あなたの仕事がAIに「蒸留される」――中国で広がる新しい恐怖(海原純子)
自分の分身が、給料なしで働き続ける
もし、自分の仕事の知識や経験をAIがすべて覚え自分の代わりに仕事をするようになったら、どう感じるだろう。
しかも、そのAIはあなたの名前を使い、あなたが退職した後も働き続けるという。
まるでSFのような話だが、中国では今、こうした事態への不安が広がっているという。
2026年9月、米国の雑誌『The Atlantic』に、中国のAI事情を紹介した興味深い記事が掲載された。
その中で目を引いたのが「蒸留される(distilled)」という言葉である。
AIの技術用語である「蒸留」は、あるAIが持つ知識や能力を別のAIに移す技術を指す。しかし中国のSNSでは、人間の仕事の知識や経験をAIに取り込まれ、自分の代わりを作られることへの恐怖を表す言葉としても使われているという。
仕事のメールも会話もAIに取り込まれる
記事では、中国のSNSに投稿された、ある女性の体験談が紹介されている。
女性は退職後、以前の勤務先が自分の大量のチャット記録、数百件の文書、仕事上のメールをAIに取り込み、自分の業務を引き継ぐ「デジタルロボット」を作ったことを知ったという。
しかも、そのロボットには女性の名前がつけられていた。
会社はもう自分に給料を払う必要がない。それでも自分の分身は、いつまでも働き続ける。
そんな不気味さを女性はSNSに書き込んだ。
これは報道で紹介された個人の投稿であり、会社側の説明などを含めて事実関係がすべて確認された事例ではない。しかし、この話が人々の不安を象徴していることは確かだろう。
これまでAIによって仕事が奪われるという話は、主に業務の自動化を意味していた。
しかし、自分自身の仕事の進め方や判断の癖までAIに取り込まれるとしたら、話は少し違ってくる。
仕事を奪われるだけでなく、自分の存在そのものが複製されるような感覚を抱くかもしれない。
中国で熱狂する「ロブスターを育てる」
最近、テレビを見ていると、AIエージェントのCMを目にすることが多くなった。
AIが質問に答えるだけでなく、仕事を代わりに進めてくれるという。資料作成や情報収集、メールの処理など、これまで人間が行っていた作業をAIが引き受けてくれるというのだ。
確かに便利そうだ。しかし、AIが仕事を代わりにしてくれることと、自分が仕事をする楽しさは、必ずしも両立するとは限らない。
一方、中国ではAIを積極的に使いこなそうという熱狂も起きている。
その象徴が「OpenClaw」という自律型AIエージェントである。
通常のチャット型AIは、人間が質問すると答える。しかしAIエージェントは、指示に応じて複数の作業を組み合わせ、メールの処理や資料整理などを進めることができる。
中国ではOpenClawのロゴにちなんで、AIエージェントを育てることを「ロブスターを育てる」と呼ぶ人たちもいる。
2026年3月には、AI企業が導入方法を教えるイベントを開催し、退職者から若者まで幅広い人々が参加したとロイター通信が報じている。
自分の仕事を手伝うAIを育てれば、これまでより多くのことができるようになる。
その一方で、自分が育てたAIが、いつか自分の仕事を奪うかもしれない。
AIによって能力を拡張しようとする熱狂と、AIに置き換えられることへの恐怖が、同じ社会の中に存在しているのである。
仕事を失うことより怖いもの
ここで心理学的に考えてみたい。
仕事は単に収入を得る手段ではない。
自分の能力を発揮し、誰かの役に立ち、社会とのつながりを感じる場所でもある。
長い年月をかけて仕事を覚え、失敗を重ねながら身につけた技能には、その人自身の人生が刻まれている。
心理学では、自分がどのような仕事をしているかが自己認識の重要な部分を占めることを、職業的アイデンティティーという。
例えば、長年仕事をしてきた人が定年退職後に、自分の居場所がなくなったように感じることがある。
それは収入の問題だけではなく、社会の中で自分が果たしていた役割を失うことにも関係している。
まして、自分が長年かけて築いた仕事の能力をAIが再現し、自分がいなくても会社が何事もなく動いていくとしたらどうだろう。
「自分は何のために努力してきたのか」という思いが生まれても不思議ではない。
AIが仕事を代行することと、その人の存在価値がなくなることは、本来まったく別の問題である。
しかし、人間の心は必ずしもそう簡単に割り切れるものではない。
効率化で失われる「プロセスの楽しさ」
『The Atlantic』の記事には、もう一つ印象的な話が紹介されている。
上海の映像制作に携わる男性は、レンズを選び、最適な構図を探すといった仕事の過程そのものに楽しさを感じていた。
ところが顧客からAIの利用を求められるようになり、仕事の一部をAIに任せるようになった。
作業は効率化されたが、それまで感じていた仕事の楽しさが失われていくという。
これは、私には非常に興味深い問題に思える。
仕事には、完成した成果物だけでなく、そこに至るまでの試行錯誤に喜びを感じる側面がある。仕事の愉しみは完成したという結果だけではなくそのプロセスにある。少しづつ自分が進化して進歩していくというプロセスに自己肯定感を感じるのだ。ところが、結果だけを重視して過程をAIに任せるようになれば、人間が仕事から得ていた達成感や充実感が薄れてしまう可能性がある。
もちろん、面倒な作業をAIに任せることで、より創造的な仕事に集中できる人もいるだろう。
大切なのは、何をAIに任せ、何を自分で行いたいのかを選べることではないだろうか。
AIに任せても、自分まで明け渡さない
AIの進歩によって、これまで人間だけができると思われていた仕事も、次々と機械が担うようになっている。
その流れを止めることは難しいだろう。
しかし、効率化できることをすべて効率化することが、人間の幸福につながるとは限らない。
仕事の喜びは、必ずしも早く終わらせることにあるわけではない。
自分で考え、迷い、工夫し、時には失敗する。その過程にこそ、その人にとっての仕事の意味がある場合もある。
AIに仕事を手伝ってもらうことと、自分の判断や経験をすべて明け渡すことは違う。
AIに何ができるかだけでなく、人間が何を自分でやり続けたいのか。これからは、その問いがますます重要になるのではないだろうか。