日航機墜落、「自衛隊ミサイル誤射説」をファクトチェック→「誤り」:朝日新聞
「1985年に起きた日本航空ジャンボ機墜落事故は、海上自衛隊の護衛艦『まつゆき』から発射されたミサイルで撃墜されたことが原因」(インターネットや書籍での言説)
調査報告書「圧力隔壁の修理ミスで墜落」
墜落事故は1985年8月12日に起きた。羽田発大阪行きの日本航空のジャンボ機123便(JA8119)が午後6時56分、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落。乗員乗客524人のうち520人が死亡し、単独機による死者としては今も世界最悪の事故だ。
国の航空事故調査委員会(現・運輸安全委員会)では、17人の調査官が残存機体の分析や飛行記録の解析をした。科学技術庁(現文部科学省)や航空宇宙技術研究所(現宇宙航空研究開発機構〈JAXA〉)も協力し、87年6月、事故原因に関する調査報告書(https://jtsb.mlit.go.jp/aircraft/rep-acci/62-2-JA8119.pdf)を公表した。
報告書によると、機体は墜落の7年前に尾部を滑走路にこする尻もち事故を起こし、米ボーイング社が、機内の気圧を維持するための後部圧力隔壁を修理した。その際の修理ミスで、強度が落ちた隔壁に金属疲労で亀裂ができ、飛行中に破れて垂直尾翼が吹き飛び、油圧系統を失って操縦不能になった。ボーイング社も修理ミスを公式に認めている。
また、運輸安全委員会は2011年、より分かりやすい言葉を使い、遺族の疑問に答える報告書の「解説」(https://jtsb.mlit.go.jp/kaisetsu/nikkou123-kaisetsu.pdf)を公表し、事故原因を説明する。
安全啓発センターに展示された圧力隔壁の残骸を見学する、JR宝塚線脱線事故や中華航空機事故などの遺族たち=2006年9月11日、東京都大田区しかし、報告書の公表から20年以上が経った2010年代以降、関係者の証言や目撃情報、推定などを混ぜ、「自衛隊の護衛艦がミサイルを誤射したことが事故原因」などと主張する内容の書籍が次々と出され、インターネット上で広まった。
圧力隔壁が損壊した場合には客室内に猛烈な風が吹き抜け、室温も下がるのに、生存者はそのようなことはなかったと証言していることなどから、事故調の報告書は疑わしいとの主張もある。
一方で、運輸安全委員会の解説はこうした指摘を否定する。09年の米国のサウスウェスト航空の事故では、客室の天井に穴が開き、急減圧が生じたが、乗客が「ハリウッド映画と違い、何も飛ばされず、誰も穴に吸い込まれることはなかった。座席に置かれた書類もそのままだった」と証言したことなどを根拠とした。
日航ジャンボ機の墜落現場を捜索する救助隊=1985年8月13日、群馬県上野村また、報告書には自衛隊の護衛艦によるミサイルの発射や、機体に衝突したとの記述はない。当時、事故調査を行った斉藤孝一さん(80)は「調査中に自衛隊の関与が浮上したことも、護衛艦を調査したことも全く記憶にない」と振り返る。
解説も機体残骸に火薬や爆発物などの成分も検出されなかったことから、同様に「自衛隊撃墜説」を否定する。運輸安全委の事務局長として解説を取りまとめた大須賀英郎さん(70)は「当時は『自衛隊撃墜説』が広く出回っていたわけではなかったが、数ある項目の一つとしてミサイルについても適切に記述した」と話す。
日本航空が06年に設置した事故の教訓を伝える施設「安全啓発センター」でも、報告書の内容を事故原因として説明している。
「撃墜説」 国会でも質疑
撃墜説は国会でも取り上げられ、中谷元・防衛相は4月の参院外交防衛委員会で「自衛隊が墜落に関与したということは断じてありませんし、省内におきましてこのような話を私は全く聞いたことはございません」と強く否定した。
中野洋昌国土交通相も今月5日の閣議後会見で、「事故原因については様々な角度から調査や解析を行った上で、専門家による審議の上、これはほぼ間違いないという結論に至った」として、「国会の場などを通じて正確な情報を発信をしていくことが極めて重要であり、引き続き正確な情報発信に努めてまいりたい」と述べた。
事故に関しては、墜落現場で自衛隊が火炎放射器を使って証拠を隠滅した▽自衛隊機が日航機を撃墜した――などの言説も流布されているが、政府はいずれも否定している。
【判定結果=誤り】
誤り事故原因について、国の航空事故調査委員会の報告書は、機体後部の圧力隔壁が修理ミスで強度不足となり、金属疲労で亀裂が入り、飛行中に破れて、墜落したとする。報告書に自衛隊の関与に関する記載はなく、政府も「撃墜説」を否定する。