ると、その理由がよくわかる。 アンソロピックによれば、高度なAIを使う先行的な取り組みに参加した組織は、2026年4月から7月までに、少なくとも12万9000件の脆弱性、つまりシステムの弱点を見つけ、検証した。これとは別に、同社自身も4月から10月までに5500件を見つけ、検証している。これらのうち3万3000件超が、重大または危険度の高いものと評価された。同社によれば、集計は参加組織の一部から寄せられた報告に基づき、取り組み全体を網羅した数字ではない。
4カ月間の報告件数を日数で割ると、参加組織全体で1日約1000件に相当する。毎日1000件ずつ、世界のどこかのシステムの弱点が見つかり、確かめられていった計算だ。ただし、これは発見・検証された弱点の数であり、修正が完了した数ではない。見つけた弱点を、どれだけ速く直せるか。守る側の勝負は、そこから始まる。
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■合鍵そのものに善悪はない ここで、AIを「万能の合鍵」にたとえてみたい。どんな扉の弱いところも見つけ出す合鍵は、鍵屋の手にあれば、家々の戸締まりを点検し、守る道具になる。だが、同じ合鍵が泥棒の手に渡れば、それは侵入の道具になる。合鍵そのものに善悪はない。問題は、誰の手にあるかである。 だからこそ、アンソロピックは10月6日、サイバー分野でこの「合鍵」を使える利用者を審査する制度を、3つの段階に広げた。第1の段階は、攻撃を受けたときの対応や、不正なプログラムの解析といった防御の業務。第2は、許可を得て行う侵入の試験。第3は、電力網や航空のシステム、銀行間の送金基盤といった、社会にとってきわめて重要なシステムの検査である。最も上の段階では、参加する組織を米政府とともに審査する。 これは、会員制のクラブに似ている。入会には審査がある。会員の種類によって、入れる部屋が違う。最も奥の部屋に入れるのは、最も厳しい審査を通った会員だけだ。AIの管理は、「全部止める」か「誰にでも開く」かの二択から、誰に、どの部屋の鍵を渡すかを決める段階に入ったのである。 もっとも、クラブの外にいる人が何もできないわけではない。一般に提供されるモデルでも、プログラムの点検や既知の問題の修正、自社のプログラムの弱点探しといった仕事は、引き続き任せられる。会員制になったのは、最も強力なサイバー能力の部分である。■会員になれなかった側は、自分で火をおこす 会員制にすれば、会員になれない者が生まれる。そして、会員になれなかった側は、指をくわえて待ってはいない。 5月には、Mythosを利用できない欧州の銀行に向けて、フランスのミストラルAIが、サイバー防御に特化したモデルを開発していると報じられた。米国の最先端の火が届かないなら、自分たちの手で別の火をおこす。誰に渡すかという判断は、それ自体が新しい市場を生み、AIの勢力図を塗り替えていく。 ここに、本書で論じた「堀」と「縛り」の二面性が見えてくる。本書では、アンソロピックにとって安全性と信頼性は、他社の参入を防ぐ「堀」になると同時に、自社製品を出す速度を制限する「縛り」にもなると書いた。安全のための基準は、事故を防ぐと同時に、誰が市場に入り、誰が技術を使えるかを決める力も持つのである。
その力を一社が握り続けてよいのか、という問いも当然出てくる。アンソロピックのダリオ・アモデイ最高経営責任者は9月12日の論考で、外部の評価者が社員と同じように開発の現場に入れる仕組みや、企業が共同で安全基準を定めるための制度上の特例、各国の協調を提案した。会員の審査基準を、一社の判断から、社会が確かめられる仕組みへ移そうという提案だと読める。本書の第4章では、AI革命後の競争のルールは、最終的に人間社会の政治が決めると論じた。誰に火を渡すかを決める仕組みづくりは、まさにその政治の最前線なのである。
