「は?ウザい」すぐに暴言を吐く子の共通点。親の“スマホ見せっぱなし”が奪う国語力(with online)
子どもにとって家庭は土台のようなものです。昔はしっかりとした土台があれば、子どもは地に足をつけてまっすぐに育っていくことができる、と言われていました。 たしかに地域コミュニティがある程度あった時代はそうだったかもしれません。老若男女たくさんの人が子どもにかかわり、見守ったり、物事を教えたり、新しい体験をさせたりしてくれた。その中で子どもたちは人生の経験値をつみ上げていくことができました。 しかし今の社会は、そうしたかつての時代とは異なります。地域コミュニティが壊れたことによって子どもたちが他者とのかかわりの中で十分なコミュニケーション能力を育めなかったり、高度に進化したI T機器を持て余したりしている状況があるのです。 せっかく家庭で保護者の愛情に恵まれて、自尊感情を高めることができても、その先で集団社会に順応できるスキルを磨くことが難しくなっているのです。 このことを踏まえて、保護者がすべき働きかけとは何かをあえて二つ挙げるとすれば、次のようなことになります。 ・子どもに対して多様性社会で生き抜くために必要な“国語力”を授ける ・高度なIT機器を使うためのリテラシーを教える まず国語力について考えていきたいと思います。 国語力とは、学校でいう読解力とは異なり、「言葉で感じ、考え、伝える力」のことです。自分がどう思っているのか、目の前の人が自分に何を求めているのか、他者とわかり合うために何をすべきなのか。そうしたことはすべて言葉を駆使して思考し、表現します。 国語力はコミュニケーションの基盤となる全人的な能力です。その人がたくさんの語彙を獲得し、それを駆使して深く思考し、適切な表現で伝えることができれば、他者と円滑な関係性を築くことができるのです。 しかし反対に、国語力が弱ければ、その人はどうなるのでしょう。 相手の気持ちを読み取れなかったり、理性的な判断ができなかったり、きちんとした物言いができなかったりするので、些細なことで相手と衝突してしまいます。 教室の中で「キモイ」「うざい」といった暴言を無思慮に吐き散らして他人を傷つける子、自分の困りごとを的確に説明できずに苦しむ子などです。 小学校、中学校、高校と年齢が上がれば上がるほど、人間関係は複雑化するので、より高い国語力が求められるようになります。そこで子どもが年齢相応の国語力を有していなければ、他人と上手に付き合えない、困難を解決できない、といったことが起きるのは致し方のないことです。 そう、子どもたちのトラブルの一因は、国語力の脆弱さにあるのです。 保護者が意識しなければならないのは、今の子どもたちを取り巻く環境は、国語力を育てるのに必ずしも適しているとは言えないことです。 国語力は、学校へ通って勉強をしていれば自然に育つものではありません。語彙力を高めるだけでなく、それを様々なシーンで不特定多数の相手に使用するからこそ、言葉が血となり、肉となっていくのです。 しかし、近年は時代が進むにつれて、細かな言葉を覚え、自分のものにしていく機会が減少しています。遊びを例に考えてみましょう。 子どもたちが毎日のように、公園で鬼ごっこや草野球をして遊んでいた時代は、様々なコミュニケーションがありました。何をするかを話し合い、状況に応じてルールを変更し、疲れたらベンチに座って雑談をする。仲違いすれば、別の友達が入って、話し合って解決へ導く。そういう中で、家庭や学校で学んだ言葉を血肉化していたのです。 けれど、近年の子どもたちの遊びは、外遊びからオンラインゲームへ移っています。学校が終わったら、それぞれの家に帰り、ヘッドフォンをつけ、サバイバルゲームをします。その間、彼らの中でどのような会話があるかと言えば、「死ね」「何やってんだ!」「あー、終わった」「もう切るわ」といったものばかりです。これでは他者とのコミュニケーションの中で、きちんと言葉を育んでいくということはできません。 今の子どもたちがこうした環境に置かれ、言葉をうまく使えずに苦しんでいるのであれば、保護者はそれを踏まえて、意識的に子どもが国語力を高められる環境を用意する必要があるのです。 国語力のベースを形成する時期は、乳幼児〜小学校の低学年です。この時期に、親がしてあげられるのは次のようなことです。 ・スマホなど情報端末の適切な使用を促す ・親が豊かな言葉を使って子どもに話しかける ・「どうした?」「教えて」など問いかけ型の会話を多用する ・絵本の読み聞かせを通して、日常では使わない言葉も意識して使うようにする ここ10年ほどの間に起きている子育ての変化として、親が育児の場でスマホやタブレットを利用するようになったことが挙げられます。 子守歌をうたってくれるアプリ、泣き止ませるためのアプリ、絵本を読み聞かせるアプリ……。親がリアルではなく、こうしたアプリを利用して育児をすることを「スマホ育児」といいます。 親が子育てを合理化するためにスマホを適切に使用しているのであれば、それは悪いことではありません。ただ、不適切な使用、あるいは必要以上の長時間の使用は、子どもの能力の発達を大きく阻害する要素となります。 1日のスクリーンタイムが4時間以上の1歳児は、1時間未満の1歳児と比べると、2歳児の時点でコミュニケーション領域の発達に遅れが生じる割合が4.78倍、問題解決の領域で2.67倍になることがわかっています。 なぜこうしたことが起こるのでしょう。 