いわば「性解決所」 戦後81年、「産業慰安所」の実態明らかに

1945年に発表された論文の写しには「特別慰安所--わかり易く言へば性解決所である」などと記されている=札幌市中央区で2026年9月29日午後3時1分、西本紗保美撮影

 アジア太平洋戦争期、国内の炭鉱や鉱山などの軍需産業は、多大な労働力を統治下にあった朝鮮半島出身者に求めた。

 強制連行された朝鮮半島出身の民間人は約70万人とされるが、そのうちの男性労働者向けに「管理売買春」が行われていたことをどれほどの人が知っているだろうか。

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全国で少なくとも39カ所

 近年の研究で、こうした「産業慰安所(企業慰安所)」が全国で少なくとも39カ所あったことが毎日新聞の取材で分かった。

 異国で過酷な労働を強いられた男性のよりどころになったのは、同胞の女性だった。

 東京大大学院の外村大(まさる)教授(日本近現代史)によると、日本政府は1939~45年に、毎年策定した労務動員計画に基づき朝鮮半島から労働者を動員した。

 厚生省健民局(当時)の統計では日本国内に動員された朝鮮人労働者のうち、39~42年度には約75%が炭鉱・鉱山に送られたが、苛酷な労働環境などを背景とした逃亡者も多くみられた。

朝鮮出身女性がいた戦時下の「産業慰安所」

 認定NPO法人・高麗博物館(東京都新宿区)によると、朝鮮人労働者の逃亡防止のため日本政府が炭鉱・鉱山企業に「労務対策」として利用を促したのが、当時全国各地にあった朝鮮料理店などだった。労働者を接客する女性も、朝鮮半島出身。単なる店員ではなく「私娼(ししょう)」という扱いで、産業慰安所と化していた。

 高麗博物館の調査では朝鮮人女性が遇された産業慰安所は北海道内や福岡県内の各炭鉱のほか、長崎県の三菱端島炭鉱(通称・軍艦島)などにある。高麗博物館が2026年まで10年間実施した文献・現地調査と、毎日新聞が専門家に聞き取りした内容を照合した結果、産業慰安所の数は少なくとも全国39カ所に及ぶことが判明した。

「半島女子がゐれば好都合」との記述

アジア太平洋戦争下に「産業慰安所」があったとされる場所周辺=北海道夕張市で2026年8月3日、宮間俊樹撮影

 戦時下に発足した石炭統制会の九州支部に研究者から寄せられた論文(45年発表)には、「特別慰安所――わかり易(やす)く言へば性解決所である。炭山の付近に特殊飲食店として存在する場合が多い。ここに半島女子がゐれば好都合である」との記述がある。

 この論文では「千人の半島労務者に対して十人程度」の「半島女子」を置くべきだと主張し、「(労働者の)逃走防止と増産激励の責務を女子にも負はせたいものである」としている。

女性差別、民族差別 そして…

 高麗博物館朝鮮女性史研究会の大場小夜子代表(73)は「さまざまな関係者らの証言からにじむのは、朝鮮人労働者には朝鮮人女性を『あてがう』という思想です。そこには女性差別と民族差別の両方がみられる」と指摘する。

 調べを進めると、さらに目を背けたくなる事実が判明した。

 「接客」をした店員には、多くの10代の少女たちがいた。【西本紗保美】

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