仏・マクロン政権不人気の一方で2027年大統領選は「国民連合マリーヌ・ルペン」が支持率1位に 「極右が勝てば世界の潮流に大きく影響」と舛添要一氏
来年5月に任期を終えるマクロン仏大統領。連続2期まで(10年)という制限のため、マクロン氏は次の大統領選には出馬しない。過去2回(2017年、2022年)の大統領選で中道政党を率いるマクロン氏と決選投票を争ったのは、極右政党を率いるマリーヌ・ルペン氏だった。欧州各地で極右勢力の台頭が続くなか、フランスでもついに極右の大統領が誕生するのか。国際政治学者の舛添要一氏は「フランス大統領選の結果が世界の潮流に大きく影響する」と予言する。舛添氏が解説する。
【写真】マクロン大統領への反発が極右のマリーヌ・ルペン氏支持に繋がった面も
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フランスでは、2027年春(第一回投票4月18日、決選投票5月2日)に大統領選挙が行われる。大統領の任期は5年である。いずれの世論調査でも、極右政党「国民連合(RN)」前党首のマリーヌ・ルペンが主要候補のなかでトップに立つ結果になっている。彼女は、欧州議会公設秘書の架空雇用事件を巡って有罪判決を受けているが、この訴訟は大統領選立候補の障害にはならないようだ。
世界の先進民主主義国でポピュリズムの嵐が吹き、極右が勢力を伸ばしている。来年の仏大統領選挙の行方は、世界中に大きな影響を及ぼすだろう。
議院内閣制の要素もあるフランスの大統領制度
現在のフランスの政治体制、つまりフランス第五共和制は、アメリカの大統領制とは異なり、日本やイギリスのように首相がいる議院内閣制の要素も取り入れてある。
国民による直接選挙で選ばれる大統領は首相の任命権を持つが、首相は議会多数派の代表がなる。もし大統領が議会多数派の決定とは異なる政治家を首相に任命すれば、国会で不信任とされるため、大統領は議会多数派から首相を選択せざるをえない。
第五共和制を創設したドゴール(大統領任期1959年1月~1969年4月)は、安定した多数派を国会に持っていたので、首相が大統領と対立する会派から選ばれることは想定していなかった。ところが1980年代以降、そのような状況は終わり、大統領と首相が対立する会派から選ばれるという事態が生まれた。
1986年3月~1988年5月のミッテラン大統領(社会党)・シラク首相(保守の共和国連合)、1993年3月~1995年5月のミッテラン大統領・バラデュール首相(保守の共和国連合)、1997年6月~2002年5月のシラク大統領・ジョスパン首相(社会党)という組み合わせである。このように、保守と革新が二つのポストを分け合う状況は、保革共存(コアビタシオン)と呼ばれる。
2024年7月に解散に伴う国民議会の選挙が行われたが、結果として、保革共存ではなく、左翼連合、中道の与党連合、極右の国民連合(RN)の3つの勢力が拮抗する状況となった。この3政治勢力は政策的に対立し、協力しないので、多数派の形成は不可能だ。
マクロン政権が議会で少数与党にとどまる理由
与党連合は2022年の国民議会選挙で過半数を失っていたが、マクロン政権が少数与党となったのは、財政再建を実現するために厳しい緊縮政策を断行し、国民に批判されたからである。
具体的には、労働者の解雇を容易にしたり、年金支給開始年齢を62歳から64歳に引き上げたりしたことが国民に不評だった。格差の拡大に反発した市民が「黄色いベスト」運動(2018年~)を展開したことは記憶に新しい。
マクロン政権への反発が、左翼連合やRNへの投票に繋がったことは否めない。RNは年金改革を撤回すると主張した。左翼連合は「大きな政府」を掲げ、社会保障などについて、最低賃金の引き上げなど、大判振る舞いのばら撒き政治の実行を掲げた。しかし、それを行うと、フランスは、GDPに対する財政赤字の比率を3%以内とするEUのルールを守れなくなってしまう。
また、ウクライナ戦争による物価高騰も、国民の不満の種となった。
少数与党のマクロンは新首相の任命に苦労することになり、2024年9月5日、旧ドゴール派で保守の共和党に属する73歳のミシェル・バルニエを首相に任命した。しかし、この人事に第一党の左派連合は猛反発し、マクロンの大統領辞任を求めた。
バルニエは財政赤字を削減すべく、2025年度予算について緊縮予算案を提出した。が、同年12月4日の国民議会で左派連合が提出した内閣不信任案に、極右のRNも賛成したため可決され、バルニエ内閣は第五共和制で最短の3ヶ月弱で退陣した。
マクロンは12月13日、後任に、与党連合の一角を占める中道政党「民主運動」のフランソワ・バイル党首を指名した。バイルもまた、財政再建路線を継続した。新型コロナ対策やインフレ対策などで財政赤字が増えたため、年金支給額の抑制などの緊縮政策を採用した。しかし、これに国民が猛反発し、2025年9月にバイル内閣も短命で終わり、後任に、マクロンはセバスチャン・ルコルニュ国防大臣を指名した。2期目(2022年~)のマクロン政権では、実に5人目の首相である。