結論から先に言えば、幼い子であればあるほど、スマホをはじめとした情報端末から物事を学習するのが苦手なのです。大きな理由は二つあります。 一つは、子どもは情報端末より、養育者など、信頼している人からの直接的な働きかけの方が学習の定着率が格段に良くなることです。二つ目は、子どもは二次元のものを現実のものに置き換えるのが苦手だということです。たとえば、スマホの画面にウサギが映っていても、現実のウサギと同一視することが難しいのです。そのため、スマホでいくらウサギを見ても、それが現実のものと結びつかないのです。 ここからわかるのは、子どもがスマホをいくら見ても、人との直接的なやりとりに比べれば、吸収できることに限界があるということです。それを前提にして、日常生活の中でスマホを多用している子と、そうでない子を比べて考えてみましょう。 たとえば、保育園の送り迎えと朝夕の食事の時間が合計で60分あったとしましょう。この時間に、親がスマホを与えて延々と動画を見つづけている子と、目の前の景色やその日の出来事について保護者と一緒に楽しく話している子がいます。 これを5年間つづければ、合計で1825時間になります。それくらいの時間、たくさんの言葉を駆使して世界を知覚したり、語り合ったり、自身の感情を見つめたりしている子と、ただ漠然とスマホのショート動画を見ては次から次に忘れていく子で、国語力に相当の開きが出るのは火を見るより明らかでしょう。それが先の研究の数字に出てきているということなのです。 WHOは、子どものスクリーンタイムに対してガイドラインを設定しています。それによれば、2歳児未満はスクリーンタイムをゼロに、2〜4歳のスクリーンタイムは1時間未満にすることが推奨されています。逆に言えば、それ以上になると、子どもの成長に影響が出る可能性があるということです。 その点を理解した上で、保護者は子どもといる時はなるべく直に言葉を交わすように心がけることが重要になってきます。この時に意識してほしいのは、一方的に話したり、決まった答えを求めたりするのではなく、できるだけ豊かな言葉を使用して、「問いかけ型の会話」によって子どもの声を引き出すことです。 一例を出せば、保育園の帰り道に、きれいなコスモスの花が咲いているのを見かけたとします。この時、どちらの親の言葉の方が、子どもの国語力を育むでしょう。 ケースA 「うわ〜、この花、超絶ヤバイね!」 ケースB 「このお花さん、すごくきれいだね。コスモスっていうお花なんだよ。よく見ると、赤やピンクや白などいろんな色をしているね。甘い香りがして、蝶々さんもたくさん集まっている。なんで蝶々さんはコスモスの花が好きなのかな?」 子どもはケースAのような言葉を聞かされても、何も考えないでしょう。しかし、ケースBであれば、子どもは新しい語彙を獲得するし、いろんなことを言葉で考えて、返事をしようとします。 つまり、保護者がたくさんの言葉を使い、問いかけ型の会話によって、子どもに思考を促しているかどうかで、子どもの国語力に大きな差が生まれるのです。 また、親子で絵本を読むなど、芸術文化に触れることも国語力を伸ばすのに有効な取り組みです。図書館などで開催される、お話会のようなものもいいでしょう。 子どもの行動範囲は限られているため、親子の日常的な会話で交わされる言葉の数や質は、さほど変わりません。保育園であったこと、友達とやったこと、給食の献立について語ったところで、親がよほど意識しない限り、同じような言葉のくり返しにならざるをえない。 しかし、絵本には、日常生活では使用しない言葉があふれています。恐竜や鬼など日常にはない生き物が現れたり、擬音語や擬態語といった新しいオノマトペを学んだりします。 さらに親子が一緒に鑑賞していれば、そこから無尽蔵に話が膨らんでいきます。絵本に登場する鬼をきっかけに、節分の話題になったり、地獄の話題になったり、なまはげなどのお祭りの話題になったりします。どれも子どもにとっては、保育園や幼稚園での生活だけではなかなか接することのない新しい言葉との出会いになり、想像力をゼロから膨らます機会になります。 このように、保護者がたくさんの言葉を駆使して問いかけ型の会話をしたり、日常的に芸術文化に触れて楽しむ機会があったりする家庭の子と、そうでない子では、獲得する言葉の数が圧倒的に異なります。 アメリカにおける研究ですが、『3000万語の格差』(ダナ・サスキンド、明石書店)によれば、家庭によって次のような違いが出ているそうです。 3歳の終わりまでに聞く言葉の数 専門職の家庭 4500万語 生活保護世帯 1300万語 専門職の家庭と生活保護の家庭では、子どもが聞く言葉の数に、3 2 0 0万語もの違いが出るのです。圧倒的な「言葉の格差」です。 この言葉の格差について、親がどれだけ危機感を持ち、意識的になれるかが、将来の子どもの国語力を大きく左右するのです。 次回は、もう一つ大事な“リテラシーの早期教育”について解説します。
石井光太(いしいこうた)/1977年東京都生まれ、作家。 著書に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『こどもホスピスの奇跡』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』など多数。
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