「空気が悪い街に住むと認知症になりやすい」は正しかった 国際的な研究が次々と明らかにする“脳を守る環境の作り方”
6/17 7:00 配信
日本では認知症はますます身近な問題になっています。 2022年時点で、認知症とその予備群であるMCI(軽度認知障害)を合わせると、高齢者の約3.6人に1人にあたります。2040年にはさらに増え、約3.3人に1人が認知症またはMCIになると見込まれています。
認知症の原因というと、多くの人は年齢や遺伝のほか、高血圧や糖尿病といった生活習慣病を思い浮かべます。確かに適切な運動、食事、睡眠、血圧管理、禁煙、難聴への対応といった取り組みは、予防の重要な柱として強調されています。
しかし近年、医学界ではもう1つのポイントに注目が集まっています。それは「環境」です。 どんな空気を吸い、どんな水を飲み、どれくらい緑に触れ、どれほどの暑さにさらされるか。こうした日常の環境が、長い年月をかけて脳の老化に影響する可能性が研究でわかってきました。■権威ある医学誌の「認知症予防」
2024年、イギリスを中心とする国際研究班が世界トップクラスの医学専門誌『ランセット』に認知症予防の最新版報告書を発表しました。
認知症の約45%は、14の修正可能な危険因子に対処することで予防、あるいは発症を遅らせられる可能性があるというものです。修正可能とは、例えば禁煙したり、高血圧などの治療をしたりして、リスクを減らす対処が可能であるということです。残りのリスクは遺伝のような変えることができないもののため、修正が難しいという意味になります。
注目したいのは、その修正可能な高血圧や糖尿病、喫煙、肥満、難聴など医学的なリスク因子のほかに、「大気汚染」という項目が2020年版から引き続き含まれ、世界的なコンセンサスとなっていることです。
このランセット報告書によると、大気汚染は世界の認知症の約3%、約165万人分の原因に相当すると推計されています。すなわち、きれいな空気を吸うことが、呼吸器や心臓だけでなく、脳の健康にも直結するということです。■大気汚染がなぜ認知症リスク? 大気汚染がなぜ認知症の危険因子となるのでしょうか? 特に注目されているのはPM2.5です。
PM2.5は直径2.5マイクロメートル以下の微小粒子で、髪の毛の太さの30分の1ほどしかありません。ごく小さな粒子のため空気と一緒に肺の奥まで入り込み、一部は血液中に入って全身に炎症を起こします。
体内に入ったPM2.5によって引き起こされた炎症により血管の内側が傷つくと、酸化ストレスが高まり、動脈硬化が進みやすくなります。脳は大量の酸素を必要とする臓器なので、脳の細い血管が傷むと酸素や栄養が届きにくくなり、脳の神経のダメージにつながってくるのです。 さらに、PM2.5による炎症は脳そのものにも影響します。
脳の免疫細胞であるミクログリアが過剰に活性化すると、本来なら神経細胞を守るはずの反応が、かえって神経を傷つける方向に働いてしまうのです。また、慢性的な炎症や酸化ストレスによって血液脳関門というバリア機能が弱まると、体内の有害物質が血流にのって脳内に入りやすくなります。
さらに近年は、アルツハイマー病やレビー小体型認知症に関わる異常なたんぱく質の蓄積や排出障害といった老廃物の処理と、PM2.5の関連も研究されています。 大気汚染に限らず、緑地と認知症の関係にも注目が集まっています。
公園や街路樹、森林、河川といった緑地は、これまで“癒やし”や“景観”として、あるいは気候変動対策(二酸化炭素対策)として捉えられがちでした。しかし、近年の研究では、緑地へのアクセスのしやすさが認知症と関係する可能性が示されています。
例えば、2022年にアメリカ医師会の系列医学誌に発表された研究では、アメリカ在住の65歳以上の約6200万人を対象に、居住地周辺の緑地・公園・水辺と、アルツハイマー病などの認知症による入院との関連が調べられました。 認知症による入院が注目されたのは、認知症は、診断されたからといってすぐ入院する病気ではなく、多くは外来受診や介護サービスを利用しながら生活するためです。
入院のきっかけになるのは、認知症の進行により食事や水分摂取が難しくなった場合や、肺炎などで急に状態が悪くなった場合など。つまり「入院リスク」は、認知症そのものの発症だけでなく、進行、合併症、生活環境、介護力まで含んだ指標となります。
