藤井聡太八冠復活を阻止+A級復帰「平成の怪物」糸谷哲郎36歳が今、再びアツい「国立大学院卒…父も東大卒」「哲学で人生の究極の価値を」

藤井聡太八冠復活を阻止+A級復帰「平成の怪物」糸谷哲郎36歳が今、再びアツい「国立大学院卒…父も東大卒」「哲学で人生の究極の価値を」 photograph by Hiroshi Kamaya

(Number Web)

 2月25日に第10期叡王戦準決勝で藤井聡太七冠(竜王・名人・王位・王座・棋王・棋聖・王将=22)と糸谷哲郎八段(36)が対戦した。藤井は対戦成績で8勝0敗と圧倒していたが、糸谷が厳しく攻め込んで初勝利を挙げた。その結果、藤井は伊藤匠叡王(22)への挑戦の可能性がなくなり、年内の「八冠復活」も消えた。

 来期順位戦A級復帰も決めた糸谷は若い頃に「怪物」の異名がついた。強烈な将棋の強さと型破りの物言いで注目された。そうした盤上盤外のエピソードを田丸昇九段が紹介する。【棋士の肩書はいずれも当時】

デビュー戦、相手棋士が「強すぎる。怪物だ!」

 糸谷は1988年10月5日に広島県広島市で生まれた。5歳で父親から将棋を習うと、市内の将棋クラブに通って腕を上げた。98年に森信雄七段の門下で関西奨励会に6級で入会。同年代の新入会員には、佐藤天彦九段、広瀬章人九段、及川拓馬七段、戸辺誠七段、船江恒平七段らの棋士がいる。

 糸谷は三段リーグに2004年度後期から参加すると、3期目に14勝4敗で1位の成績を挙げ、06年4月に17歳で四段に昇段して棋士になった。三段時代に新人王戦に出場すると5連勝し、決勝三番勝負で横山泰明四段に2連勝して06年10月にプロ公式戦で初優勝した。

 糸谷四段は06年5月にデビュー戦で若手精鋭の六段に勝つと、相手の棋士は終局後に「強すぎる。怪物だ!」と叫んだという。その一言がきっかけとなり、「怪物」の異名がついた。

 それは盤外での発言にも及んだ。

 06年12月の新人王戦の表彰式で、糸谷は「現在の将棋界は斜陽産業。僕たちの世代で立て直さなければならない」と、異例の挨拶をして話題になった。

「哲学で人生の究極の価値を」語録と国立大の大学院へ

 高校3年のときに受けたインタビューでは、独自の視点と大胆な物言いで次のように語ったこともある。

「読書好きの祖父母の影響で、幼稚園の頃からアガサ・クリスティー、司馬遼太郎、小松左京などの小説を読みました」

「本だけの知識の子どもなので、小学校では扱いずらかったと思います」

「奨励会時代に記録係を務めたことはなく、その価値を感じていません」

「人生の究極の価値を見つけたいです(京都大学哲学科を目指す理由について)」「生意気です。論理的な説教でないと反論します」

「女性に興味はありません」

「ニーチェの言葉のように、神は死んでいると思います。最終的には自分自身が神なのかも……」

 糸谷は07年4月に国立大学の大阪大学文学部に入学。後年に大学院に進学し、ハイデッガーの哲学を専攻した。

 糸谷はプロ公式戦で大活躍した。竜王戦は3期連続で3組に昇級。順位戦はC級2組で5期滞留したが、以降は着実に昇級していった。早見え早指しの強さを発揮し、2009年・10年度のNHK杯戦で準優勝した。

半端ない反則伝説のち…森内を破って竜王獲得

 その一方で、豪快な反則を犯したことがある。

 07年のある対局の終盤戦でのこと。糸谷は▲7八同玉で馬を取り、△2八飛の王手に▲8七玉と逃げる読みだった。しかし▲7八同玉で馬を取ると、続けて▲8七玉と指したのだ。つまり頭の中で△2八飛が抜け落ちていて、「二手指し」の反則負けとなった。次の予定手と現実を取り違える反則は稀に生じる。それにしても「怪物」らしい半端ない反則だった。

