「死ぬまで福島に…」異動を拒み続けた経済産業省の官僚 福島

福島第一原発の事故の責任を感じ、福島で暮らすため、異動を拒み続けた経済産業省の官僚がいます。震災・原発事故から14年あまり。その官僚の今を取材しました。 福島第一原発2号機使用済み燃料取り出しへ…動画公開 「構台」を内部に運搬 福島 ■経済産業省廃炉・汚染水対策官(当時)木野正登さん 「(記者・いつまで福島にいたいと思いますか?)死ぬまで福島にいるつもりです。」「この地から離れることは、地元の仲間を裏切ってしまうような思いにかられてしまうので、自分としては、ここに生涯、とどまっていたいと思っています。」 2011年、福島から日常を奪い去った、福島第一原発の事故。経済産業省の官僚として事故処理や廃炉の対応をするため福島に赴任した木野正登さん。地元住民から罵声を浴びながらも、原子力政策を推し進めてきた国としての責任を感じ、異動を拒み続け、福島で暮らし続けました。 ■経済産業省廃炉・汚染水対策官(当時)木野正登さん 「このバリケードの向こう側、ここはまだ帰還困難区域ということで、人が住んではいけない。」 休日には、省内の若手官僚に福島の記憶を伝えるなど、復興活動にも取り組んできた木野さん。震災、原発事故から15年目の今、その姿は、杜の都・仙台にありました。 ■東北経産局資源エネルギー環境部 木野正登 部長 「ことしの4月1日付で資源エネルギー環境部長になりましたね。」 木野さんはいま、経済産業省の出先機関、東北経済産業局で廃炉とは畑違いの仕事、エネルギー供給の計画などを担っています。 ■東北経産局資源エネルギー環境部 木野正登 部長 「ALPS処理水の海洋放出も23年の8月に始まりましたし、デブリの取り出しも昨年11月に取り出しが開始されたという状況で。」「たしかに一区切りという感じでもありましたし。」 そんな思いもあり、長年拒み続けた異動を受け入れたそうです。この日…仕事を終え職場を出た木野さんが向かったのは仙台駅。その行き先は…ずっと暮らしてきた、福島でした。 ■木野正登さん 「福島市に家があってそこから通っています。」 「死ぬまで福島に」、その思いは変わらず持ち続けていました。そんな木野さんには、福島で暮らし続けるきっかけとなった、忘れもしない出来事があります。 ■木野正登さん 「田村や川内から始まって、楢葉、そして富岡、浪江といろいろなところで避難指示解除の説明会があった。住民の方からあなたたちは2時間、東京から来てここで説明してまた東京に帰るのだろうと、俺たちは一生ここに住まなければならないのだと、だからあんたらもこっちに住んでみろと言われた。」「まさに、おっしゃる通りで東京の人間がこっちに来て説明して安心ですよ、安全ですよといっても説得力ない。やはり誰か一人でもこっちにずっと住んでなんなら自分が証明してやろうというくらいのことをやらないと信頼はされないと思ったのが正直な感想。」 それから14年余り、そんな思いも通じたのか、共に復興を目指す友人、知人も増えてきました。 ■木野正登さん 「ここで知り合えた仲間たちというのが自分のものすごく大きな財産でもある。」 5月の日曜日。木野さんが着任して1か月余り。東北経産局の資源エネルギー環境部部長として、葛尾村の風力発電施設の竣工式に出席しました。そして、式が終わるや否や木野さんは、大熊町へ…。被災地を訪れた首都圏の大学生に、原発事故の経験をもとに、エネルギー政策について語りました。 ■木野正登さん 「最近は、結構再エネも出力が上がってきて日によっては再エネだけで電気の需要を全部まかなっている日もある。一方で、お日様が照らなければ太陽光は発電しないし、風が吹かなければ風力は発電しません。日によっては、電力需要の1パーセントくらいしか再エネが供給力ない日もある。差が大きい。」 木野さんは、今、こうした活動こそが、福島で暮らし続けた官僚としての役割だと考えています。 ■木野正登さん 「私の役割はまさに伝えていくことだと思っていて、それはこの原発事故のこともそうですし、14年間ここで何がおこってしまったかもそうだし、放射線や原子力に対する正しい知識を広めていく、特に若い人たちにこういうことを学んでもらって、エネルギーを考える、エネルギーを仕事にしていく、はたまた新たな核融合などクリーンエネルギーの開発に関わってくれる人が生まれてきてくれればいいなと思う。まさに、私が伝え続ける意味はそこにあると思っている。」 木野さんは、いま56歳。残り少ない官僚生活を含め、これから自分になにができるかを問いながら、ここ、福島で暮らし続けます。 ■木野正登 さん 「死ぬまで福島にいます。(Q・変わらない?)変わらないです。」 学生時代、原子力工学を専攻した木野さんは、原発事故の責任を感じる一方、太陽で起きている反応を再現する核融合発電の開発も重要と考えていて、セミナーを開いて、その安全性はもちろん、開発に必要な原子力の知識を広めていくそうです。原発事故があった福島だからこそ、再生可能エネルギーも含め、世界に、未来のエネルギーを提案できるような場になってもらいたいですね。

福島中央テレビ
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