移民のせいでも民度が低いからでもない…フランス全土で「大暴動」が起きた"日本人には理解しにくい背景"(プレジデントオンライン)
フランスで大規模デモに乗じて暴動が発生し、混乱が広がっている。元国際交流基金フランス担当で、神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「日本のSNSでは“移民を受け入れた結果”や“民度の差”といったコメントが散見される。この解釈こそ日本社会を映し出している」という――。
■現地メディアが報じた「フランスの衝撃」 2026年10月17日、フランス全土で騒乱が起きた。 フランス公共放送F2は、現地時間10月18日午後8時から放送したニュース番組で「衝撃のフランス(La France sous le choc)」というタイトルで、通常よりも時間を延長して、このニュースを1時間にわたって報じた。 エマニュエル・マクロン大統領による臨時の演説を含め、次々に流される映像は、さながらフランスで戦争が起きているかのような緊迫感と衝撃に満ちていた。 同国のAFP通信によれば、逮捕者が約2400人に達した。中西部の都市リモージュでは、19世紀に建てられた市庁舎が焼け落ちるなど、打ち壊しや略奪が多発した。17歳の少年が右手を、17歳の少女が片目をそれぞれ失ったほか、警察官と憲兵約1000人が負傷、うち7人が重傷を負った。また、CNNによると、警察官1人とデモ参加者1人が死亡した。 暴動の発端の一つは、9月末から始まった高校生らによる教育環境への抗議だった。教員不足や老朽化した校舎、学習環境の悪化に対する不満が各地の高校に広がり、封鎖や集会が相次ぐ。 他方で、10月中旬に全国に広がった抗議と暴動の参加者が、本当に高校生たち(だけ)だったのかは、断言できない。たとえば、極左政党「不服従のフランス(La France insoumise)」を率い、来年の次期大統領選への出馬を表明しているジャン=リュック・メランション氏は、たびたびデモに参加している。もちろん、フランスも世界的な物価高に苦しんでおり、生活費や公共サービスへの不満、さまざまな立場の人々が加わるのは当たり前だといえよう。日本のSNSでは、今回の騒乱の拡大が「移民」や「民度」というキーワードで分析されている。しかし、この「分析」は、今回の経緯とどこまで合っているのだろうか。
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■国歌「ラ・マルセイエーズ」とは 一連のデモや暴動を「分析」するために、まずフランスがどんな国なのかを確かめておこう。お国柄を最も象徴するのが国歌ラ・マルセイエーズである。同国の駐日大使館のサイトには、大統領府と同じ記述が日本語に訳されている。 それによれば、フランス南部の都市マルセイユの歌、を意味し、1792年に作られた歌は、もともと「ライン軍のための軍歌」という名前だったものの、マルセイユの義勇兵が歌ったところに由来するという。 前奏からして勇ましく、歌詞は「さぁ行こう、祖国の子どもたちよ」と始まる。その後も「私たちに暴虐の血塗られた旗が掲げられた」と続く。「聞こえるか? あちこちの野にいるあの凶暴な兵士たちの呻き声が」と問い、その兵士たちが、「息子たちや妻たちの喉を掻き切るぞ!」と煽る。 最後には、「武器を取れ、市民たちよ」「隊列を作れ」「進もう! 進もう!」と鼓舞し、「不潔な(敵の)血で、われらの畑の畝(うね)を潤せ!」と最後まで血生臭い。 要するに、一致団結して、攻めてくる敵を返り討ちにし、その血で自国の領土を染めよう、というのだから、穏やかではない。■「暴力で自由を勝ち取る」という信念 私は全部で7番まであるこの歌すべてを歌えないものの、3番までならフランス語で暗誦できる。通っていた東京の暁星中学と高校で、何度も聞いたからである。フランス人のカトリック宣教師たちによって作られた同校は、古くから同国との結びつきが強い。私の代の卒業式には駐日フランス大使が来賓として祝辞を述べていたし、何より中高6年間のみならず、小学校からフランス語を教えている。 同校の大先輩にあたる俳優の香川照之氏は、かつてTBS系列で放送されていた「ぴったんこカン・カン」に出演するたびにラ・マルセイエーズを熱唱していた。その姿を覚えているかたもいるかもしれない。