ルコルニュは10月5日に組閣を完了したが、翌日の6日に総辞職した。議会運営の見通しが立たないというのが、その理由である。しかし、マクロンは、辞任したルコルニュを10日に首相に再任した。ルコルニュは年金改革の停止を表明したため、社会党が不信任案に与しないことを決めた。そこで、ルコルニュは、政権が維持できて、今日に至っているのである。
フランスでも、年金改革など財政規律を求める政策は、ポピュリズムの嵐に吹き飛ばされてしまう。
極右政党の「脱悪魔化」を果たしたマリーヌ・ルペン
マリーヌ・ルペンは、「国民戦線(FN)」(国民連合=RNの前身)を創設したジャンマリー・ルペンの三女である。父親の政治活動を補佐し、2004年には欧州議会に初当選している。2011年、父の後を継いで、FNの第2代党首に就任した。
2012年、2017年には大統領選挙に立候補し、2017年には決選投票まで進んだがマクロンに敗れた。2018年には党名をFNからRNに変更し、支持層の拡大を目指した。2022年にも大統領選挙に立候補し決選投票に進んだが、マクロンに敗退した。
2022年11月からは、1995年生まれと若いジョルダン・バルデラがRNの党首を務めている。
さらに、マリーヌの姪のマリオン・マレシャル(1989年生まれ)も人気の高い政治家である。彼女は、2012年に史上最年少の22歳で国民議会議員に初当選した。2017年に政治活動をいったん休止するが、その後、政界に復帰し、2022年、エリック・ゼムールが設立した右派政党「再征服(ルコンクエスト)」副党首となり、叔母のマリーヌよりも強硬な右派路線を選択している。
私は、若い頃、フランスに留学し、その後もフランスと日本を往復する日々が続いた。フランスの国民議会で研修し、フランス政治の研究に勤しんだが、その過程で何人ものフランスの政治家と知り合った。中にはFNに属する政治家もいたが、政治家が参集するパーティーなどでは、彼らは異質の存在として孤立していた。私と親しく談笑していたフランス人たちは、私がFNの政治家と言葉を交わし始めると、蜘蛛の子を散らすように去って行く。それくらいに、FNはフランス政界のアウトサイダーとされてきたのである。
ところが、今では、全く状況が変化して、誰もRN(FN)の政治家を排除する者はいなくなった。「悪魔」から「人間」に変わったのであり、そのことを「脱悪魔化」(忌避されてきた極右政党がより多くの有権者に受け入れられる存在に変化すること。マリーヌ・ルペンは党のイメージ刷新と穏健化を図る政治戦略を進めた)という。
それには、若き党首バルデラや、女性スター政治家のマリオン・マレシャルの影響もある。
ルペン「有罪判決」でも大統領選出馬が可能に
一方、マリーヌ・ルペンは訴訟問題を抱え、有罪判決を受けている。2004年から2016年にかけて欧州議会の秘書給与などの公費を党の運営費用に不正に充当したとされ、2025年3月の一審判決で有罪とされ、5年間の被選挙権停止が言い渡された。そうなると、2027年の大統領選挙には出馬できなくなる。
しかし、2026年7月7日の控訴審判決では、10万ユーロの罰金と禁固3年(執行猶予2年、電子監視1年)、及び45ヶ月(執行猶予30ヶ月)の被選挙権停止が言い渡された。
被選挙権停止45ヶ月については、2025年3月の一審判決後に被選挙権停止は直ちに適用されたため、15ヶ月の停止期間は既に経過している。パリ控訴院は「大統領選には出馬できる」との判断を下した。
ただ、電子監視ブレスレットを装着したままでの大統領選は忌避したいとの思いから、ルペンは破毀院(最高裁)への上告を検討している。そして、来年の大統領選挙に出馬する意向を示した。大統領に当選したときには、バルデラを首相候補にするという。
大統領選挙の有力候補の支持率をみてみると、ルペンが38%、エドゥアール・フィリップ元首相(中道与党連合に属する「地平線」の党首)が34%、ガブリエル・アタル元首相(マクロンの中道与党「再生」の代表)が32%、ブルーノ・ルタイヨ(中道右派の共和党の党首)が28%、ジャンリュック・メランション(急進左派「不服従のフランス(LFI)」党首)が15%である。
憲法の規定で大統領は連続2期しか務めることができないので、マクロンは出馬できない。そうなると、ルペン大統領実現の可能性が高まる。フランスの国民は、移民による治安の悪化に敏感で、また生活苦、経済格差にも不満を持っており、それがルペンへの支持につながっている。
来年のフランス大統領選の結果は、世界の潮流に大きな影響を及ぼすことになるだろう。
【プロフィール】舛添要一(ますぞえ・よういち)/1948年、福岡県北九州市生まれ。1971年、東京大学法学部政治学科卒業。パリ(フランス)、ジュネーブ(スイス)、ミュンヘン(ドイツ)でヨーロッパ外交史を研究。東京大学教養学部政治学助教授などを経て、政界へ。 2001年に参議院議員(自民党)に初当選後、厚生労働大臣(安倍内閣、福田内閣、麻生内閣)、東京都知事を歴任。『都知事失格』、『ヒトラーの正体』、『ムッソリーニの正体』、『スターリンの正体』(いずれも小学館刊)など著書多数。