 2014年の第27期竜王戦七番勝負で、糸谷七段(当時26)は挑戦者決定三番勝負で羽生善治名人(同44)を2勝1敗で破り、森内俊之竜王(同44)への挑戦権を得た。タイトル戦に初登場した糸谷は、「2日制で長時間の対局は楽しみ。独創的な将棋を指したい」と抱負を語った。

 森内竜王−糸谷七段の竜王戦第1局はハワイで行われた。糸谷は記者会見で将棋と哲学の関連を問われると、「哲学の勉強によって自分の先入観をなくし、物事を多角的に見れます」と語った。海外対局、各8時間の持ち時間、和服着用という初めて尽くしの状況で、糸谷は初戦に勝利した。そして3勝1敗とリードし、竜王獲得まであと1勝と迫った。

 第5局で糸谷は森内の猛攻で守勢を余儀なくされた。第2図は終盤の部分局面で、糸谷の穴熊囲いは銀4枚というかなり珍しい形になった。森内は秒読みに追われて寄せを誤り、糸谷が逆転勝ちして初タイトルの竜王を獲得した。

 広島県出身の棋士のタイトル獲得は、1958年の升田幸三名人以来、56年ぶりのことだった。

 2015年1月に開かれた糸谷竜王の就位式で、糸谷は「七番勝負を振り返ると、粘った結果の幸運もあって竜王を獲得できました。今後は竜王として、実力を高めていきたい」と挨拶した。なお就位式には両親が同席し、父親は東大出身で理工系会社に勤務。母方の祖父は大学教授と、学術一家である。

近年は苦戦していた中、8連敗の藤井相手に…

 しかし糸谷は2015年に竜王戦で失冠。16年に王座戦、21年に棋王戦で挑戦し、いずれも敗退。順位戦は5期連続でA級に在籍したが23年に降級。この10年間は勢いが今ひとつだった。

 そんな中で迎えた2025年2月25日。叡王戦準決勝で藤井七冠と糸谷八段が対戦した。

 両者の初対局は18年の王座戦で、藤井が終盤で一気呵成の寄せで勝った。その後、銀河戦決勝(20年)、A級順位戦(22年)、将棋日本シリーズ決勝(23年)、朝日杯将棋オープン戦準決勝(24年)で大きな勝負を戦ったが、糸谷はいずれも敗れて通算8連敗していた。

 叡王戦の対局は、後手番の糸谷が誘導して横歩取りの戦型になった。中段で双方の飛車角が入り乱れる展開から、糸谷が敵陣に厳しく攻め込んで有利になった。藤井は懸命に受けたが、糸谷は寄せの包囲網を絞っていった。そして糸谷は竜と馬を鮮やかに捨て、11手詰めで玉を仕留めた。

 藤井は「早い段階から思わしくない展開になりました。実力を高めて来期の叡王戦に取り組みたい」と、終局後に語った。その結果、年内の「八冠復活」は消えた。タイトル戦連続出場は19回で止まった。

 糸谷は「とりあえず1勝できて良かった」と笑顔を見せた。叡王戦決勝(対戦相手は永瀬拓矢九段−斎藤慎太郎八段戦の勝者)で勝てば、タイトル戦に4年ぶりに登場する。

来期A級復帰…「平成の怪物」が再び覚醒するか

 糸谷八段は今期順位戦でもA級に2期ぶりに復帰昇級した。2年前の最終戦で対局場の静岡市「浮月楼」の庭で桜を見て、「散っても来年に咲く桜のように、自分も返り咲きたい」と語ったことが叶った。

「平成の怪物」が令和の今年に、雄叫びを再びあげることを期待したい。〈将棋特集:つづく〉

文=田丸昇

photograph by Hiroshi Kamaya

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