国歌といえば君が代のような、ゆったりとした厳かなメロディーと、古語のような歌詞を想像していた私にとって、フランス国歌は衝撃だった。同国大統領府によれば「自由をたたえる革命の軍歌」であり、まさに自分たちの自由はこの歌詞にあるように武力=暴力によって勝ち取り、そして守り続けるものだという信念があらわれているのではないか。
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■1968年の「五月革命」との共通点 さらに武力や暴力は、戦場のような特殊な場に限られない。フランス革命が、パリの街中で起きたように、街頭での抗議やデモが、政治のみならず、人々のさまざまな意思をあらわす手段として、常に使われてきた。 私が大学時代に教えを受けた大浦康介・京都大学名誉教授は、『フランス論2.0』(人文書院、2025年)のなかで、フランス人の特徴として「おしゃべり」や身体性を挙げている。ことばやからだで自分たちの考えをそのまま表現する。それこそが同国の歴史にほかならない。 たとえば、今回の暴動としばしば比べられる、1968年5月のいわゆる五月革命もまた、カルチェラタン(ラテン地区)から広がった。当初は大学制度への不満の高まりから始まった学生を中心にした運動が、労働者や、さらには移民も連帯した大規模なストライキへと広まった。 フランス政治を専門とする大嶋えり子氏は、アルジェリア独立戦争との影響関係に着目し、1968年5月の運動がフランス社会において「排外主義を助長するとともに、移民に対する差別との闘いの場ともなったといえるだろう(※1)」と分析している。■「街頭」が政治の舞台になる背景 58年前もまた、今回と同じように「移民」はキーワードとなった。他方で、8年前に取り沙汰されたジレ・ジョーヌ(黄色いベスト運動)では、燃料費の引き上げや生活コストへの不満が背景にあり、都市周辺部に住む人々の暮らしに対する怒りが原動力であり、「移民」は大きな注目を集めたとは言いがたい。 ただ、フランス革命以来、街頭での集団行動は、政治的な意思表示や既存の秩序への異議申し立ての場となってきた。平和なままのデモもあれば、衝突や暴力を伴う局面もあったが、自由や平等という理念と街頭での闘争が歴史のなかで結びついてきた。同国での暴力は、決して隠されてきていない。 それどころか逆に、いつも街のなかで大手を振って真っ当な権利として表現されてきたのであり、先にみた国歌ラ・マルセイエーズと直結している。 かといって、フランス人が暴力的だなどと結論づけたいわけではない。それこそ、今回の暴動の原因を「移民」や「民度」に結びつける以上の短絡だろう。 そうではなく、政治の変化と街中での時に暴力を伴う意見表明が分かちがたくかかわってきたフランスの歴史を確かめたい。同国の標語である「自由・平等・博愛」は、他国はもちろん、神からさえ与えられるものではない。時には自分たちが身を挺して武力を伴ってでも、さらにはルイ16世の首を刎ねたように人を殺してでも獲得し、守り続けなければならない。
※1:大嶋えり子「移民との連帯 アルジェリア独立戦争から68年5月へ」『人文学報』第515-15号、2019年、87ページ
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■日本から見た「フランスの移民」 この歴史は、たとえば6年前の新型コロナウイルス感染症拡大への対応にも通じる。同国では、日本よりも早い2020年3月23日付の政令で、移動や集会を制限するいわゆるロックダウンを実施した。仮にこうした法令を出さなければ、上記のように力ずくで自分たちの自由・平等・博愛を求めて街頭に出る人々を止められない。そんな危機感が、日本よりもはるかに厳しい規制を打ち出させたのではないか。 まさに、こうしたお国柄の違いが、今回の日本における反応の背景にあるのではないか。 たとえば、日本から見たフランスの「移民」とは、サッカーのフランス代表チーム監督のジネディーヌ・ジダン氏だったり、エースのキリアン・エムバペ選手だったりするのかもしれない。 