■認知機能・注意力も高い傾向 調査の結果は、周囲に緑が多い地域に住む人はそうでない人に比べて、認知症による入院リスクが統計的に5%ほど低い傾向が確認されました。つまり、緑地が認知症の悪化や、入院に至る状況を少なくさせる可能性を示すものと考えられるのです。 このほかにも、緑地がより早い段階で認知機能や発症予防と関連するとの研究も報告されています。
2022年に発表された約1万3600人の女性を対象としたアメリカの研究では、住まいの周囲に緑が多い人ほど、全体的な認知機能や注意力・処理速度のスコアが高い傾向が示されました。
では、なぜ緑地が脳に良い効果をもたらすのでしょうか。 実は、緑地が脳を守る仕組みは1つではありません。 緑のある場所では歩く機会が増え、人と会う機会も生まれます。木陰は暑さと大気汚染を和らげ、自然に触れることでストレスが下がり、睡眠や気分に良い影響を与えることも期待できます。こうした複数の要因が重なって、緑地は脳の健康を支えると考えられているのです。
重要なのは、ただ緑地があればいいということではありません。足腰が衰え気味の高齢者でも、気兼ねなく利用できることが肝心です。段差が少なく、日陰があり、ベンチがあり、トイレがある……そうした条件がそろった緑地こそが、脳を守ってくれるのです。
■水と認知症の意外な関連 大気や緑だけでなく、水そのものも認知症との関連が示されています。注目したいのは、高齢者が十分に水分を摂れる環境にあるかという点が大事なポイントになるところです。 介護施設の入所者を調べた研究では 、約17%が慢性脱水に該当したとするものもあります。慢性脱水は認知症と強く関連し、認知症がある人では慢性脱水の割合が高いことも報告されています。
体の水分が不足すると、血液の量が減り、脳に届く酸素や栄養が少なくなります。また、ナトリウムなどの電解質のバランスが崩れると、頭がぼんやりする、反応が遅くなる、急に混乱する、といった症状が出ることがあります。これは「せん妄」と呼ばれ、高齢者では入院や寝たきりのきっかけにもなります。
そして、近年特に現実的な認知症リスクをもたらす環境は、気温、とりわけ猛暑です。
例えば、認知症リスクと暑さの研究については、日本からも発表されています。日本の高齢者を3年間追跡し、極端な暑さ(それぞれの地域の過去の気候から見て、気温が上位10%、または上位1%の暑さ)にさらされることが多い人では、認知症の発症および死亡リスクが高い傾向があり、暑さの影響が1〜3年という比較的短い期間でも現れる可能性が示されています。
さらに発症リスクだけでなく、入院や死亡リスクを高めることもわかっています。 イギリスの2022年の研究では、気温が高くなるにつれて認知症患者の救急入院が増えることが明らかになりましたし、アメリカの2019年の研究でも、熱波がアルツハイマー病患者の入院を増やし、退院後の死亡リスクにも関係することが示されました。■暑さによる脳ダメージの理由
なぜ熱波が入院や死亡リスクを増やすのか。それは、高齢者は体温調節機能が低下し、のどの渇きも感じにくくなるため、暑さによって脱水、血圧低下、腎機能低下、睡眠障害が起こりやすいからです。その結果、脳への血流が減ってしまい、せん妄や認知機能の悪化を招くことになるのです。
日本では、環境省の「熱中症環境保健マニュアル 〜総論〜(2025年7月版)」による と、2024年6〜9月の熱中症による死亡者数(概数)は2033人にのぼりました。2018年から2023年のデータでは、熱中症で亡くなった人の8割以上が65歳以上の高齢者です。2024年の救急搬送者数は過去最多の9万7578人を記録しています。
室温計を置いて定期的にチェックする、エアコンをしっかり使用する(家族がいる場合は本人任せにしない)、冷房のある公共施設を積極的に使う。こうした対策は、熱中症予防であると同時に、認知症対策にもなりうるのです。
ここまで環境と認知症との関連を見てきましたが、重要なのは、環境要因は単独ではなく複数が重なって効いてくるという点です。 緑が少ない、暑い、交通量が多い(大気汚染)といった条件が積み重なると、高齢者は家に閉じこもりやすくなります。運動量が減り、人との会話が減り、食事や睡眠のリズムも乱れる。その先に、認知機能が低下しやすい生活環境が生まれます。■脳を守るのは薬だけじゃない
認知症と環境要因の研究には限界があるものの、見えてきた方向性は明確です。
脳は、年齢や遺伝だけで老いるのではありません。また、脳を守るのは、薬や検査だけではありません。きれいな空気、涼しい部屋、歩きやすい道、誰かと話せる場所を、日々の暮らしの中に増やしていくことが重要なことを知っていただければと思います。
谷本 哲也 :内科医
最終更新:6/17(水) 7:00