「やり抜く勇気なければ…」連立入り決断の維新・吉村氏 橋下、松井両氏から継承した覚悟
自民党と日本維新の会の連立政権が始動した。まずは臨時国会での政策実現力が問われる。連立に新たに参加した維新側のキーパーソンを挙げるとすれば、筆頭は党の「顔」である吉村洋文代表(50)になるだろう。橋下徹元大阪府知事が創設した地域政党「大阪維新の会」の地方議員から政界入りした「橋下チルドレン」の一人だ。
いまや吉村氏は維新代表のみならず、大阪維新代表、大阪府知事と三足のわらじを履く。身内に政治家はおらず、政界進出前の本業は弁護士だった。にもかかわらず、なぜ「一寸先は闇」の世界に身を投じたのか。
やしきたかじん氏との縁
大阪府立生野高校から九州大法学部に進んだ吉村氏は卒業後、やしきたかじん氏の顧問弁護士となり、公私にわたって交流。橋下氏が大阪府知事を務めていた平成22年ごろ、やしき氏から「大阪の改革」という大義のために政界入りしてはどうかと勧められた。
吉村氏は当時の心境について、過去の産経新聞のインタビューに「政治家になる意識は全く持っていなかった。でも、やしきさんからいわれて、本気で考え、大阪をよくすることをやってみたいと思うようになった」と明かしている。
23年統一地方選で大阪市議に初当選した。当選同期には、元大阪府議で維新副代表の横山英幸大阪市長らがいる。市議時代の吉村氏は、大阪市を廃止して特別区に再編する維新の看板政策「大阪都構想」の制度設計をするチームの中心メンバーで、都構想への思い入れは人一倍強い。
万博実現の立役者
26年衆院選で初当選したが、27年5月の住民投票で都構想が否決され、橋下氏が政界引退を表明すると、橋下氏の後継を決める大阪市長選に出馬して勝利した。市長在任中は橋下氏も実現できなかった市営地下鉄民営化を成し遂げたほか、大阪への万博誘致を実現した。万博は開幕前の不評を覆し、今年4~10月の会期中、2557万人超の一般来場者を呼び込むとともに、運営費は最大280億円の黒字見通しとなった。
平成31年4月から大阪府知事を務め、維新代表だった松井一郎市長(当時)とともに令和2年11月、2度目の都構想住民投票に挑んだが、再び否決された。
知事として新型コロナウイルス対策で知名度を上げた吉村氏は、党創設者の橋下、松井両氏が政界を去った後、身を切る改革に代表される「維新スピリッツ」を継承。国会議員定数削減を連立入りの「絶対条件」としたのも、党勢が低迷する中、改革政党の看板を改めて打ち出す狙いがあったとみられる。
連立政権合意書に署名した自民党の高市早苗総裁(右)と日本維新の会の吉村洋文代表=20日午後、国会内(春名中撮影)政治における敵と味方
当選同期の大阪維新幹部は「やると決めたら、やり抜く胆力がある。政治家としての信念があるから、負けずにやってこられたのだろう」と評する。
当の吉村氏はインタビューで「(弁護士は)敵味方の関係が分かりやすいが、政治は誰が敵か味方か、途中で分からなくなる場面がある」と述べていた。今回の連立を巡る動向にもあてはまるような話だ。
その上で、政治家の覚悟については、こう語っている。
「やらなきゃいけないと思ったら、一歩前に進めることは政治家にとって必要だ。ときに勇み足と批判されることもあるが、やり抜く勇気がなくなったときは、政治家を辞めるべきだ」