1998年には、自国開催のワールドカップで優勝した。そのときの同国代表について、ジダン氏を中心とするチームが、とりわけ日本では「移民」と絡めて報じられた。読売新聞は、決勝を前にした1998年7月12日朝刊で次のように書いている。----------仏チームの構成は、かつて世界中に植民地を保持し、その結果でもある移民問題への取り組みが最も重要な政治課題となっているフランスの現在の姿を見事に反映している。----------■「28年前の報道」と比較すると… ジダン氏は、ラ・マルセイエーズの由来となったマルセイユに生まれた「移民」2世である。読売新聞のこうした論調が、現在から見ただけではなく、当時の言い方としても妥当だったのかどうかは、検証の余地があろう。 ただ、28年前も今も、「移民」に原因というよりも、そこに「問題」を見てとろうとしてしまう日本の視線が変わっていないのではないか。実際、日本では法律用語として「外国人」はあっても、「移民」は使われていない。 また「民度」も同様だろう。「民度の差」という表現を用いて、あたかも大規模なデモも暴動もほとんど起こらない日本のほうが優れているかのようなコメントが見受けられる。「移民」とは対照的に、「民度」に対応するフランス語は見つけづらい。
少なくともフランス社会における「移民」ということばの歴史も重みも、私を含めた日本に長く住む人たちには、一朝一夕にはわからないし、同じように「民度」という単語であらわされる何かもまた、フランスに生きる人たちには通じないのではないか。
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■なぜ「わかったつもり」になるのか ではなぜ、フランスの暴動を「移民」や「民度」で理解しようとするのか。 この短いコラムのなかだけでも、フランスには長い歴史や経緯があり、それが日本とは大きく違うという点(だけ)は説明できる。それなのに、複雑な背景を持つ出来事を、単純(に見える)単語にまとめる=帰属処理をする。わかったような気分に浸るのは、人間が情報を処理するにあたっての傾向にほかならない。 それでも、「移民」や「民度」で説明しようとする、理解しようとする空気は、そのまま移民の(慎重な)受け入れへと展開するのではないか。 もちろんここで、「だから排外主義はいけない」などとお説教を垂れるつもりは、まったくない。それよりも、日本のSNSの雰囲気が、フランス固有の事情を学ぼうとするよりも、自国の現在や将来への茫漠とした不安をなんとなく解消したつもりにできる道具として使われているように見える。その風潮が気になる。 私は、あくまでも日本社会を対象にする社会学者であり、フランスとのかかわりは“ないわけではない”程度にとどまる。私もまた、実際にはフランスを見ようとして、日本を見ている(つもりになっている)だけなのかもしれない。■「敵の血」が問いかけるもの ラ・マルセイエーズの「不潔な(敵の)血」という歌詞を思い出そう。自由を守るために戦う者たち=私たちが、敵の血を畑に流させる。その暴力を正義と呼んで歌い継いできた国で、今回もまた街頭に人々が出て、そして、血が流れた。 暴動で略奪や破壊を行ったものたちにとっては警察官や憲兵が「敵」であり、政府にとっては逆である。その原因は「移民」でも「民度」でもない。フランスでの騒乱の背後には、自由と暴力が切り離せないかたちで結びついてきた歴史と、それぞれの時代に異なる不満が街頭へと人々を駆り立てた現実がある。 そしてそれを「移民」や「民度」という短いことばで片付けたくなる私たち日本の側にも、問い直すべき何かがある。フランスの国歌を歌いながら育った者として、そう思わずにはいられない。----------鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)神戸学院大学現代社会学部 准教授1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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