半世紀書き継いだ『苦海浄土』 「未完」の意味とその続きとは
たたずみ、耐える。一歩踏み出す。また、たたずみ、一歩踏み出す――。
生涯をかけて水俣病患者とともに闘った石牟礼道子さんの歩みを、作家、米本浩二さん(65)はこう言い表す。
半世紀をかけて書き継いだ『苦海(くがい)浄土』3部作は、分かりやすい「完結」の形式をとっていない。
「『未完』による風通しの良さがある」という米本さんとその意味を考える。
前中後編の後編です 前編:魂の言葉で水俣を描く 中編:水俣で紡がれた前近代の言葉
「結論」「正しさ」に安住せず
1969年に提訴された水俣病第1次訴訟は『苦海浄土』3部作の重要なモチーフだ。患者・家族の勝訴判決(73年)は詳しく書くに値するはずだが、石牟礼さんはほとんど触れていない。
勝訴を受けて患者らは交渉団を結成し、加害企業チッソとの補償交渉に臨む。『苦海浄土』でも補償交渉の場面が登場する。
しかし、その結果も書かず、一人の水俣病患者の最期を描くことで、長大な物語は終わる。
ラストは石牟礼さんの生き方や思想から必然的に、「未完」と言うしかない終わり方になった、と米本さんは指摘する。
「石牟礼さんには、水俣病事件は判決が出ても終わらないという思いがあった。判決や補償協定の内容を詳しく書けば『結論』や『正しさ』と思われかねない。読者に『結論』や『正しさ』に安住してもらいたくないから避けた。実際、今も水俣病は未解決です」
米本さんによると、「結論」や「正しさ」を避けるのは石牟礼さんの生来の資質。『苦海浄土』に限らず、石牟礼さんが生涯テーマとした「妣(はは)」(受難する女性らの総称)に関する作品にも共通する。
心の均衡を崩した盲目の祖母や近所の不遇の女性らの深刻な状況を書くのだが、なぜそうなのか、究明の姿勢は見せない。
「石牟礼さんの生涯を振り返ってみると、いつも、八方ふさがりの中にたたずんでいる。耐える。光が見えそうな方向に、一歩踏み出す。たたずむ。…