国葬ありきだったのか 安倍晋三元首相の「国葬」裁判で4人の官僚を証人尋問、揺らぐ「法の番人」内閣法制局

2022年9月27日、日本武道館で執り行われた安倍晋三元首相の国葬。首相経験者の国葬は戦後2人目で、賛否が大きく割れた この記事の写真をすべて見る

 安倍晋三元首相の国葬は、どんな根拠で実施されたのか。その決定過程の記録開示を求める裁判で、4人の官僚の証人尋問があった。国葬決定に関しての文書作成に携わった官僚から、何が語られたのか。AERA 2026年9月7日号より。

【写真】安倍元首相の国葬参列者に配布された「小冊子」がこちら

*  *  *

 法壇中央から、篠田賢治裁判長(東京地裁民事第3部)が証人に尋ねる。

「誰もメモをとっていないんですか?」

「各人がノートしたか、記憶にありません。議事概要はつくっていません」

 裁判長がさらに問う。

「メモ取りをした人はいないのですか?」

「メモの定義が、わからないです……」

 傍聴席が失笑とともにざわめいた。

異例の証人尋問

 8月21日、東京地裁大法廷で100人近い傍聴者が身を乗り出している。官僚同士の打ち合わせでメモをとらなかったと主張する証人に、裁判長が何度も同じ問いを重ねる。それほど証言が異質だったということだ。情報公開請求訴訟で文書作成に携わった官僚の証人尋問が行われるのは異例だという。

 記録はあったのか、なかったのか。安倍晋三元首相の国葬に関する決定プロセスの記録開示をめぐる国葬文書「不存在」決定処分取消請求訴訟「ないわけないだろ国葬文書」裁判は、4人の官僚への証人尋問を行うこの日、クライマックスを迎えた。

 まず、訴訟提起の背景を振り返ろう。

 2022年7月8日、安倍晋三元首相が殺害され、同14日、岸田文雄首相(当時)は「内閣法制局としっかり相談した」として国葬を行う考えを表明。同22日、岸田内閣は閣議決定により国葬の実施を決定した。だが、戦前に存在した、皇族や国に功績のあった人を国葬とすると定めた国葬令は、敗戦後、日本が国民主権へと国の形を変えて失効している。「内閣法制局と~」の首相発言に注目したのが、本訴訟の原告、探査報道機関Tansa理事長の渡辺周氏だ。

 内閣法制局は、政府が提出する法律案が憲法や他の法律に反していないかを細かく調べる役割を担う。内閣に対し強い権限を持つことから「法の番人」と呼ばれる。そこで渡辺氏は内閣法制局に対し、国葬決定に関する協議の記録を情報公開請求した。内閣法制局がどのような根拠で国葬の実施に「お墨付き」を与えたのかを確認するためだ。

 ところが、「関係する文書一切」と要望したのに、内閣法制局から開示されたのは「応接録」1枚だった。

 岸田氏の意向を受けて内閣法制局に相談に出向いた内閣官房と内閣府への情報公開請求の結果、開示されたのは4ページ綴りの文書のみ。それ以外は「作成していない」「廃棄した」等を理由に不開示決定とした。そこで、24年9月、渡辺氏は国に対し、裁判を起こしたのだ。


Page 2

2日目の証人尋問を終えた8月24日に報告会を開いたTansa。新文書を開示させたり、裁判は回を追うごとに注目が集まり、支援者が増えている(撮影:三宅玲子)

 法廷で「メモの定義がわからない」と答えたのは、水産庁職員の御厩敷(おんまやしき)寛氏。当時、内閣官房に企画官として出向していた。国葬の閣議決定について法的問題を整理する叩き台文書を作成し、上司とともに内閣法制局に相談に出向いている。その後の内閣法制局とのやり取りを反映させた完成版も作成した。ところが、御厩敷氏は完成版しか残していないという。

 元首相の衝撃的な死の直後、戦後史に影響を残すことが明らかな国葬の協議中に飛び交ったはずの文書のドラフト、メール、作成した資料などを「作成していない」「捨てた」「覚えていない」と証言したのは、御厩敷氏に限らない。御厩敷氏に文書作成を命じた内閣官房参事官(当時)の西澤能之氏(現・総務省行政管理局企画調整課長)、内閣法制局との協議に参加した内閣府大臣官房総務課長(当時)の中嶋護氏(現・内閣府大臣官房審議官)も、「作っていない」「廃棄した」「覚えていない」を乱発し、メールは「メールボックスを定期的にクリーンナップしている」という。

 公文書管理法は行政機関職員に対し、文書作成義務と文書管理義務を定めている。そこでは、最終的に決まったものだけでなく「経緯」の保存も義務付ける。本件なら、ドラフトや打ち合わせのメモ、やりとりしたメールなどが該当する。そもそも、内閣官房と内閣府は国葬問題を国の形に関わる重要案件だとして法制局に相談に出向いている。裁判長がメモの有無を尋ねたのはそのためだ。

