プーチンを摑む亡霊の手 追及の執念、泉下でなお
19年前の春、ドイツの首都ベルリンにある旧東ドイツ独裁政権の政治犯収容所跡地で、陰湿な拷問の様子を元政治犯から聞いた。
1963年の冬の話だ。収監されるや、秘密警察シュタージの係官からいきなり、不可解な質問を受けたという。「『暖かい部屋』がいいか、それとも『冷たい部屋』がいいか?」
彼は続けた。「『暖かい部屋』と答えたら〝地獄の一丁目〟だ。室温が35度もある部屋に、1週間もぶち込まれる羽目になる」
冷水拷問も凄絶(せいぜつ)だったという。ある日、狭いシャワー室で温水を浴びていると突然、冷水が降り注ぎ、2時間半も、のたうち回った。「約4カ月で実に5回も経験した。叫ぼうが泣こうが誰も来ない。2時間半後に現れる係官は毎回、同じせりふを口にした。『すまないね。君のことをすっかり、忘れていたよ』」
札幌より緯度の高いベルリンの地。酷寒での虐待は生涯、忘れないだろう。シュタージは、東ドイツを支配したソ連の国家保安委員会(KGB)の手法でもまねたのか。元政治犯の言葉からは、ソ連の後継国ロシアへの憎悪ものぞいた。
一方、ソ連に完全にのみ込まれたバルト三国のロシアへの憎悪も根深い。目下のウクライナ侵略で、敵意は一段と高まっている。
今年夏、東京・代々木近くの閑静な住宅街に立つラトビア大使館で取材に応じたズィルガルヴィス大使は、ロシアを「獰猛(どうもう)な」隣人と形容し、プーチン露大統領を「平気で噓をつく」人間だ、と吐き捨てるように言った。
ロシアへの憎悪の念は、祖父母がスターリン政権から受けた仕打ちが源流にある。政権に抵抗すると、シベリア流刑に処せられた。
ラトビア人はソ連支配下の約50年間、辛酸をなめ、「ラトビア語で歌を歌うことも、禁じられた」。彼にとり、ウクライナの地を平然と蹂躙(じゅうりん)し、罪なき人まで手にかけるプーチン氏の非道ぶりは、母国の悲劇の歴史と重なるのだろう。
プーチン政権の1年を振り返るとき、反体制派指導者として昨年、獄死したアレクセイ・ナワリヌイ氏(当時47歳)の妻、ユリアさんがノーベル平和賞候補として取り沙汰されたことは特筆に値すると思う。
ナワリヌイ氏は政権側の腐敗を執拗(しつよう)に告発するあまり、プーチン氏がその名を公の場で絶対に口にしなかった人物といわれる。2020年夏、航空機内で意識不明となってドイツの病院に運ばれ、帰国後の24年、露北極圏の刑務所で獄死した。毒殺の疑いもある。
弾圧を避け、国外で暮らすユリアさんの存在は、夫の不屈の精神を今なお鮮明に浮かび上がらせている。
ナワリヌイ氏は生前、法廷でこう訴えていた。「政権の狙いは私一人の投獄で多数を萎縮させることだ。恐れれば、政権の思うツボになる。恐れるな」
ユリアさんと一緒に遺志を継ぐ娘ダリアさんは、父をこう振り返る。「揺るがぬモラルの羅針盤で勇気の人だ。民主主義、真実のために闘う重要性を知っていたから恐れも知らない」
妻に支えられ命の危険も顧みず、人間の皮をかぶる独裁者に最期まで挑み続けた反骨の人、ナワリヌイ氏。今、ロシアの冷たい土の中で眠ろうと、あの不敵な笑みを浮かべて手を土中から上へと伸ばし、独裁者の足を摑(つか)んで放さぬ執念を想像する。(論説委員)