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■日本企業が「AIに選ばれる会社」になるために では、日本企業はこの変化をどう生かせばよいのか。発想を一つ転換したい。AIを選ぶ側から、AIに選ばれる側への転換である。正確には、強力なAIの提供先として選ばれる会社になる、ということだ。 1つ目は、「審査を通る会社」になることだ。最先端のAIほど、使い手を選ぶようになる。そのとき問われるのは、何のために使うのか、誰がどの権限で使うのか、使った記録が残るのか、問題が起きたときに報告し、止められるのか、である。社内のどの部署が、どのAIを、どの業務に使っているのかを一覧にし、権限と記録の仕組みを整えておく。地味な作業に見えるが、これは規制への備えにとどまらない。最先端の火を、他社より先に、より大きく受け取るための会員資格になる。■止まる日は来る、と考えておく 2つ目は、火の入手先を一つに絞り込まないことだ。6月の19日間が示したように、どれほど優れたAIでも、使えなくなる日は来うる。止まったときに切り替えられる別の手段を、平時から用意しておく。欧州の銀行が別の火を探し始めたように、選択肢を持つことは、それ自体が交渉力になる。 3つ目は、受け取った火を、まず守る力に使うことだ。1日約1000件のペースで弱点が見つかるという事実は、弱点を見つけ、それを修正につなげる体制の重要性が、かつてなく増していることを意味する。最先端のAIを正しく受け取れる組織は、自社だけでなく、取引先や顧客を守る力でも先を行ける。それは、取引先から選ばれる理由にもなる。
そして、選ばれる準備をする一方で、選ぶ側の条件も確かめておきたい。利用の資格は、何を理由に取り消されるのか。預けた業務のデータは、どこに保存されるのか。突然使えなくなったとき、仕事を別の手段へ移せるのか。審査に通るために従うだけでなく、提供者の仕組みを見極める力を持つ。それが、強力なAIを主体的に使いこなす企業の条件である。
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■甕のふたを開けるのは、先に考える者 エピメテウスは、贈り物を受け取ってから考えた。プロメテウスは、渡す前に考えた。 AIという新しい火が「選んで渡される」時代に、企業に求められているのは、プロメテウスの側に立つことだろう。何のために火を使い、どう管理し、止まったときにどうするのか。それを先に考え、仕組みにしておく企業こそが、最も強い火を受け取る会員に選ばれていく。 パンドラの甕から災いが広がったあと、希望だけは内に残った。その意味については、解釈が分かれる。だが、この物語を手がかりに、私たちは問うことができる。強力な贈り物を受け取る前に、何を考え、何を備えるのか。AIの可能性を仕事の成果に変える準備は、受け取る前から始まっているのだ。----------田中 道昭(たなか・みちあき)日本工業大学大学院技術経営研究科教授、マージングポイント代表取締役社長、戦略コンサルタント上智大学文学部卒業。在学中に、哲学・歴史・文学・宗教などを学び、人間・社会・文明を読み解く視座を培う。シカゴ大学経営大学院MBA(ストラテジー、ファイナンス、計量経済を専攻)。専門は、企業・産業・技術・金融・経済・国際関係を横断し、企業・社会・国家の構造と未来を読み解く戦略分析と戦略策定・実行。三菱東京UFJ銀行投資銀行部門調査役、シティバンク資産証券部トランザクター(バイスプレジデント)、バンク・オブ・アメリカ証券会社ストラクチャード・ファイナンス部長(プリンシパル)、ABNアムロ証券会社オリジネーション本部長(マネージングディレクター)などを歴任。テレビ東京「WBS」コメンテーター。日本経済新聞電子版「Think!エキスパート」。テレビ朝日「大下容子ワイド!スクランブル」月曜レギュラーコメンテーター。ニッセイ基礎研究所客員研究員、Ridgelinez戦略アドバイザー、公正取引委員会独占禁止懇話会メンバーなども兼務。著書に『古典で読み解く!10年後の未来 何が世界を動かしているのか』(朝日新聞出版、近著)、『フィジカルAIの衝撃』(朝日新聞出版)、『GAFA×BATH 米中メガテックの競争戦略』(日本経済新聞出版社)、『世界最先端8社の大戦略』(日経BP)などがある。
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