父は国策の犠牲者じゃない 「満州国」官僚の子、揺らぐ歴史認識

加害の記憶 戦後81年

毎日新聞 2026/10/17 17:00(最終更新 10/17 17:00) 有料記事 4395文字
インタビューに答える(左から)弘岡順子さん、弘岡泰正さん夫妻=東京都目黒区で2025年6月19日、小林努撮影

 日中戦争や太平洋戦争の開戦は「やむない選択」だったのか。今も終わらない論争だ。

 日本のかいらい政権「満州国」があった現中国東北部では、1945年8月15日の終戦以降も一部でソ連軍などとの交戦が続いた。

 その年の9月、混乱を極める現地で産声を上げたのが、東京都目黒区で暮らす元医師の弘岡順子さん(81)だ。

 父の手塚操さん(90年に81歳で死去)は、「満州国」建国の一端を担った若きエリート官僚だった。

 手塚家は戦争をどう語り継いだのか。

 それは戦後生まれの弘岡さんの戦争観にどう影響したのだろうか。

 終戦から81年。日本人の戦争観はどう変わるのか。侵略や加害の歴史にどう向き合うか。連載「加害の記憶 戦後81年」を随時掲載します。 この記事は前編です。後編は、旧満州を巡る問題に詳しい蘭信三・上智大名誉教授のインタビューを10月18日17時にアップします。

「満州国」で生まれた女性

 1年前の2025年6月、記者は順子さんと夫の泰正さん(80)が暮らす都内の自宅を訪れていた。

 夫妻はともに、元医師だ。泰正さんのエッセー集「新宿二丁目 白ひげ町医者だったころ」(文芸社)に、順子さんが終戦直後の旧満州で生まれたときのエピソードがある。その経緯を取材するためだった。

 泰正さんは取材の冒頭でこう断った。

 「私たちは(親世代から)戦争について聞きかじっているだけです。どこまで正確か、なかなか言えないこともあるんです」

 「満州国」は1932年、日本の関東軍が主導して中国東北部に建国されたかいらい政権だ。

 取材を進めると、順子さんの父は「満州国」の金融政策を進めた満州中央銀行に勤め、幹部に昇進した人物であることが分かった。

 親たちは植民地支配について何か語り残したのか。今夏までに、記者は夫妻に複数回の取材を重ねた。

 証言の分析は、旧満州を巡る問題に詳しい蘭信三・上智大名誉教授に協力を仰いだ。

 まずは弘岡夫妻が聞いた話や関係資料をもとに、手塚家の歴史をたどっていきたい。

 <前編の内容は> ・「赤ん坊は殺す」約束があった ・終戦時は満州中銀の支店長に ・敗戦で一変 使用人が暴徒扇動 ・弘岡夫妻が語る戦争観は

 ・歴史社会学者の蘭信三氏の視点

裕福なエリート銀行員一家

 順子さんは敗戦直後の旧満州で生まれた。

 「当時は、生まれた子が産声を上げる前に死なせるという約束があったそうです」

 順子さんが自身の出生にまつわる話を母けいさん(2013年に100歳で死去)から初めて聞かされたのは、中学生のときだった。

 父の手塚操さんは福井県出身。中国・上海にあった高等教育機関「東亜同文書院」に1929~33年に在学した29期生だった。

 東亜同文書院は、日本の有力政治家や経済人、学者らが参画した民…

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 次回は、旧満州からの引き揚げ者の体験談や弘岡夫妻の戦争観に関して、歴史社会学者の蘭信三・上智大名誉教授のインタビューをお届けします。10月18日17時アップ予定です。

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