【寿命が縮む】普通の大学生がサーカス団に入団して3年目 → 新たな持ち場・音響で泣いた / 木下サーカスの思い出:第10回
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団して3年目。舞台を照らすピンスポットはすでに完璧にマスターし、私は次なる持ち場として音響卓の操作を任されることになった。
タイミングよく音楽を切り替えたり、効果音を鳴らしたり、開演前や休憩中、公演終了後のアナウンスを流したり……これまた舞台を支える重要な仕事だ。
さらに仕事ができる先輩・中尾さんから曲の編集作業なども教わり、充実した日々を送る……はずだった。
・舞台音響という仕事
当然だが、舞台音響の仕事は「自宅で音楽を楽しむ」なんてレベルのものではない。
スイッチひとつで凄まじい大音量が鳴り響き、約2000人の観客がどっと歓声を上げる仕事だ。失敗が舞台の出来に直結するため、常にミスが許されない緊張感との戦いになる。
舞台を見ながらタイミングよく片方の曲を止め、次の曲を流し、さらにその次の曲を準備。
加えて当時は「サンプラー」ではなく、どういうわけか「電子ピアノの鍵盤」に効果音を仕込んでいて、舞台を見ながら「ピエロの足音」「ドラムロール」「シンバル」などをリズムよく鳴らさなければならなかった。
ショーで使う音楽は約200曲・効果音はおよそ100種類。小室哲哉ばりに休む間もなく曲を繋ぎ続けていく。とくに次々と技が繰り出されるオープニングショーやジャグリング、イリュージョンなどの操作は難易度が跳ね上がる。
しかも生のショーだからタイミングが毎回ビミョーに違う……アーティストの呼吸を感じ取り、絶妙な間合いで音を鳴らすのだ。世界最高峰の舞台を裏から支えるには、想像以上にシビアで高度な技術が求められていた。
・仕事ができる男
そんな中、仕事ができる同い年の先輩・中尾さんは、舞台を見ながら(つまりノールックで)右手の指を鍵盤の上で軽やかに走らせ、効果音を完璧に重ねていた。
ただ器用なだけではなく、すべてのパフォーマンスを頭に叩き込み、知り尽くしているからこその動き……相当な鍛錬を積んだことは容易に想像できる。まさに “舞台裏のアーティスト” とも言える存在であり、その技は職人芸そのものと言える。
・無理
一方で不器用を極めた私は、当然ピアノなど人生で1度も習ったことがないため、舞台を見るか・鍵盤を見るか……そのどちらかしかできない。できるわけがない。
慎重に叩こうとすればするほど隣の鍵盤まで押してしまう始末。当然リズムよく効果音を鳴らせるわけもなく、舞台は何度も “事故現場” と化していた。
誰もが息をのむ古典芸のクライマックス(無音のシーン)でなぜか「爆発音」を鳴らしたり、空中ブランコの最難関・目隠し飛行の直前、ドラムロールを鳴らすタイミングで「ピエロ君、いきますっっ!」とアナウンスを流したり……
凄まじい大音量でのミスは、逆に何が起こっているのか自分でも把握できず、一瞬フリーズしてしまうもの。その直後「ズキューン!」と銃で撃たれたような衝撃が全身を走る……寿命を何年縮めたか分からない。
入団から3年経っても、私は “使えない大卒” というポジションを誰にも譲らずにいた。
・舞台裏もサーカス
しかし実は、仕事の要である先輩・中尾さんの体質も我々を悩ませていた。
どんな場面でも冷静に曲を切り替え、鍵盤を叩ける完璧な男の唯一の弱点は……「お腹が弱いこと」だった。
長時間拘束される音響操作中に腹痛に襲われることも多く、たとえ私が休憩中でも「今すぐ……音響を……代わってください……もう間に合わないかも……アッ!」と緊急呼び出しを受けることが度々あった。
慌ててブース(音響・照明室)に駆けつけると、青ざめた中尾さんが「もう……無理……かもしれません……」とつぶやき、腰をくの字にしたまま部屋から飛び出していく。
もっとも私もお腹が強い方ではなく、お互いギリギリの綱渡り状態で迫力あるステージを作っていた。舞台裏でもある意味 “命懸けのサーカス” が繰り広げられていたことはお伝えしておきたい……。
・木下サーカスは名古屋市で公演中
──というわけで、今回はここまで。現在、木下大サーカスは愛知県名古屋市の「白川公園」で絶賛公演中。名古屋公演は10月27日までなので、興味を持った方はぜひ会場へ。迫力と感動をその目で確かめてほしい。それではまた!