周囲に「秘書やらない?」 テレビマンが見た高市氏の素顔
日本初の女性首相になった自民党の高市早苗総裁(64)は、政治家としてのキャリアを歩み出す前、テレビキャスターとして活躍した時期があった。
キャスターの道へ誘ったのは、当時の番組プロデューサーで、現在は茨城大の特任教授を務める村上信夫さん(67)。20代後半の高市氏に「おっとりした印象」を受ける一方、当時から政治家を志しているように感じていた。
Advertisement新鮮さでキャスターに起用
高市氏は神戸大学を卒業後、松下政経塾で学び、渡米して民主党下院議員の事務所でスタッフとして働いた。
28歳で帰国した後は、大学教員として勤務しながら「評論家業」を始め、政治家を目指していく。
当時、村上さんはフリーの放送作家兼プロデューサーとして、テレビ朝日の平日深夜の番組「こだわりTV PRE★STAGE」(1988~92年)に携わっていた。
曜日ごとにコンセプトやキャスターが異なり、村上さんは女性をターゲットとした水曜日を担当。午前1時~4時半の時間帯に、政治や当時まだ取り上げられていなかったセクシュアルハラスメントなど硬派な話題から、軟らかいファッション特集や女性のためのギャンブル入門まで、幅広く扱った。
村上さんによると、当時大学生でタレントデビューした、現・立憲民主党参院議員である蓮舫さん(57)の起用が先に決まっていた。
「政治ネタを語れる女性」を探していたところ、雑誌に執筆していた高市氏が目に留まった。議員スタッフなどの経歴を見て、他の出演者にはない新鮮さを感じた。
「おっとりした印象」
出演交渉が実り、高市氏は89年ごろから番組に出演した。
当時の高市氏について、村上さんは「論客ではあるが、全体的にはおっとりとした印象を受けた」と振り返る。
ただ、早口になる傾向があり「テレビで伝えるためには、相手のことを見たり、自分が先に見えている答えを言わず、相手の言葉を一回引き取ったりするように指導したと思う」。
父親の反応を気にしているようだった高市氏のために、村上さんは出演時の良かった点などを書いた絵はがきを、あえて奈良県の実家に郵送し、父親の目に触れるようにしていた。それを半年ほど続け、高市氏に感謝されたという。
番組は時代劇をテーマにしたり、当時流行した有名人の豪華な結婚式の生中継から着想を得て、一般人の結婚式を深夜帯に中継したりした。
高市氏も時代劇のかつらをかぶったり、結婚式の中継時は涙を見せたり、全力で駆け回っていたという。
「秘書やらない?」の誘い
村上さんは当時から、高市氏の政治志向を感じていた。ある日、高市氏から冗談半分で「秘書やらない?」と声を掛けられた。チーフディレクターも誘われていたという。
村上さんは「僕は無理、無理」と断ったが、政界入りに向けて人脈作りの準備をしていたのではないかと感じている。
高市氏は著書「高市早苗のぶっとび永田町日記」(95年、サンドケー出版局)で、テレビ出演や講演活動をしていた時期について「国政選挙に出るにあたって自分に足りないものを補うことも意識した。(中略)『看板(知名度)』と『カバン(お金)』は全力で言論活動を続ける中で少しずつできていくように思えた」とつづっている。
政治評論家として知名度を高めていった高市氏は92年、参院選に無所属で立候補するも落選。翌年の衆院選で初当選し、32歳で政治の世界に踏み出した。
自由党、新進党を経て、96年に自民党入り。総務相や党政調会長を歴任し、64歳でついに首相の座を勝ち取った。
「構想力で突破して」
「アメリカの民主主義が素晴らしい時代を見た人だ」。村上さんは、80年代に「自由の国」を体験した高市氏に期待を寄せている。
「新自由主義で格差が広がったという評価もあるが、私は当時の米国ではチャンスの平等が機能していたと思う。それを生で見ていた高市さんなら、何かを見いだし、閉塞(へいそく)した日本の現状を突破する構想力があるのでは」【鈴木敬子】