権威を否定したかった? 沖縄出身の津波さんが東大に進んだ理由

この記事を書いた人 外間 愛也

 日本の最高峰・東京大学。近年、沖縄から東大へ羽ばたく学生が少しずつ増えています。彼らは特別な才能の持ち主だったのか、それともたゆまぬ努力を積み重ねた結果なのか—。連載企画「沖縄発 東大合格 つかみ取った島の若者たち」では、沖縄出身の東大生たちが歩んだ等身大の道のりと、その素顔に迫ります。第1弾は東京大学経済学部3年の津波克樹さん(21)の体験談を前後編の2回に分けてお届けします。

津波克樹さん

はじまりは「不純な動機」

―まず、東京大学を目指したきっかけから教えてください。

 「最初はめちゃくちゃ世俗的というか、不純な動機でした(笑)。中学3年生の時に二つ年上の彼女と付き合っていたんです。相手が高校2年生で受験を考え始めている時期だったので『どこの大学に行くの?』と聞いたら、東京の女子大を目指していると。『ふーん、じゃあ自分は東大でも行くか』みたいな感じで。最初は本当にそれだけの理由で、彼女が行くから東京に行こうかなというのがスタートでした」 

―いつごろから明確な目標に変わったのでしょうか。

 「中学3年からは塾に通っていました。高校に入ってからも進学に向けた勉強を続けていたんですが、沖縄という環境にいて『このままだと自分の可能性が広がらないかも』という閉塞(へいそく)感を抱いていました。どうしても天井が見えてしまうというか。そうした一方で、僕には『目の前のことに取り組む時、自分自身を俯瞰(ふかん)して見る』というちょっと変わった癖があるんですよ。『ガリガリに勉強して高い偏差値を取り、いい大学に入って、一流企業に就職する』のがいいとされるような現状に、『それって、どうなんだろう』という感覚も持っていました。要は権威的なものを否定したいという思いがあったんです」

 「東京大学というのも『国内の大学の最高峰』という一つの権威ですよね。でも別の大学に入って『東大なんて大したことない』って言っても、ただの負け惜しみにしか聞こえないじゃないですか。権威をちゃんと否定するためには、一度その権威のトップに入って、同じ土俵に立つ必要があると思ったんです。だからこそ、日本で一番高い場所にある東大に行くんだという、少し変わったモチベーションが生まれていきました」

東大を目指した理由などを語る津波克樹さん=2026年4月、琉球新報社

 「それと同級生や周りにも『東大に行く』って言っちゃってました。中高で成績もけっこう伸びていたから、なんかもう『後戻りできないな』っていうのもありました。言ったから引っ込みがつかなくなったというか(笑)。そういう意味では、東大とか高いレベルの大学を目指したいという人は、周りに宣言するのもありだと思いますよ。覚悟が決まるというか。覚悟はないと、まぁ無理ですよね。ただ、宣言することで逆にプレッシャーを感じ過ぎちゃう人にはお勧めしないです」

東大生を観察して見えた「思考」のメカニズム

―実際に入学して、東大という環境をどのように分析していますか? 「大学で学ぶことの意味とは、自分で自分の考え方を検証するため、という側面があると考えています。僕としては世の中に対する自分の解像度を高めたいという感覚がありました。では、解像度を高めるためにどうするかというと、物事を一度抽象化する必要があると思っています。そのために東大生の考え方に触れたかった。実際に中に入って観察してみると、彼らの思考のメカニズムがよく見えてきました」 「よく世間では『地頭の良さは生まれつき(先天的)なものだ』と言われますが、僕は完全に後天的だと思っています」

―後天的というのは、具体的にどういうことでしょうか。

 「東大生の特徴として『人の話をものすごくよく聞いて、自分の意見を発信する』というアウトプットの習慣が日常化しています。例えば、選挙期間中に大学の食堂に行くと、そこら中の学生が普通に政治や社会の話で議論を交わしているんです。普通の大学ではなかなか見られない光景ですよね。沖縄でも、そうそうないんじゃないでしょうか」

 「この『新しい情報に触れて、自分の頭でかみ砕き、意見をアウトプットする』という脳の構造は、実は東大の入試問題の構造や、学習とかなり似ているんです。彼らはそういう質の高い思考のキャッチボールを、幼少期から10年、20年と日常レベルで積み重ねてきています。その結果として『思考する癖』が付き、それが周囲には『地頭』として現れているだけだと思うんです。当人たちはそれが当たり前すぎて人にうまく説明できないから、『普通に考えればわかるじゃん』などと言ってしまい、結果として先天的な才能のように見られる原因になっていると感じます」

大学2年生のころ、旅行で訪れた宮城県仙台市にて=2025年10月19日

進学校「昭和薬科」の進度 現役時代の葛藤

―沖縄ではトップクラスの進学校の昭和薬科大学付属に、中高で在学されていました。やはり周囲の環境やカリキュラムは特別でしたか。 「進度はめちゃくちゃ早いです。中学3年生の段階で高校1年生の勉強が始まります。数学、化学、物理といった理系科目はすべて高校2年生のうちに高校3年生までの全範囲が終わります。高3の丸1年間はすべて受験に向けた演習に費やすカリキュラムで、これは県外の有名進学校と完全に同じスピード感ですね」 「僕自身、中学の終わり頃から大手予備校の東進に通い始めて、高校でコロナ禍になって時間ができてからは、自宅からの遠隔受講も含めてガンガン授業を進めていました。高2の前半からは、東大進学率が極めて高いことで知られる東京の『鉄緑会』のオンライン通信講座も併用していました。ただ、現役の時は理科一類を受験して落ちて、1浪の時に文転(理系から文系に志望を変更すること)して合格したんですけどね」

―現役では不合格だったんですね。原因をどのように考えていますか。

 「一番は精神的な話で、メンタル面が完全に崩れてしまったことです。昭和薬科って、多くの生徒が当たり前のように『医学部』を目指す独特の空気感があるんですね。でも、自分の模試の成績や本当にやりたいことと、周囲の空気感との間にギャップが生まれて気持ちが沈んでしまう生徒もいました。僕自身もその雰囲気に完全に飲まれてしまい、受験前には不眠がちになったり、食欲もなくなったりして、心身ともにきつかったですね」

 「もう一つは理系科目、物理とかが苦手だったので、単純な実力不足もありました。ですが、それ以前にしっかりと受験に向き合える精神状態ではなかったです。現役の時は他の大学を一切受けず、東大1本に絞って失敗したんですが、最初から1浪まではしようという覚悟を決めていたので、そこまでは頑張ろうと考えていました」

東京ディズニーシーにて。キャラクターのサングラスをかけ笑顔の津波克樹さん=2026年1月15日、千葉県浦安市

 (後編へ続く:現役では精神的な重圧などから東大受験に敗れた津波さん。しかし、浪人時代の経験が受験生活を一変させました。「呼吸をするだけで成績が伸びた」という浪人生活、効率性や定着を突き詰めた学習方法、そして将来に対する考えなどを後編で紹介します)

 (※年齢は取材当時)

つは・かつき 2004年11月生まれ。宜野湾市出身。長田小学校から昭和薬科大学付属中学・高校に進み、1浪を経て2024年4月、東京大学に進学。現役時は理科一類で受験し、浪人時に文科二類に志望を変更。塾は東進、鉄緑会、グレイトヴォヤージュなどに通った。現在、経済学部3年。好きな食べ物は「家系ラーメン」で有名店を食べ歩いている。ことし9月から半年間、ドイツに留学する。

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