満席になった大法廷

「原告側の証人尋問請求を裁判所が認めたのは、裁判所も官僚が言っていることは本当なのかどうか、関心があるということです」

 と話すのは4人の弁護士を率いる弁護団長、喜田村洋一氏。法廷でメモを取る権利を争った「レペタ裁判」や「在外邦人選挙権確認訴訟」の憲法裁判を勝ち取ってきた。

 実際、裁判所の証人への関心の高さは尋問時間の長さに表れた。午前は10時15分に開廷したが、予定より30分超過、午後は1時間近く延びて5時前に閉廷した。長引いたのは、篠田裁判長をはじめ、武内譲司裁判官、下山雄司裁判官が、メール削除のルール、紙文書の廃棄法、法制局とやりとりをし、文書完成までの3日間の上司との連携動線、組織の構成と、こと細かに聞き上げたからだ。尋問の名手として知られる喜田村氏の反対尋問に篠田裁判長が割り込んで質問を始める場面も一度ならず。原告弁護団が8人になったかと錯覚したほどだ。

 8月24日、4人目の証人、当時の内閣法制局参事官・乗越徹哉氏(現・内閣官房内閣参事官)が証言した。法の番人が「閣議決定で国葬を行うことができる」と認めた経緯を聞こうと大法廷は再び満席に。


Page 3

 現憲法に移行してからも、日本は2度、国葬の検討を経験している。1967年には吉田茂元首相の国葬を閣議決定により行ったが、翌年、大蔵大臣・水田三喜男は「法令の根拠はない」と答弁している。75年の佐藤栄作元首相の葬儀は国民葬となった。内閣法制局長官・吉國一郎氏が「三権の合意が必要、法的根拠が明確でない」とブレーキをかけた。内閣法制局の「法の番人」たる所以だ。

国葬ありきだったのか

 しかし、喜田村氏が、

「(国葬を閣議決定で行うことが可能かの検討にあたり)吉國氏の見解については調べたのではないですか」

 と問うと、乗越氏は、

「あまり記憶していません。これについて調べた記憶はありません」

 傍聴に訪れた人からは「内閣法制局も閣議決定での国葬ありきだったのではないか」と受け止める声が聞かれた。

 2013年に安倍政権が内閣法制局に勤務したことのない人をいきなり法制局長官に据えるという異例人事を行い、それを機に「法の番人」体制は崩れたとされている。その実態が満座のもとに晒された。

 渡辺氏は裁判と並行して情報公開請求を重ね、新文書の開示に成功。また、取材により、「あるはずの文書」を特定した。新展開を逐次Tansaで報じ、呼応して支援者が増えた。初回は通常の法廷で始まった裁判は傍聴席が足りず、大法廷へと場所を移してからも満席となり続けた。

 提訴から2年、それがなによりうれしかったと渡辺氏は振り返った。

「裁判が行われるのは平日の昼間です。にもかかわらず、幅広い年代のいろんな立場の方が足を運んでくださいました。終了後の報告会では質疑が活発で、僕らの方が気づかされることもあります。新しい形の探査報道集団である僕たちTansaに期待をしてくださる方々と、問題提起や課題解決の場をつくることができている。新しい形で民主主義の実現を目指す、その場所としても、法廷(裁判)は最適だと再認識しました」

 Tansaは報道機関として独立を保つため、企業や行政からの広告収入を得ず、サポーターや財団からの寄付のみにより運営する、特別非営利活動法人だ。

 初動から10年の間には、政府や企業、犯罪集団組織の不正を徹底した取材で暴いてきた。シリーズ「公害『PFOA』」は日隈一雄情報流通促進賞(2025年、日隈一雄情報流通促進基金)を、シリーズ「誰が私を拡散したのか」は第51回放送文化基金賞 調査報道賞」(2025年、放送文化基金)を受賞。国葬裁判の過程を記したシリーズ「記録のない国」は貧困ジャーナリズム大賞2025(反貧困ネットワーク)と2025年メディア・アンビシャス賞(メディア・アンビシャス)を受賞した。

 8人で運営している体制を2035年までに30人規模にすることを目指している。

 弁護団長の喜田村氏の「情報は民主主義の血液」という言葉を裏づけるように、この裁判は見えなかった行政の意思決定過程を少しずつ明らかにしてきた。

 展開は渡辺氏にとっても予想通りだったのだろうか。

「提訴したときは具体的な流れをイメージしていたわけではありません。でも、あって当然のもの(=文書)をないと言ったのは国側なので、僕らが圧倒的に有利だと思っていました。その考えは今も変わりません」

 安倍元首相の国葬に関し、全国各地で裁判が起こされたが、却下や敗訴が続く。敗訴した人たちが新しく支援に加わっている。

 最終弁論は11月24日午前10時半、東京地裁103号法廷で行われる。

(ジャーナリスト・三宅玲子)

AERA 2026年9月7日号

こちらの記事もおすすめ 若者は国葬や自民党を本当に支持したのか 参列した20代記者が抱いた違和感

関連記事: